ことば探し
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2008-11-30 「不運な出来事は、人生の注意警報」
大事故はいきなり起こるわけではありません。
大事故の前には、必ず小さな事故が隠されています。

車を運転していて、
「うわ、今危なかった!もうすこしで大事故につながる
 ところだった」とヒヤリとした経験はありませんか?
ヒヤリとしたことを忘れずに、気を引き締めるようにした人には
その後、大きな事故は起こりません。

「危ないなぁ、気をつけてよ」と全てを
相手にせいにしたり、危なかったことをすら気づかない人は、
いずれ大事故を起こします。
大事故を起こさないと、いつまでも気づかないからです。(略)

大きなトラブルが起きないで、運がいいねと
言われている人とは、ヒヤリとした小さな出来事で
軌道修正できている人です。
2008-11-29 「愛」を伝える「手」について…

手をかける、手のかかる子ほどかわいい、手が行き届く、
手作り、手伝い、手塩にかける、
手厚い、救いの手、手助け、手料理、
手縫い、手加減、手のぬくもり、
手ほどきなど、ざっと思いついただけでも14コあります。

これらを言い換えると、こんなふうになります。
愛を与える、愛をたっぷり与えた子ほどかわいい、愛を配る、
愛のこもったもの、愛を伝える、厳しい愛とやさしい愛を与える、
愛がいっぱい、救う愛、愛の助け、愛のこもった料理、
愛のこもった縫い物、愛を出す量、愛のあたたかさ、
愛のこもった伝授…

これはすべて、愛を与える言葉だと思います。
手から愛が出ているからです。(略)
とにかく、手をかけること、愛を配ることの繰り返しで、
愛の度数が上がってきます。
逆に、「めんどうくさい」という言葉は、
愛の度数を下げるのです。(略)

手抜きしないで、手間をかけて、ということは、
愛のエネルギーをたっぷり使うことですから、
自分にも、また、相手にも、愛が伝わっていきます。
2008-11-28 あなたは富士山の山頂に立ったことがありますか?
同じ山頂に立つのでも、
ヘリコプターを使って10分くらいで行く方法もあれば、
一合目から頂上まで歩いて行く方法もあります。

10分で到着したときの気持ちと、
一合目から長い時間をかけて自分の足で歩き、
途中のイヤな思い、苦しい思いをしながら
頂上に着いたときの気持ちを比べてください。

どちらのほうが達成感、充実感が得られるでしょうか?
大変だし、苦労もしたし、時間もかかったけれども、
自分の足で歩いて登ったときのほうが、
得られるものは大きいはずです。

人間は結果から学ぶことはありません。
人はプロセスからのみ学ぶのです。
2008-11-27 人間のもつ特質のなかで、私がいちばん大事だと考え、
大きく評価するのは素直さです。人が伸びる要因として
もっとも大切なものも、素直ということです。

努力する、人から学ぶ、積極的である、
謙虚に反省する、健全な考え方をする。
こうした優れた人間の資質は、
みんな素直さから発生してくるものなのです。(略)

素直さは強さのことです。
斜にかまえて物事を見たり、裏読みばかりしている人には、
どこか弱いところがあるものです。弱い人ほど、
自分の小さな我にとらわれて素直になれないからです。
逆をいえば、強い人間だけが素直になれる。
また、素直であれば強くなれるし、伸びてもいけるのです。
2008-11-26 あなたを幸せに導くような小さなステップ…
人から見れば、他愛もない些細な小さな心がけも、
あなたが心のエネルギーを注ぎ込むなら、
“もうひとりの自分=潜在意識”は、
そこから奇跡すら起こし得るのです。

人生のあらゆる局面で、
小さなことしかできない自分にがっかりする
必要などありません。
もう一度だけ繰り返します…

あなたにできることがどんなに小さなことだったとしても、
あなたがそれに対して真剣に向き合いさえすれば、
潜在意識はそこから奇跡すら起こすのです。
2008-11-25 実現できないと分かっていることや、
実現するつもりもないことばかりを口にしていると、
その人の言葉からだんだん力が失われていきます。
いわゆる“口ばっかりの人”の言葉には力がありません。

(ここから「事例」を少しまとめて書きます)
たとえば、あなたがサラリーマンで、あるときキレて、
「もう辞めさせていたただきます!」大見得切りました。
しかし、本当は辞めるわけにはいかないのです。
ローンもあるし、次の仕事のめどはないし、
今の職場は条件もいいので、辞める気はないのです。
そして、上司がとめたので、辞職の意思をとりさげました。
(ここまで)

このようなことは、ありがちですが、
“これによってあなたの言葉から力が失われていく”
ということもまた事実なのです。
サラリーマンの“伝家の宝刀”であるはずの
「辞めさせていただきます!」という言葉は、
もはや重さを失ってしまったのです。(略)

可能な限りにおいて、
「できないと最初から分かっていること、
 ヤル気もないことなら、口にしない」
ということを心がけることで、あなたの言葉は
どんどんパワフルになってくるのです。
2008-11-24 人を非難したり、攻撃するたびに、
あなたは何かを外に放出している。

けれども、それはいずれ、
あなたのところに戻ってくる。
2008-11-23 みなさんは、愛を受け取るのが上手だと思いますか?
愛を欲しがっているのに、受け取るのが下手な人がたくさんいます。

せっかく、人からほめられているのに、
受け取らないで否定して、自分を認めるチャンスがきているのに、
受け取らず、逃してしまうのです。

もっと素直に、せっかくの愛の表現を
きちんと受け止めましょう。(略)

「マイナスはすぐに吸収して、プラスは跳ね返してしまう」
というパターンの人が多いのです。
これをそろそろ逆にしませんか?
自分へのマイナスの言葉は、はじき返して、自分を認める
愛にあふれたプラスの言葉を、ありがたく受け取りましょう。
2008-11-22 ある日、自営業で非常に多忙な夫婦のカウンセリングをしていた。

結婚して10年以上、夫婦二人三脚で仕事をきりもり
してきたのだったが、実は妻は多くの傷を抱えていた。
よっぽどストレスがたまっていたのだろう。
涙を流しながら、彼女は約2時間も話続けた。
結婚してから今までの不満をぶちまけたのだ。

彼女の話を聞きながら、夫は鼻息を荒くしたり、
顔を紅潮させたり、憤慨したり、とても穏やかでは
いられない様子だった。
無理もない。彼には妻の語るすべてが
「自分を非難している」ように聞こえたからだ。

私は、さんざん彼女の話を聞いた後にこう尋ねた。
「奥さん、ご主人にたった一つだけ変わってほしいことが
 あるとしたら何ですか?」
彼女が吐き出した全てのことに、夫が応えられるわけがない。
こういうときは、行動可能な何か一つを具体的に
言ってあげることが大切だ。

すると、彼女は涙を流しながらこう言った。
「私は、1日の終わりに主人から『ありがとう』のひと言が
 もらえればそれでいいんです!」 

これを聞いた夫は、愕然とした様子で
「なんだ!そんなことか。
 僕は君にどれほど感謝しているかわからないよ!」
と叫んだのだが、そんな彼の気持ちも妻には
伝わっていなかったのだ。

ここには大切なレッスンがある。
「ありがとう」のひと言があれば、
多くの問題を乗り越えられる…
これもまた真実だということだ。               
2008-11-21 人間が他人と関係を持つときに、その他人に、
まったくめいわくをかけないなんて、考えられない。
だれにもめいわくをかけてない、なんて威張っている人間は、
そんなことを言われるだけでも、めいわく至極だ。

むしろ大事なことは、自分が他人に
めいわくをかけていることを、いくらかうしろめたく、
いつでも自覚していられることである。

誰にもめいわくをかけてないと、胸を張ることではなくて、
めいわくをかけた相手の心を思うことである。
やはり、おたがい、めいわくをかけあっていると、
思いながら生きていくほうがよい。

さまざまの人間がいて、さまざまの関係をとり結び、
そのなかで、おたがいが、めいわくをかけあうというのも、
考えようによっては、この人間社会にとってよいことである。
2008-11-20 ある所に、同じ父親の元で育った双子の兄弟がいた。
父親は大酒飲みで家庭を顧みず、兄弟は劣悪とも言える
家庭環境の中で、全く同じように育った。
果たして二人が大人になったとき、
兄の方は結局父親と同じような大酒飲みになり、
一家は離散、人生破滅型の人生を送ることになった。

対して弟は禁酒家になり、アルコール依存症専門家の
弁護士として、素晴らしい家庭を築き上げ、
祝福された生涯を送ることができた。

あるとき、この兄弟に同じ質問を投げかけた人がいる。
「あなたはなぜこのような人生を送ることに
 なったのだと思いますか?」
全く違う人生を送った二人は、いみじくも次のように答えた。

「あんな父親に育てられたら、
 こうなるしかないじゃないですか!」

人生は、その人の「判断・選択・責任」の
繰り返しで成立している。
2008-11-19 私たちの周囲には、「起こりそうもないこと」を
期待しながら一生を過ごす人がいる。
実現するはずのないことを、いつまでも待っているのだ。
「いつの日か誰かが突然現われて、
 私の望みを全てかなえてくれる」
などと思っているのだが、世の中はそんなに甘くない。

それどころか、
いつもそんなことばかり期待していると、
敵にスキを見せることになる。
そして、期待を「餌」にされ、
見事に相手の罠にはまってしまうのだ。(略)

他の人に何かを求めてばかりだと、
自分では何一つできなくなってしまう。
無気力になってしまうのだ。
そして、他人に求めてばかりいると、
もしその人から「もう何もやってあげない」
と言われたらお手上げだ。

自分の理想をかなえるには、
つまり人生で勝利を収めるには、
自分で何か行動を起こさなければならない。
2008-11-18 私たちには、本を読むか、読まないか、
という選択肢が与えられています。
挑戦するか、あきらめるかという選択肢も与えられています。
失敗したときに責任を自分に帰するか、それとも
他人に転嫁するかも私たち自身が決めることです。

人を愛するか憎むか、本当のことを話すか嘘をつくか、
いまやるか先延ばしにするか、前進するか後退するか、
といったことも、すべてはあなたの態度一つで決まります。(略)

人は自らの生きる態度によって選択を行い、
その選択が結果をもたらします。
どんな人間として生きるか、将来どんな人間になるかは、
私たち自身が決めることなのです。(略)
四季のごとく巡るあなたの人生がどのようなものになるかは、
あなたの生き方一つで決まるのです。
2008-11-17 他人の言う通りにして失敗しても自分の責任。

責任を他人に求めるのは簡単です。
そうしたくなる気持ちもわかります。
ですが他人に責任を求めても、問題は解決しないのです。
自己責任という意識を徹底すると、
当事者意識が芽生えてきます。(略)

人は毎日、何百、何千という意思決定を
繰り返しながら生きています。
その中で、自分が意思決定した結果が、
自分に降りかかってきているのですから、
人生すべて自分の責任です。
2008-11-16 誰かの幸せや成功を妬むなんて馬鹿げたことです。
誰かが幸せになったから、キミの幸せの分量が
減るなんてことは、まったくないのです。
誰かが成功した分、キミの成功の可能性が低くなる、
なんてことも、本当はまったくない。(略)

「あの人は運がいいだけだ」とか
「調子にのっているけど、そのうち失敗するわよ」とか、
そんなふうに嫉妬するのは、負け組のメンタリティです。

勝ち組は、他人の成功をみたら、
「あの人は、どうやって運を手にしたのか?」
「あの人のように波に乗るにはどうしたらいいのか?」といった
ことを学ぼう、盗む取ってやろということに心を使います。
嫉妬などという自分を貶めることにエネルギーを使おう、
などとは、これっぽっちも考えないことでしょう。

嫉妬したり、焦ったりするとき、
キミは自分のポケットを狭めてしまっている。
いや、すっかり閉じてしまっている。
どうぞ、そのことに気づいてください。(略)

自分にはもっと大きなものが与えられるはずだとわかっていたら、
嫉妬したり、焦ったりなどしないはずですから。
2008-11-15 今すぐ、いっぺんに完璧にやり遂げる!
ではなくて、多少手抜きでもマメにやることが大事。
これは、心も同じだと思います。

瞑想したり、セラピーを受けたり、
本に感動したりした一瞬に、
心がピカピカになったとしても、
ハラハラと舞い落ちる落ち葉が積もる道と同じで、
すぐに心が曇ってきてしまいます。

でもそうなったら、
曇ってきたなと気づいたときに、
また磨けばいいんです、適当に。
そうやって、気づいたときに、
少しずつやっていくことが大切なんです。
2008-11-14 世の中の役に立つということが、
非常にあやふやなことなんです。

ここに幅が50センチの橋があるとします。
橋の長さは100メートル。手すりはありません。
そして、20メートル下を川が流れています。
ということは、その橋は
20メートルの高さのところにあるわけです。
あなたは、この橋を渡れますか?
この板きれの上を100メートル歩けますか?(略)

けれども、よく考えてください。
人間は、幅50センチもあれば、その上を歩けるのです。
しかし、わたしたちは、幅50センチの道路で、
左右は深い谷になっていれば、絶対に歩けません。
こわくて、足がふるえるに決まっています。

したがって、
道路の幅は2~3メートルが必要なのです。
その意味では役に立っていないようですが、
それがなければ歩けないのですから、
大いに役に立っているのです。
2008-11-13 仏教のお経の本に(阿弥陀経(あみだきょう))
こんな言葉がでてきます。

「青色青光(しょうしき・しょうこう)」
 黄色黄光(おうしき・おうこう)」
 赤色赤光(しゃくしき・しゃっこう)」
 白色白光(びゃくしき・びゃっこう)」

どういう意味かといえば、ほとけさまのいる国
(極楽世界)に、はすの花が咲いています。
青・黄・赤・白のはすの花が咲いているのです。
そして、青のはすの花は青く光り、
黄色の花は黄色に光り、
赤いはすの花は赤く光り、
白色のはすは白く光っている…
というのです。

みなさんは、青い花が青く光り、赤い花が赤く光って
いるのはあたりまえではないか、と思われるでしょう。
どうしてお経は、わざわざそんなあたりまえのことを
言っているのか、ふしぎに思われるかもしれません。

(下に続く)
2008-11-12 まず、相手を理解する。
これができたら、つぎは自分をわかってもらう番です。

自分をわかってもらう方法が身についてはじめて、
《自分も勝つ/相手も勝つ》という結論を
引き出すことも可能になるのです。

相手をわかろうとするには思いやりが必要です。
自分をわかってもらうには勇気が必要です。
自分も勝ち、相手も勝てる結論に達するには、
勇気も思いやりもたくさん必要です。
2008-11-11 争いでいっぱいなこの世界では、
自分の周りに防壁をつくり、鎧に身を固めて
行動したくなるのも無理はありません。
しかし、これには問題があります。

鎧はあなたを守ってくれますが、
同時に、あなたを閉じこめてしまいます。
成長できるとしても限界があって、
その限度以上に成長したければ
鎧を脱がなければなりません。

いったん鎧を脱いでしまうと、あなたは無防備になります。
しかし、その無防備さと共に成長する自由がやってきます。

こうして、人間としての成長や
職業人としての成長が楽しめるようになると、
鎧はもはや必要でないことを発見するでしょう。
あなたの強さは鎧からくるのではなく、
あなたの内面からくるのです。
2008-11-10 “グズ人間”は、成功の原因を外的要因の、
「課題の困難度」と「運」だと考える傾向がある。
「成功したからといっても、それはたまたま課題が
 簡単だったからだろう。
 もし課題が困難であれば成功するはずなかった」と。
また、
「今回は運がよかった。次回も運がいいとは限らない」
と考えるのである。
自分ではどうすることもできない類の問題であり、
しかも動かしがたい要素であると考えるなら、
やる気が萎えてしまうのも当然だろう。

また逆に“やる気人間”は、成功の原因を内的要因の
「努力」と「能力」であると考える。
「努力」は、自分の中で処理できる内的要因である上に、
短時間で変化可能な変動要因でもある。
「自分も努力すれば、きっと成功するだろう」
と思えるので、“やる気”につながるのである。
「能力」は自信から生まれるもので、
いつもでやることができる確信が生まれる。
2008-11-09 「ていねいな暮らし」って、何がていねいなの?
と思うとき、それは
「見えないところをきちんとすること」のような気がする。

女の人に限らず、人は、
「見えるところ、見られるところ」はキレイにするし、
きちんとするのだけれど、誰も見ていないところは、
おざなりにしがちだ。
メイクや服装はキレイにしている女性でも、
ゴミの出し方はずさんだったり、会食でランチに5千円
払う人でも、自宅ではインスタント食品ばかり食べていたり。

人から見えるところをキレイにキチンとすることは、
もちろん大切だ。
それができるからこそ、信頼されるし、
人づきあいもうまくいく。
でも、それだけでいいのだろうか?

それだけだと、まるで「人のために生きている」
ことになっちゃわないだろうか。
ていねいに暮らそうとするとき、
重要になるのは、人から見えない部分なのだ。

ゴミ出しなんて誰も見ちゃいないし、
自宅で何を食べていようが、他人にはわからない。
でも、そればっかりだと自分が気持ち悪い。(略)

人から見えないところでも、私は私らしく、
きちんと暮らせているのよって思えることは、
ブランド品を持っていることや、ファッションセンスを
誉められること以上に満足度が高いし、
心を安定させてくれると思うのだけど。
2008-11-08 心配してもいいことはない。
心配しないほうがいい。
なぜなら、心配はあなたの願っている結果を
もたらすものではなく、むしろその逆だからだ。

心配したら、あなたの問題は解決するだろうか?
いや、心配しても問題は解決しない。
解決するどころか、余分な問題を背負い込むことになる。
あなたは精神的にも肉体的にも病んでいくだけだ。
この事実に今すぐ気づくべきなのだ。

心配は何も良い結果を生み出さない。
だから、心配などしないほうがいい。
これほど単純でわかりやすい真理は他にない。
心配しても寿命は延びない。
2008-11-07 誰かと意見が食い違った場合、
これに対処する方法は、基本的に言って3つある。

第一に、自分の視点を他人に押しつけようとすること。
第二に、衝突を最低限に抑えるために相手に合わせること。
第三に、「両面的思考」をすることである。

多くの人は、最初にあげた二つ、支配か服従しか
選ぶ道はないと決め込んでしまうが、きわめて複雑かつ多様な
これからにおいては、この二つの方法では、単純すぎる解決策や
近視眼的な解決策にしかたどり着かないことが多い。

両面的思考を用いると、それぞれの選択肢は
互いに排他的なものではなく、全体を補足し合う部分だ
ということがわかるようになる。
どちらの言い分も一理ある、つまり現実とは、こうだああだと
割り切れるものではなく、こうであると同時に、
ああでもあるのだと、気づく場合も多い。

私たちは、互いに異なる視点や明らかに反駁する点を
比較検討する能力を養う必要がある。
自分自身の視点を主張すると同時に、
自分とは異なる他人の視点を尊重する、
この両方ができなくてはならない。
2008-11-06 迷ったら「イエス」と言ってみること。
これがとても大切です。

やってみたいことがあったら、
勇気を出して、チャレンジしてみてください。
好きな人がいたら、
怖くてもいいから告白してみてください。
欲しいものがあったら、とりあえず
「欲しい!」と言ってみてください。
どうぞ、「イエス」」と一歩を踏み出してください。
けた外れに成功する人は、失敗の数や規模もまた、
けた外れなのだということは、
あなたもすでにご存じのはずです。

「やってれば、成功したかもしれない」
という甘い幻想に、潜在意識のリソースを浪費するくらいなら、
むしろチャレンジして堂々と苦い失敗に直面したほうがいい。
いい結果が出ようと出まいと、常に前進できる人というのは、
失敗のこの本当の意味が理解できている人なのです。
2008-11-05 どんな仕事も自分が積極的に関わり合っている限りは
楽しいものであり、なんでこんなことをやらされるんだ、
イヤだなぁと思ってやる限り、苦痛にしか感じられない。
自分が仕事を支配しているのか、仕事に服従しているかで、
同じことをやってもまったく気分が違ってくるのだ。

上司からやれといわれてやるのと、
自分から進んでやるのとでは気分だけでなく、
その生産性も効率も全然異なってくるのである。
「やらされ感」をもってやっている限り、
仕事は苦役の範囲を出ないのだ。(略)

いかに「やらされ感」をとりのぞき、
仕事に自発的に関わっていくか。
それが意欲を生み、仕事に楽しみを発見するきっかけとなる。
はじめから楽しい仕事などない。
自分で仕事を楽しくするかどうか、なのである。
2008-11-04 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。

正しいこと、良いこと、真実のことを実行すれば、
あなたにはそれがわかるでしょう。
あなたはそれを忘れないでしょう。
人生を生きるうえであなたが必要とする意味は
それだけで十分なのです。

確かに、あなたの良い行いの中には、
人に認めてもらえないものもあるでしょう。
しかし、そうして認めてもらった立派な仕事ですら、
多くの場合、忘れられてしまうものです。

大切なことは、誰かが覚えているかどうかではありません。
大切なことは、人間としてのあなたが
どんな人なのかということです。
重要なことは人生をどう生きるかです。
誠実に、寛大に生きている限り、
他人がそれを知っているかとか、
覚えているかということは、
問題ではありません。

良いことをする、ただそれだけで十分です。
誰かの力になることができた、
あなたの組織を改善することができたと
知っているだけで十分なのです。
2008-11-03 人がお互いのためにできる最善のこととは、
さりげないことなのかもしれません。
毎日の生活を共にしていく中で、
思わず唇に微笑みをもたらしてくれるようなささやかなこと、
元気づけてくれるさりげないことが最高のプレゼントです。

良いこととというのは、
ときには、常識的で礼儀正しさだったり、
思いやりのある行動であったりもします。(略)

時には、ほんのささやかなことが
非常に大きな違いを生み出すのです。
ですから、
新聞売り場のおばさんに微笑みを投げかけてください。
会社の建物の中に荷物を運び入れている人がいたら、
手を貸してあげてください。
教会での打合せが終わったら、一番に立ち上がって
椅子を片づける人になってください。

誰もそのことに気づかないかもしれません。
気がついても、誰もそれを覚えていないかもしれません。
しかし、そういうささやかなことでも積もり積もって、
他の人の人生を幸せにするのに役立つのです。

それが良いことだというただそれだけを理由にして、
良いことをしてください。
2008-11-02 休めと言われても休めないのは、
自分の限界を認められないから。
限界を認められないのは、精神的に疲れているから。

精神的に元気なときであれば、
自分に限界があるということは受け入れやすい。
ところが、精神的に疲れて自信がなくなってくると、
自分の限界に目を向けることが難しくなる。
自分がダメな人間だという自分の考えを
再認識しているようで、辛くなるからだ。
そうしたときに、医師に限らず、周囲の人から
休んだ方がよいと、言われてしまうと、
がんばれない弱い人間だと宣告されたかのように
受け取ってしまう。

自信をなくしているときこそ、自分の限界を認めて、
弱くなっている自分をいたわることが大事になる。
あまり無理せずちょっと立ち止まって、
自分に対するバランスのよい見方を取り戻すように
努力してみよう。
2008-11-01 前の日に出たこころのゴミを整理して、
次の日の経験に役立てる。
この作業をあなたはどのくらいやっている?

定期的にこころの大掃除をして、
古いゴミやもう自分に合わなくなったもの、
満足できなくなったものを捨てることが必要だ。

自分の栄養となるような、
ポジティブで素敵な考えを磨きあげて、
もっと生活に生かすことをあなたも望んでいるはずだ。

苦痛に満ちた古い思い出の扉は閉ざしてしまおう。
昔の傷や、許せないと自分で思い込んでいることにも
扉をとざしてしまおう。

■ほっこりしたい方、
ネコ好きさんにおすすめの本。

じいちゃんとタマの関係が
なんともよく特に1.2は
おすすめですよ~!!


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