■「今日のことば」カレンダー 2008年3月■
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2008-03-31 |
自分には生まれつき何々を受ける権利があると 思い込むのは、人を絡め取る罠です。 自分に対して自分で負うべき責任を 他人に転嫁させる恐れがありますし、たいていは そんな責任転嫁は相手には迷惑なばかりです。(略) 権利意識の塊になると、 人は腹立たしくて疲れてしまう堂々巡りの 論理に閉じこめられてしまいます。 どれだけ与えられても満足できないのです。 権利意識の強い人は、 どんなに愛され尊敬され注目され、 あるいは成功や富を手に入れても嬉しいと思えません。 常にそうしたものが途切れずに自分の許に やってくるという確信が持てないからです。 |
2008-03-30 |
器用、無器用の違いがどこにあるかというと、 僕は時間の差じゃないかと思いますね。 1つのことを習得するのに器用な人間は、 短時間で勘どころを押えて適応するのに、 無器用な人はなかなかうまくできず、長時間要してしまう。(略) ヨネヤマさん(※)は、最初バレエをやっていた。 演ずることの基本を全部やって、それからパントマイムに 移っているわけです。地に足がついた芸というか、 足腰のしっかりした芸、これは、 どんなに器用でも自分のモノにすることはできません。 無器用だからこそ基本を何度も繰り返す。 そこから初めて人を感動させる何かが 生まれてくるんじゃないでしょうか。(略) 無器用だからできない、というのじゃなしに、 無器用だから出来ることがある。 無器用さを生きる技術にしている人間には、 こんな発想があるんじゃないでしょうか。 コツコツと重ねた勉強は、試験が終わっても忘れることがない。 が、器用に一夜づけで覚え、試験でいい点数を取っても、 次の日には、なにも覚えていない。 生きていく上で、どっちが得か。 これはもう、いうまでもないことでしょうね。 (※/ヨネヤマママコさんは、日本のパントマイムの第一人者) |
2008-03-29 |
むやみに批判することは、やがては人間関係に 破綻をきたす、悲しい抵抗のかたちです。 歳がいくにつれて辛辣になり、人のやることなすことにケチを つけるようになった年配の人を、誰しも知っているはずです。 そういう人は、しまいには周囲から敬遠され、孤独の中で、 ますます辛辣になるものです。 あなたも、いつも他人の悪い面を見ていると思いあたるなら、 そろそろ批判をやめて、自分の胸に訊いてみましょう。 なぜ人の欠点をそんなふうに指摘しなければならないのか。 人がまちがっているからといって、 なぜ自分がそれにこだわるのか。 |
2008-03-28 |
(お菓子作りの先生のことば) 「何でもないことのようですけど、ここに達するまでには ずいぶん試行錯誤して、4年も5年もかかったんですよ。 ただし要領がわかると、スイスイと何でもできるようになって」 この言葉に触れたとき、私は心の中で、大きく頷いたものです。 きっと、1つのコツを生徒に伝授できるようなるためには、 何度も何度もクリームを泡立て、飾り付けをし、 失敗も繰り返してきたはずです。 お菓子の先生に限らず、職人さんのような何らかの 技術を極めた人は、誰でも同様の経験をしているでしょう。 できてしまえば何でもないことのようでも、 極めるためには必ず相応の時間を要するのです。 |
2008-03-27 |
しっかりと認識しなければならないのは、 「人は、心にゆとりがないと聞くことはできない」 という事実だ。 (略) 大事な考え、あなたにとって大切なこと、 特に価値観を伝えようとする時は、 相手が受け入れられる状態かどうかを見極めて、 もし相手が余裕がある状態だったら、 あなたの価値観をきっぱりと、力強く、明確に、 そして、あっさりと伝えることである。 |
2008-03-26 |
私たちは他人を愛するとき、 何らかの「見返り」を求めているものだ。 よほどの聖人君主か変り者でもないかぎり、それを通じて 自己愛が満たされなければ、相手を愛することは難しい。 逆に相手がこちらの自慢話を聞くなどして 自己愛を満たしてくれれば、相手の自慢話にも 耳を傾けることができる。 そうやってお互いに「心理的なニーズ」を満たし合う ギブ・アンド・テイクの関係がなりたっていれば、 相手を自己中心的だと思うこともないわけだ。(略) 自己愛を満たしてもらわないと、 相手の自己愛を満たすこともできない。 お互いに甘えを受け入れ合うことが大事。 |
2008-03-25 |
実は2年目の1998年エンジェルスは 終盤までプレーオフ進出争いを繰り広げたが、マリナーズ戦で 僕が打たれてしまい、決定的な敗北を喫してしまった。 当時のマリナーズは本当に強かった。(略) 打たれたその日は、クラブハウスで相当落ち込んだ。 責任を感じていたのだ。そうしていると、 ブルペンのボスとも言うべきトロイ・パーシバルと 先発の柱であるフィンリーが僕のことを呼びにきた。 しばかれる、つまり怒られるんじゃないかと思った。 ところが、ぜんぜん違った。 ふたりは、こう言葉をかけてくれたのだ。 「シゲ、なにを落ち込む必要がある。 今年、ここまでチームが頑張れたのは、お前のおかげなんだ。 だからこんな日はメディアを相手にする必要なんてない。 よくやったじゃないか。さあ、飲もう」 泣いた。このときばかりは泣いた。 |
2008-03-24 |
やることなすことが裏目にばかり出る。 懸命に努力しているのに、どうもうまくいかない。 そのような状態に陥って頭を悩ますことが、 長い人生にはときにあります。 そんなときに大事なのは、やはり 志を失わず地道な努力を続けること。 およそ物事というものは、 すぐにうまくいくということは めったにあるものではない。 根気よく辛抱強く、 地道な努力をたゆまず続けていくことによって、 初めてそれなりの成果があがるものだという気がします。 |
2008-03-23 |
落ち込んだ気持とか、淋しさ、むなしさ、不安など、 私たちがときに陥ってしまう人間のさまざまなつらい気持ちには、 なにかしら、私たちに対するメッセージが含まれているものです。 私たちは、何かの拍子に、急に不安になったり 心配でたまらなくすることがあります。 そのようなときには、その不安や心配な気持にあまり 振り回されすぎないように気をつけながら、 もう一度自分をとり巻く現実をよく見直してみます。 そうすると、それまでには気がついていなかった 何か危険なことや、対策や準備をもっとよくしたほうがよいと、 わかることもあります。 |
2008-03-22 |
大切なのは、心が落ち着いているときが いちばん自分らしくてベストな状態だと信じることだ。 そのような精神状態のときは知恵がみなぎり、 変化にも敏感に対応できる。(略) バランスのとれた状態からズレてしまうと、 自分に自信がなくなり、動揺したり、神経質になったり、 怒りっぽくなったりする。 そこで必要なのは、何が起こっているかを認識することだ。 「バランスのとれた状態からズレつつある」と 気づいたとき、ズレた方向に向かっている考えを解き放って、 自分を元の位置に戻す。 これを自己調整法という。 |
2008-03-21 |
たとえば、ノーベル賞を受賞した科学者が 教育制度の改革についてコメントしていたとしよう。 その人は科学者として優秀だから、ノーベル賞を受賞したので あって、教育者として優秀かどうかはわからない。 ところが、世間の人々は、 「ノーベル賞をもらった人が間違ったことを言うわけがない」 と思い込んでしまう。 このように、「この人の言うことだから」と いうだけで是非を判断してしまう思考法のことを、 社会心理学の世界では、「属人思考」という。 正しいか間違っているかという基準が、 その「人」に属しているわけだ。 しかし、どんなに意地の悪い上司でも 正しい意見を言うことはあるし、どんなに権威のある 高名な学者でも間違った意見を言うことはある。 それぞれの是非を正しく判断するには、 「人」に対する怨念や敬意を脇に置いて、 その意見そのものを吟味しなければいけない。 そういう思考法のことを、属人的思考に対して、 「属事思考」という。「人」とは関係なく、 1つ1つの「事柄」を見て判断を下す考え方だ。 他人の意見を冷静に聞き、「坊主憎けりゃ…」や 何でも鵜呑みにする盲信を避けるためには、属人的思考を捨てて 属事的思考を心がけなければいけないのである。 |
2008-03-20 |
逃げられない関係は、ときに面倒だったり、 不便だったり、辛かったりします。 「家族」という枠組みを飛び出して、 自由に暮らせたらどんなによいだろう、と 思う人もいるかもしれませんし、枠組みなどなくても やっていける、という人もいるでしょう。 でも、人間とは弱いものです。 枠組みがあるからこそ、嫌な面があっても、 困難にぶち当たっても、関係を維持していくことができる。 そういう面があることを覚えておきたいものです。 |
2008-03-19 |
たとえばあなたがセールスマンで、 なかなか成約できなくて苦労しているとしましょう。 そこで 「今度こそお客さんを落としてやろう」 などと考えずに、まずは 「お客さんと楽しく会話ができるようになろう」 と考えてみる。 実際に成功している電話セールスマンの話を聞くと、 そのような気持でやっているそうです。 だから、何度断られても、モチベーションを落とさずに アポの電話をかけ続けられるのです。(略) そう考えたら「自信をつける」のは、 そんなに難しいことではないでしょう。 「できないこと」をあせって、 ムリにやろうとする必要はありません。 「できそうなこと」を少しずつ 積みかねていけばいいのです。 辛いときほど無理をせず、 「できそうなこと」を積み重ねよう。 |
2008-03-18 |
「もっと時間がほしい」とこぼす人の多くは、 まず何かをやるための時間をとろうとする。 ところが、会議がある、つきあい酒がある、家族サービスがある、 通勤や仕事のときの移動時間がある…… そんなこんなで、 「とても時間なんかとれない」となるわけだ。 これは、時間を固定化して考えているにすぎない。 やりたいことがありさえすればいつでも、 空き時間を見つけては取り組めるはずである。 要は 「はじめに時間ありき」ではなく、 「はじめにやりたいことありき」 なのである。 |
2008-03-17 |
こう言う話を聞いたことがある。 アメリカの街の作られ方と日本の街の作られ方の違いが、 人の心の有り様までも決めているというのである。 アメリカでは、西部へ西部へと人々が開拓していたった時代、 人々は一カ所に集まって街を作った。 街が出来てから、街の治安を守るために保安官が 必要になって、保安官を雇うことにした。 法を守るためには、裁判制度も必要だということになって、 判事や弁護士という職業が成り立った。つまり はじめに人がいて、必要に応じて役所ができていったわけである。 だから、あくまで、民中心の街作りだったのである。 それに比べて、日本は全く逆のコースをたどった。 城下町、門前町、宿場町、といろいろな街の形態はあるが、 そのどれもが、住民は街の形態が整ってから 引き寄せられるようにして集まっていったのである。 最初に街作りに参加したのは、 人民を治める側である、役人たちだったわけだ。 だから、官中心の街になり、 人々は官を「お上」と呼んで、一段上のものにしてしまった。 「お上の言うことにはさからえない」 というわけで、納得のいかないことでも、 「お上」の言うことを聞いていたのである。 |
2008-03-16 |
私たちは、誰かに頼られると、それに全部 こたえなくてはならないと思ってしまいがちです。 それにこたえられないと、自分の力が足りない、 やさしくない、冷たいなどと考えて、 自分を責めてますます無理をしてしまうことがあります。 しかし、誰だって、限られた時間と力しか持っていませんし、 自分自身の仕事や暮らしがあります。 大事な友達や仲間に対してでも、 何もかもできるわけではありません。 できることと、できないことがあって当然なのです。 「できること」と「できないこと」の線引きを考えるのは、 けっして冷たい態度ではありません。 そのようにして適度な距離感が撮れているほうが、 いろいろと見通しもよくなって、実際の手助けも かえって上手にできるようになるものです。 |
2008-03-15 |
ぼくは、大きく息を吸って「父さん」と切り出した。 「ぼくは、医学の道には進めないと思うんだ」 父は、怖れていたことをついに聞いてしまったとでもいうように、 視線を落とした。その表情があまりにも悲しげだったので、 ぼくの胸ははりだけそうになった。 だが、もう一度ぼくを見たときは、今まで見たこともないほど やさしい表情が浮かんでいた。 「わかっていたよ」と父はおごそかに言った。(略) 父をどれほどがっかりさせたかと思うと、 ほくは涙が出そうになった。 「父さん」とぼくは言った、「ごめんなさい」 父は鋭い視線でぼくをみた。 「いいかい、父さんはお前が医者にならないことに失望した。 だが、お前そのものに失望したわけじゃない」 |
2008-03-14 |
まわりをざっと見回して、 話を聞いてくれる人が見当たらないときには、 いっそ植物やペットにでも話しかけるとよい。 相手が動物や植物であっても、ちゃんと心をもった 聞き手とみなして真剣に話すと、話し終わったあとに 不思議とさっぱりするものなのだ。 身の回りにあるモノや動物を「聞き手」にするコツは、 ひたすらその気になること。 「こんなのばかばかしい」と思ったり、 「何も答えてくれるワケじゃないのに」などと 冷静になってはいけない。 「話す」は「離す」「放す」に通ずる。 臨床心理学の立場から言えば、言葉に出して話すということは、 心を開け放ち、たまっていた怒り、憎しみ、悲しみを 体から離すという意味合いも含んでいる。 相手がアロエであっても、飼っている猫であっても、 口に出して話すことの効果は大きい。 それは、プロのカウンセラーも認めていることなのだ。 |
2008-03-13 |
生きていれば、楽しいときもつらいときもあります。 それは、誰にとっても当たり前のことです。 そのときに気をつけなければならないのは、 つらい気持が強くなると私たちは、ものの見方や考え方が 狭くなったり、固まったり、歪んでしまったりすることがある、 という点です。そうなると現実の中の、 ほんの小さな一部分しか見えなくなってしまいます。(略) ものの見方がせばまると、気持のほうもますます辛くなってきます。 そうして「つらい気持」と「狭い見方」を悪循環をはじめて、 気持がどんどんつらくなってくるのです。(略) そのようなときに大切なことは、もう一度、 柔軟なものの見方、考え方をとり戻すことです。 そのためには、ちょっと立ち止まる。 周りをよく見直してみる。誰かと話す。 「あれかこれか」の二者択一ではなく、 もっとやわらかく考えてみる。 そのような小さな開き直りが脱出の役に立ちます。 |
2008-03-12 |
人は、賢くなればなるほど、幸せになる。 これが真実だ。 知恵は人を幸せにするからだ。(略) 皮肉屋のボブ・ディランが自己憐憫にあふれた調子で 「愛にはもううんざりだ」と歌ったのは、 愛にうんざりしていたからではない。 本当の愛がわかるほど、賢くなかったからだ。 本当に賢い人は、お互いに愛し合うことができる。(略) 賢くなるとは、成長することだ。 宇宙の法則を知り、気持が優しく穏やかになることだ。 物事の仕組みがわかれば、自分を取り巻く世界と和解できる。 世の中についてよく知るほど、世の中にいるのが楽しくなる。 |
2008-03-11 |
「緊張」がいけなくて「リラックス」がいいと 思われがちです。そうではなく、 「緊張」と「リラックス」には同じ価値があり、 片方に長くとどまらないほうがよい、 ということなのです。 「やる気」が「緊張」で、 「やる気をださない」のが「リラックス」です。 これを空腹と満腹の関係で考えるとわかりやすいでしょう。 ずっーと空腹であり続けることも、満腹であり続けることも、 どこか不自然なのです。 お腹がすいたら食べ、 満腹のときには消化、吸収すればよいわけです。 しかし人間は、ついつい「やる気をだしたい」と 悩んでしまうのです。(略) いつも「やる気を出そう」などと思うところに、 問題があるのです。 やる気が出ることと同様に、 やる気がでないことにも価値があるのです。 そこに気がついてほしいのです。 |
2008-03-10 |
立派な家を建てるためには、むろん、 立派なプランが必要です。 しかし、そのプランを実行するためには、 すごい時間と労力が要るんです。 だから、その間、どうするかということを考えない、 立派な家を建てるだけの理想論というあり方は間違っている。 立派な家を建てるための、「中間的」な家をどうするか、 をしっかりやらないと、駄目だ、と思うのです。 結局、人は立派なプランをもたなければならないが、 自分が実現できるプランを、まず決めて、 それを1つ1つ解決していかなければならない。 |
2008-03-09 |
人に頼るだけでなく、時にはほかの人にとって 自分が「癒しの源」になることも考えよう。 必要なときにそばにいて話し相手になり、 人から頼られる存在になるということだ。(略) もっとも大切な役目は、助言するのではなく 話の聞き手になること。 助けを求めている人に何を言おうかと前もって考えたり しないでごく自然に状況に適応することが大切になる。 癒し手はまず、自分の心を鎮めよう。 そうすれば集中して相手の話を聞いてあげられる。 「あなたと一緒にいると、自分が“世界でいちばん大切な人” になったような気分になる」 と言われる人になることだ。 |
2008-03-07 |
小さなチャンスを侮らない。 小さなチャンスにも注意し、 きちんと扱おうと心がける人は、 信用を得ることができる。 そして運は、 小さなチャンスを無視する有能な人物より、 小さなチャンスを大切にする普通の人の方を、 たいへん好むものである。(略) 私たちの潜在運を豊かにするのは、 しばしば訪れる小さなチャンスと、 それに注意を寄せようとする心である。 |
2008-03-06 |
自由になるための必要条件とは、 「未知の世界が、慣れた世界より 危険が少ないことを認識する」 ことにつきる。 そして、一歩を踏み出すことだ。 いったん踏み出せば、未知の世界を 新しい目でとらえることができる。 |
2008-03-05 |
「驚くべきことですが」と、 牧師のセオドア・カイラー博士は言います。 「ゴールまで『がんばり抜く力』のない人が実に多い。 瞬発力はあるかもしれないが持久力がない。 すぐにくじけてしまう。 万事が順調なうちはなんとかやっていけるのですが、 ひとたび問題が起きると、とたんに気持がなえてしまう。 物事をやり抜くのに必要な気力や勇気がないので、 強い意志を持った別の誰かを当てにするばかりです。 自分には自立心や独創性はありません。 進んで挑戦するのは、他の人たちがやっていることだけ。 あえて集団から一歩外に踏み出して、 怖れずに行動を起こすということがないのです」 |
2008-03-04 |
エジソンは、私が知る中で最も冷静沈着な人物である。 彼は欲求不満や恐怖心とは無縁の人物だった。 後悔するということもなかった。 彼はおごらず、いつも謙虚だった。 私は、そのことが彼を本当に偉大な人間にしたのだと思う。 エジソンは白熱電球を完成させようとして約1万回も失敗した。 以前、私はこのことについて彼に、 「もし白熱電球の秘密がいまだに解明できていなかったら、 あなたは今どうしていると思いますか?」 と質問したことがあった。 すると、かれは目を輝かせ、ユーモアたっぷりにこう言った。 「もしそうなら、私は今も実験室にこもって実験を 続けているだろうから、あなたと会ってこうして 話などしている暇などないと思う」 そもそも、エジソンは「失敗」というものを認識していなかった。 |
2008-03-03 |
人気や評判というものは、 自分で作り出すものじゃなくて、他人が そのひたむきさを見て与えてくれるもの、 という気がしますね。 誰かに気に入ってもらおうと考えてする行動は、 空々しいものに映ってしまう。(略) 一攫千金でしか人生を観れない人には、 理解できないかもしれません。 しかし、人の心を揺り動かす人間は、 大なり小なり、地味でありながら継続している。 深めようとしている人ですね。 表面だけの面白さで流行を追ったり、話題に飛びつく人は、 いつまでたっても人生の軸が得られず、 根無し草に終わるような気がしますね。 |
2008-03-02 |
だれもが、じぶんのボールを 受け止めてほしいと思っています。 だれもが、じぶんのことを 聞いてほしいと思っています。 だれもが、じぶんがここにいることを 認めてほしいと思っています。 では、受け入れられたがっている幾多の人を いったい、だれが受け入れるというのでしょう。 もし、あなたの投げたボールを 相手がちゃんと受け止めてくれたら、 もし、あなたが、相手の投げたボールを ちゃんと受け止めれば、そこで、 コミュニケーションはひとつ、完了します。 |
2008-03-01 |
表面的には失敗、挫折に思えることが、 実は「人間復活のためのチャンス」なのです。 そして、人間復活のチャンスという方向に発想を変えれば、 失敗も、挫折も、困難もとても意味のあることだとわかります。 自分の人生に起こることは必然であり、 無駄なことはなに1つありません。 そして、人生には余計な回り道というものはありません。 嫌なことや苦しいことは、私たちが自分自身を大きくするために 自ら引き寄せたものであり、それを乗り越えたときに ひとまわりもふたまわりも大きく成長することができるのです。 (略) 人間は、自分に都合のいいことは成功、 都合の悪いことは失敗というふうにとらえますが、 実は成功は・失敗という区切りはなく、すべては、 そこから何かを学んで成長するために起こっているのです。 自分にとって都合の悪いことがなければ、 本当の意味での知恵を深めることもできません。 |