■「今日のことば」カレンダー 2007年12月■
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2007-12-31 |
たった一つでいい、プラスになるものを 取り入れるよう努力してみよう。 わずか一つがやがて大きく実をむすぶ。 《ワン・モア運動》 ◎もう1分早起きするようにしよう ◎1日1回「ありがとう」ということばを多くしてみよう ◎1日1回、笑顔を多くしてみよう ◎1日1回、人に対して親切を多くしてみよう ◎欲しい物があっても、もう1回がまんしてみよう ◎買いたい物があっても、もう1日だけがまんしてみよう ◎人に道をゆずる回数をもう1回多くしてみよう ◎もう1回考えてみよう ◎もう1回やってみよう ◎1ヶ月にもう1冊、本を読むようにしよう ◎おじぎの角度をもう1度低くしてみよう ◎手紙をもう1通書くことにしよう ◎1日に1分でも歩く時間を増やしてみよう ◎未来のために、1つでいいから、毎日考えてみよう ◎味方を1人でも多くするように努力してみよう (下に続く) |
2007-12-30 |
心の扉も壊れるのです。 無理やりこじ開けて壊してしまったら、修復できません。 もし、本人の意志とは裏腹に、教鞭にこじ開けてしまうと、 心を刺激し、傷つけてしまうことがあります。 そうなると、取り返しのつかないことになってしまいます。 (略) もし、あなたが人の心の扉を開けようと思うなら、 相手の心の扉を愛情をかけながら、やさしく壊さないように、 大切に、大切にしながら、まるで氷が 自然に溶けていくように相手の凍てついた心を溶かし、 自ら扉を開けるという意志をもってもらうようにするのです。 心はゆっくり溶かしていくのです。 |
2007-12-29 |
つらい目にあったら、 きちんと自分をケアしておくこと。 癒しとは、完全に穏やかな状態に回復することである。 癒しというと、ふつう肉体の癒しが考えられるが、 感情や精神を癒してあげることも 同じように大切なものである。(略) どのような方法を選ぶかは、それほど問題ではない。 大切なのは、心身ともに、完全な状態に戻るための時間を、 きちんと確保することなのである。 |
2007-12-28 |
本物で厚みのある人間は、人が見ていようと 見てまいと、きちんとやるべきことを行うものである。 そもそもだれも見ていないといっても、実はそうではない。 天は天眼ををもっていつも見ている。それこそ、 「天網恢々疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」である。 また、自分が見ている、いくら人をだませても、 自分をだますことはできない。 自分が自分を信じられなくて、 どうして自信のある仕事ができるだろうか。 「自信」は自分を信じることである。 人なんか見ていてもいなくても問題ではない。 「天知る、神知る、我ぞ知る」でいいではないか。(略) これから何事についても、取り組むものについては、 自分が納得するまでやってみよう。 他人なんか見ていても、見ていなくてもいいではないか。 |
2007-12-27 |
役に立つか、立たないか、 という頭の中の基準でもの、人を 分けてしまわないでください。 一見役に立たないと見えるもの、 一見役に立たないように見える人でも、 自分が気に入ったものを迷わず選んでください。(略) 直観的に体全体が欲したときは、 それを手にしてください。 何かを選ぶとき、心をしずめ、 体全体がそれを欲しているかどうか感じてください。 きっといい選択ができるはずです。 |
2007-12-26 |
つらさのなかで、人ははじめて「考える」のです。 いま自分には何ができるだろうか。 どうしてこのようになってしまったのか。 「自分を見つめるとき」とは、このようなときなのです。 人は悲しいこと、つらいこと、苦しいことがなければ、 自分を見つめようとしません。 そうして、自己を見つめたとき、 他人の痛みが理解できるのです。 |
2007-12-25 |
理想の人格はいまからつくられる。 過去の過ちにこだわってはいけない。 過ちを犯したのは、過去のあなただ。 現在のあなたはもっと成長し、賢明になっている。 だから別の選択ができるはずだ。 蓄積された知識と経験にもどづいて、 これまでとは違う決断ができる。 いまや、自分の未来をたぐり寄せ、 どこでも望みどおりの方向へ進むことができるのだ。 |
2007-12-24 |
うちの小さな息子が、ある晩、キッチンで夕食の支度を している妻のそばに来て、何か書いたものを渡した。 妻はエプロンで手をふいて、それを読んだ。 芝生を刈った……5ドル 自分の部屋を掃除した……1ドル お使いにいった……50セント ママがでかけたとき、弟のめんどうをみた……25セント 生ゴミを外にだした……1ドル いい点をとった……5ドル 庭を掃除した……2ドル 合計14ドル75セントの貸し 妻は返事を待って立っている息子の顔を見た。 さまざまな思いが妻の脳裏をよぎっているようだ。 つと、妻はペンを取り、その紙の裏にこう書いた。 (下に続く) |
2007-12-23 |
フランスの優れた心理学者であるワロンが 「幼児は直接法でなく、願望法で思考する」 と述べているように、幼児は事実そのものではなく、 願望で外界を解釈する。 したがって、願望が満たされないと、 「自分は愛されていない」「嫌われている」と 感じてしまい、それに応じた自分を作り上げていく。 こうしたことがあるために、親子カウンセリングをしてみると、 一つの事実についての親とその子のとらえ方が全く 異なることがある。たとえば、ある女の子は、 家族が川の字になって寝ていた幼い頃、父親に甘えたくて 父親の方を向くと、いつでも父親は背を向けて寝ている。 それは父親は自分を嫌っているからだと思って、 いつも悲しくなったと言う。 ところが、父親にとってはそちらを向いて寝るのは、 単なる癖にしか過ぎなかった、と言うのである。 |
2007-12-22 |
休みの日は体が重くて調子が悪いという人はいないだろうか。 これはいつもより高い統合レベルで感じられた身体機能の障害である。 ゆっくりと休息できたことによって、体の感覚が戻り、 自分の体の不調に気づくのである。これは、 久しぶりの日曜日で疲労を感じるまでには体が回復したが、 疲労はまだ十分に解消されていないサインである。 「疲れが出る」という言い方がこの状態を表現している。 たまっていた疲れが久しぶりの休みで表面に出たという感じである。 このとき体は、「疲れを出す」という、 本来の機能を取り戻したのである。 しかし、疲れを完全に解消するまでには休養がとれていないので、 休みが明けて仕事が始まると、残った疲労のうえにさらに疲労が 蓄積して身体の統合性は緩んでいく。そして、断片かされた身体に 残る少々の頭痛、重み、体の不調は感じられなくなる。 体に対する感受性が落ちていくのである。 感受性が落ちて、個々の機能がバラバラに動き始めると 疲労の蓄積、身体機能の低下に気づかなくなり、 さらに無理を続けるようになる。 (注/統合性とは、一種の健康な正常体のこと) |
2007-12-21 |
次の法則を覚えておくといい。 口論が長引けば長引くほど、 お互いに自分こそが正しいと確信するようになる。 口論すると、相手を守勢に立たせる。 人は自分の見解を弁明させられると、 自分の正しさを証明する「根拠」を探し出すのだ。 |
2007-12-20 |
ビルは長年、歩道をひと足ひと足踏みしめて、 ドアをノックして回り、断られても断られてもくじけなかった。 ノックしたあとの反応がどうであろうと、たとえ返事が なかろうがと不機嫌な声が返ってこようと、 あきらめることなく歩き続けた。 ビルには心をしずめる呪文がある。 「次の家では、イエスと言ってくれる。 次の家では、イエスと言ってくれる…」 この文句をくりかえし唱えつつ、ポートランド北部丘陵地の 坂を一歩一歩のぼり、にこやかな顔で家々を訪問する。 たとえ先月、 「何度言えばわかるの?ほんとにもう、二度と来ないで!」 と言われた家であっても訪れる… 気持ちもあらたに、意気揚々と。 数ヶ月、ときには数年にわたってドアをノックし続けて、 ついにビルは砦を攻め落とす。 |
2007-12-19 |
夢をかなえるためには、苦しさがともないます。 その苦しみは焦りと不安です。 「こんなに頑張っているのに、なかなかかなえられない」 という焦りは、時間の経過とともに膨らんでいきます。 しだいに気持ちがなえ、そのうちに、焦りの渦が 大きくうねりを上げて自分を巻き込んでいきます。 「きっと駄目かもしれない」という不安が増大し、 あきらめの境地にあなたを導くのです。 こうした感情を抑え、なえそうな気持ちをふりはらうには、 ただただ自分を信じることしかありません。 「あきらめよう」「いや、頑張ろう」と 自分を鼓舞しながら、まだ見えない目的に歩いているときが、 もっとも苦しいときだといえるでしょう。 でも、その苦しみがあなたを成長させてくれるのです。(略) 本当に自分の幸せを我が手につかみたいのなら、 大いに苦しみべきです。 その苦しみが大きいほど、あなたの求めているものも大きい。 自分自身を動かすあなたの力も大きくなるはずです。 |
2007-12-18 |
世の中には、〈楽(ラク)をする〉ことが 〈楽になる〉と考えて、仕事をサボったり、 手抜きをする人がいますが、それでは〈楽になる〉 どころか、仕事がますますつらくなると私は思います。 〈楽をする〉のではなく、 〈楽しくやる〉ことで仕事が〈楽になる〉 のではないでしょうか? |
2007-12-17 |
私は、私たちに最も力を与えてくれる視点は、 「“自分はいつ死ぬかわからない”という動かしようの ない事実をたえず思い出しながら生きること」 だと考えています。 私たちは、自分がまだ何十年も生きると思えばこそ、 つまらないことにこだわってしまうのです。 地位や名誉、世間体などを気にして悩んでいられるのも、 まだかなり生きると思っているからです。 でも、もしも自分が、あと一年しか生きられない、 1年後には確実に死ぬと、と想定したらどうでしょう。 のんびりしてはいられないはずです。 他人の目や世間体を気にするのはやめて、 自分自身にとって本当に大切なことを優先して、 生きていこうと思うのではないでしょうか。 |
2007-12-16 |
何事についても、 「私はおばあちゃんだから」とか、 「私はこんなに肥っちょ(ふとっちょ)だから」とか、 自分で自分の欠点を広告をして歩く人がありますが、 私はそんな人のことを、損な人だなぁと、思います。 明るいことを考えましょう。 いつでも、花飾りのついた帽子を かぶっている気になりましょう。 きものを着ても、この着物は自分に似合う、 自分はきれいになれる、とそう信じていたいものです。 |
2007-12-15 |
わたしたちは相手の意図を知らなくても、 それを知っていると思いこむ。 さらに悪いことに、わたしたちは人の意図が よくわからないにもかかわらず、それを往々にして、 悪いものだと決めつけてしまう。 実のところ人の意図は目に見えない。 わたしたちは相手のふるまいからその意図を想定する。 言い換えれば、相手の意図をこちらでつくりだすのだ。 しかし、相手の意図について わたしたちがつくり出したストーリーは、 自分で考えるよりもはるかに不正確であることが多い。 なぜか? 人の意図とは、複雑なものだからだ。 人はときに複数の意図をもって、あるいはなんの意図もなく 少なくともわたしたちと関係ある意図は何もなしに、行動する。 そして善意から行動したにもかかわらず、 ときに、私たちを傷つけたりもする。 相手の意図にたいするわたしたちの見方 (あるいはわたしたちの意図に対する相手の見方)は、 重要なもので、根拠のない思い込みに走るのは 大きな失敗を招きかねない。 |
2007-12-14 |
あなたが挫折してしまったもの。 あなたが放棄してしまったもの。 そして、あなたがあきらめたもの。 それらの道は、結局は自分にあった道ではなかったのです。 自分にあった道を選んでください。 自分にあった道を進むというのは、 自分の意志をもっていることにもなります。 自分の意志とは、 「私はこうしたい」「私はこうなりたい、だから、 いま、こうしている」というようなものです。 たとえそれが、 友達にはカッコ悪いと思われようと、親が大反対しようと、 「自分」が本当に好きなものであることが条件です。 好きなことは、たとえ辛くても、人は頑張れるものです。 |
2007-12-13 |
自分だけが成功すればそれで 四方丸く収まるのかというと、ちと違う。 人間は社会的な動物だ。 自分の思い通りに生きたいと思っても、 いっしょに社会生活を営む周囲がある。 周囲の協力がなければ、幸福感や満足感は味わえない。 そして、周囲の協力を得るには、自分の存在が相手にとって なんからのメリットをもたらすことが必要だ。 つまり、自分もよくて相手もいい。 私もOK、あなたもOKで四方丸く収まる。 |
2007-12-12 |
あなたの中に、「成功しない」イメージがあるとしても、 それをくつがえす方法があるので、安心してください。 それは、単純に「小さな成功を実感すること」」です。 例えば、お金を手に入れたとき、 1円では「チェッ」と思っても、1万円だったら 「ホクホク」という気持ちになれるのは、 金額の差に焦点が当たっているからです。 ところが「どちらもお金だ。お金が入ってよかった」 というふうに「お金を得た」という点に焦点を当てれば、 1円でも1万円でも、「お金が入ってほかった」と、 喜ぶことができるでしょう。 これが「1%の成功をよろこぶ」コツです。(略) こんなふうにして、 1%の成功をよろこぶことができたら、あなたは同時に、 100%の成功を感じてよろこんでいることになります。 このように、1%の成功をよろこぶことができる人は、 「自信」の相乗効果で、どんどん成功率を上げていきます。 反対に、1%の成功をよろこぶことができない人は、 99%の失敗を心配します。(略) しかも、その1%の失敗を、まるで100%失敗しかたの ように感じてしまうために、その「敗北感」の 相乗効果でどんどん失敗率を高くしていくのです。 つまり成功も失敗も、原則は同じなのです。 ですから、あなたが、この原則を 「成功」のほうに生かそうと思うなら、いま、 「1%うまくいったこと、成功したこと」 それを「実感していく。それだけで、あなたは すでに「大きな成功」を手に入れているのです。 |
2007-12-11 |
「どんな話題でも、まずは相手の話に共感することが大事ですよ」 とセミナーなどで解説すると、参加者からよく出る質問がある。 「部下が会社の批判をしてきたとき、いちいち“なるほどね” などと応対していたら、一緒になって会社批判をしていることに なるのではないですか?だから、そんなふうに 共感することなどできません」というものだ。 これは「共感すること」=「同意すること」との 誤解から生じている。そうではなく、 「共感すること」=「受け止めること」であって、 なにも「そのとおりだ!」「おっしゃるとおりですよ」と 相手の意見に同意してほしいということではないのである。 相手の考えや気持ちを素直に受け止めて、ただ 「受け止めましたよ」と返してあげる。 それが共感なのだ。大げさに聞こえるかもしれないが、 「そういうふうに考えるあなたの存在を認めるよ」 という姿勢を相手にはっきりと示してあげることだとも言える。 |
2007-12-10 |
あなたに成功をもたらす鍵は、 あなた自身の「忍耐力」です。 何かをはじめて、困難にぶつかったときには、 忍耐強くあきらめずに乗り切ること、 それが紙一重の差となります。 精気をみなぎらせて 「もう一度挑戦する」ことを続ければ、 平凡ではない、類いまれな結果を 残すことができます。 |
2007-12-09 |
生きるということは、ただ心臓が動き、 呼吸し、食べて、見て、感じることが できる能力を言うのではない。 人の一生は、他者との関わりを通じて展開するもので、 人生はまさに人とのつながりにほかならない。 それは人々があなたに何をしてくれるかではなく、 あなたが人々に何をし、 互いに与えられるかということである。 |
2007-12-08 |
「歩けるうちに、行きたいところへ行け」 山へ、川へ、森へ、浜辺へ、外国へ… 「目が見えるうちに、見たいものを見よ、美しいものを見よ」 青い空や海を、緑の山々を、木々の青葉や紅葉を、 子供たちのはね回る様を、色と形と大きさの違う花々を… 「耳が聞こえるうちに、聞きたいものを聞け」 鳥のさえずりを、岸辺に打ち寄せる潮騒を、 木の葉を縫ってそよぐ風の音を、 あどけない幼子たちの上げる喚声を。 「やれるうちに、やりたいことをやれ」 ピアノが弾きたい人はピアノの前に座って鍵盤を叩き、 写真を撮って回りたい人はカメラのシャッターを押して回り、 泳ぎたい人はプールに入って、 民謡が好きな人は腹の底から声を張り上げ、 絵が描きたかった人は絵の具をつけてキャンバスに置く… (略) なぜそんなに急ぐのかと訊かれそうですが、 せかそうというわけではなく、 行うに躊躇する必要はないという意味です。 何故なら「やりたくてもできない」ときがきます。 それもそのときになって振り返ってみると、 今との間にそれほどの長い時間が流れたとは 思えないほど近い将来かもしれません。 過去を振り返れば、10年、20年、いや30年という歳月が、 どれほど短いものだったかは、私たちがよく知るところです。 |
2007-12-07 |
自分にウソをついていないか? 現時点での自分の考えさえはっきりしない、 というときには、原因がひとつ考えられます。 それは、自分にウソをついてはいないだろうか、 ということです。 自分にウソをつき、本心を覆い隠そうとすると、 霧がかかったようになって、 どこへいこうとしているのかさえ、 わからなくなることがあります。 例えば、自らの生き方について、これでいいのだ、と 納得させようとするあまりに、ムキになって仕事に 熱中してしまうような時、ふと我に帰ると、自分が何のために 頑張っているのかがわからなくなる、ということがあります。 背伸びをし過ぎたり、無理をしたりするのは、やはりどこか 自分にウソをついているからそうなるケースが多いようです。 (略) 自分にウソをつかず、素直に過去から現在までの 自分の心をたどってみると、自分が本当に望むもの、 そして、できることが見えてくるはずです。 |
2007-12-06 |
過剰な「疑い」は決してプラスには働かない。 疑いだしたらきりがないのが世の中だ。(略) いろいろなことを疑いだしても、 疑ったからといって得することはほとんどない。(略) 意味のない疑いを持たないということを 「習慣づける」のは上手に生きるコツの一つだ。 疑わなければいけないときだけ疑えばいい。 転職の誘いがきた時、大規模なリストラが 待ちかまえていそうな時、上司がなぜか自分に辛く当たる時、 そうなった時に初めて 「今の仕事は本当に俺に向いているだろうか」 と考えればいい。 何となく楽しく仕事ができている時に、 わざわざそれを疑う必要はない。 |
2007-12-05 |
正直であればよいというわけではありません。 正直は美徳と考えられていますが、いつでもどこでも 誰に対しても正直というのは柔軟性がありません。(略) では、正直でない方がよいときとはどういうときか。 相手に心の準備ができていないときのことです。 心の準備ができていないときに藪から棒に、 「君には来月から若い者と交替してもらう」 「あなたとのご縁もこれまでにしてください」 「あなたの余命はいくばくもありません」 と告げられると相当なショックです。 そして、こういう事柄を急に告げた相手を憎むのがふつうです。 |
2007-12-04 |
人の持っている好い芽は、 決して摘み取るものではなく、 伸ばすことが大切である。 芽は手当次第でどんどん伸びる。 伸びない、などとは夢にも 思ってはならない。 伸びる、 伸びる、 どんどん伸びる。 |
2007-12-03 |
自分を伝えるとは、 「事実」「感情」「思考」を伝えることである。(略) 人に自分を伝えるとか心を伝えるとは、 事実・感情・思考をバランスよく開示することです。 〈事実を伝える〉 それは何がどうなっているかの状況を 伝えるという意味です。 〈感情を伝える〉 人と友好関係を結びたければ、 あるいは人を動かしたければ、 本当の感情を表明することです。 〈思考を伝える〉 「~である」「~べきである」 という心の中の文章記述です。 (※文章の1部を抜粋しています) |
2007-12-02 |
大切なのは前向きな支援なのです。 私がほんのわずか前進しただけでも、 ジェニンは拍手を送ってくれます。 私がゆきづまっているようだと見てとると、 ジェニンはすぐにこう言ってくれます。 「できたことに目をむけなくちゃ!いいこと、 AとBとCのことはできなかったから、 来週のリストに入れておきましょう。 だけど、あなたは自分をほめるべきよ。 DとEとFができたんだから。 よくやったと思うわ。」(略) できてないことをあれこれ考えるよりむしろ、 できていることを認めます。 するとすべてが良い方向へ向かうようになります。 |
2007-12-01 |
小さなことに感謝しない人は、 大きなことにも感謝しないものだ。 |