今日は、男女の「望んでいることについての違い」その2です。
個人差はあると思いますが、参考にしてみてくださいね。
パートナーに
「感謝してもらいたい」「愛してもらいたい」というのは、
男女問わず、おそらく共通の願いですよね?
だとしたら、ここはやっぱり、パートナーの
「本当に望んでいること」
「してもらって嬉しいこと、愛情を感じられること」
を知ることはお互いに、とても大切なことだと言えるでしょう。
しかし、これは、残念ながら
そんなに簡単なことではありません。
例えば、パートナーに、
「あなたの本当の望みは何?どうして欲しいと思ってるの?」
と仮に聞かれたとして、素直にはっきりと、
「私の望みはこうで、こうして欲しい」
と言えるかどうか…
どこまで本音で、はっきりと答えられるかどうか…。
多くの方は(男女を問わず)、なかなか答えられないし、
答えにくい問いではないでしょうか?
つまり、聞いたからと言って、簡単に
「答えがわかるもの」「答えてもらえるもの」
でもないってことですね。
(もちろん、はっきりと言える方は
言ってみる価値は大いにあると思います)
■では、どうしたらいいのか…
■男性への対応
「愛情表現のつもりで何かをして、
彼に感謝してほしいと望むくらいなら、
何もしないほうが彼のため、二人のためです」
「なぜ彼は本気で恋愛してくれないのか」でも
はっきりとこう言いきってます(笑)
つまり
「やってあげるなら、その見返りを期待しないこと」
少なくても、そう思ってやることが大切だってことですね。
愛する人には、何かをしてあげたい、
女性の場合は特にそう思う気持ちが強いものです。
何かをしてこそ、自分の価値があると思い込んでいますから。
(これを私は「与えたい病」と名付けています)
しかし、
「与えること、何かをしてあげること」=愛情、思いやり
では決してないのです。
また、
「やってあげること」=いいこと、善
でもないのです。
むしろ、
「何もしないこと、手を出さないこと」=愛情、思いやり、善
ということも多々あるのです。
このことを忘れないようにしたいものです。
何かをやってあげるときには、相手のためにする、
などと思わず、
「私が与えたいのだから、やってあげたいのだから…」
そんな気持ちでやることが大事なのではないでしょうか?
そして、もし男性が
「これをして欲しい、こうして欲しい」と申し出たときには、
それを気持ちよく、素直にやってあげるほうが、
何倍も感謝されるのではないでしょうか?
余計なことをやって、感謝されないとぶつぶつ言うよりは、
余計なことをせずに余力を残しておき、頼まれたときに
気持ちよくやってあげる方がいいとは思われませんか?
■女性への対応
女性の場合は、聞かれてはっきりと答えられなくても
一応「どうしたい?何をしたい?望みは?」と
女性の気持ちを、聞いてほしいと思っています。
聞いてもらえたことによって、
「自分のことも考えてもらっている、尊重してもらえる」
と思えるのです。
つまり、自分の気持ちを聞いてもらいたい、という望みが
女性にはあるということです。
この望みは、案外大きいものです。
男性は、そう聞いて、その通りにしてあげられなかったら
辛いし、機嫌を悪くされるので、聞けないと思うかも知れません。
もちろん、望み通りできるならそれに超したことはありませんが、
そんなにすべてが望み通りに行くとは、女性も思ってはいません。
例え、その望みがかなわなくても、聞いてもらえるだけで
満足することもあるのです。
「はっきり言わないし、結局何を望んでいるかわからない」
と思う方もいるでしょう。
しかし、それでも、とりあえず女性の望みを聞いてあげましょう。
願いを聞いてあげましょう。
聞かなければ、どんどんこの問いの溝は深まっていくばかりです。
勝手に、これをしたら嬉しがるとか、感謝されるはずと
一人で突っ走る前に、どうぞ、女性の思いを聞いてあげてください。
男性が思うことと、全然違うことを望んでいるかもしれません。
それも、男性が考えているより、はるかにささいなことかも
知れませんよ。
「まず、気持ちを聞いてあげる」これが、女性にとっては
とても大切なことだと覚えておいてくださいね。
今、その女性の望みをかなえることができないのなら、
なおのことそうしてあげてください。
そしてもし、その望みを、かなえてあげることが
できるならぜひ、そうしてあげてください。
よろしくお願いします(笑)
■ここで、提案です。
こうして書いてる本人も、先ほど書いた「与えたい病」でした。
かなり立派な(笑)(今は大部おさまっていますが…)
なので、何一つ偉そうなことは言えないのですが…
1つ提案があります。
ここで、一度、
「私がしてあげたいこと」と
「パートナーが本当にしてもらいたいと思っていること」
が、一致しているかどうか、
あるいは、
「私が愛情だ、思いやりだと思っていること」が
「本当にそうパートナーが感じているかどうか」
それは、自己満足になっていないかどうか?
そして、それは「してあげて」楽しいかどうか?
そんなことをちょっとだけ考えてみませんか?