■「今日のことば」カレンダー 2009年1月■
2024年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 112023年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2022年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2021年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2020年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2019年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2018年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2017年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2016年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2015年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2014年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2013年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2012年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2011年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2010年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2009年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2008年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2007年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2006年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2005年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2004年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2003年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2002年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2001年 : 11 12
2009-01-31 |
さっさとやればいいとわかっているんだけど…ぐずぐずと いうようなときは、たいてい 「ちゃんとやりたい」「きちんとやりたい」 とかいつのまにか思っている。 だから、タイミングがずれると、億劫な感じが出てきます。 「きちんとやりたい」から 「やるからにはきちんとやりたい」に、さらに 「きちんとやらないなら、やらないのと同じ」 というプロセスをたどると、 “オール・オア・ナッシング思考”です。 ああ、やる前から疲れます。(略) 「やるからにはきちんと…」なんて思っているから、 まだなんにもしてないのに疲れているのかも知れない。 「きちんと」じゃなくていい。 ここに気づくだけで、気持ちは違ってきます。 |
2009-01-30 |
私は、90名のエンジニアを集めて、今、自分に 降りかかってきそうなリスクを書いてもらったことがある。 そして、インターネットに載っている失敗データを 「他山の石」として参考にすると、7割のリスクに対して 有効な対応策が導け、予防できることがわかった。 7割は自分の能力の範囲内で解決できるのである。 すなわち、「危ないな」とリスクを感じたら、 7割は他山の石を模範例として利用できる。 似ている失敗を探せば7割の確率で見つかるのだ。(略) 失敗の「模範例」を頭に入れておけば、 7割の失敗は防げる。 |
2009-01-29 |
誰もが、こうしよう、ああしようと思い立つが、 さて実行となると、なかなかスタートが切れない。 時間ばかりがどんどんたって、やがて、 「いまからでは遅すぎる」と、あきらめてしまう。 こういう例は枚挙にいとまがない。 何かするというときに、人間は意外に無精にできている。 口で言うのは簡単だし、思うことなら誰にも出来る。 だから…いや、無精よりも実行となると勇気がいる。 この勇気が人間にはなかなか持てないのである。 誰もがよしと信ずるところは、どんどん実行すれば、 人間はもっと進歩したろうが、幸か不幸か、 いろいろと思いついても、それを実行する人の数は少ない。 したがって、世の中では実行力のある人は尊敬され、 認められて一歩抜きんでた存在になる。 |
2009-01-28 |
この未亡人の話を終える前に、彼女のお気に入りの 祈りの言葉を引用しないわけにはいかない。 「過ぎた富を望みはいたしません。 神さま、必要なものだけをお与えください。 また、悲しみや苦しみから解き放たれたいとも思いません。 ただ、それを英知に変える術を、この世の摂理にかなった 生き方に私を従わせる英知に変える術を、 どうかお示しください。 すべての人間に等しく授けられてはいないものを、 望むこともいたしません。 他人から傷つけられたときには、 私には相手を許せる強さを、 相手の人たちには行いを悔い改める栄光をお与えください。 最後に、私が生きるうえでどんな状況にあっても、 その状況を読みとり、的確な対応ができるように、 お導きくださいますように…」 |
2009-01-27 |
たとえばイカダに乗って川下りをすれば、 川がひとつの流れで出来ていないことがすぐにわかります。 流れが急に速くなっているところ、淀んでいるところ、 多くの流れがぶつかって複雑な流れをつくっているところ、 さまざまな流れがあるのに気がつきます。 いろいろな流れが合わさってひとつの川をつくっているように、 流れをとらえるには無数の小さな流れがいっしょになって、 全体の大きな流れになっていることを感じ取らねばいけません。 つまり大きな流れを感じ取ろうと思えば、同時に、 小さな流れも気がつかなければいけないということです。 その瞬間は小さな流れでも他の小さな流れと徐々に いっしょになっていき、やがて全体の流れを変えてしまうほどの 大きな流れになるのです。(略) 先を読むのが上手な人は、大きな流れを的確にとらえながら、 その中に芽生えている小さな流れも見逃していないはずです。 人が気がつかないようなちょっとしたサインから 変化の流れを読み取っているのです。 先にある大きなものを見ながら、 身近にある小さなものも同時に見ているのです。 “大きくとらえて小さなものにも気がつく” これが流れを感じ取る上での重要なポイントです。 |
2009-01-26 |
反対されることを期待して、相談していないか? 反対されて、内心ホッとしていかないか? 相談する人の大半は、 反対してくれることを望んでいるのです。 反対されることで、 行動に移さない言い訳を作りたいのです。 「そうか、仕方ないな」と、 がっかりしながら、内心ホッとしているのです。 世の中には、「やめた方がいい」と 反対してくれる人がたくさんいます。 そのほうが、親身になっているような 気分に浸れるからです。 反対されることを期待している人と、 反対してくれる人が大勢いるから、 ほとんどの人が何もしないで終ります。 |
2009-01-25 |
信頼の反対の不信はどんなところからうまれるのでしょうか。 多くの場合は、相手の実力に対して 高すぎるハードルを設定し、高い立場からのギャップ、 未達成の部分を見る姿勢から始まります。 親や教師や上司は、子供、生徒、部下に比べて 知識や経験が豊富です。 すると、その立場からものを見るわけですから、 どうしても相手を低くしか見えません。 不信感を持つ場合のメッセージにはある種の特徴があります。 「タラ」「レバ」を使うことです。 「あの子がもう少し素直だっタラいいのに」 「整理整頓をしっかりやレバいいのに」 「タラ」「レバ」を卒業しない限り、信頼は不可能ですし、 そのようにみている自分の精神的な安定もありません。 信頼することは、相手ばかりだけでなく、 自分自身のためにも必要なのです。 |
2009-01-24 |
人に対して好意・感謝・敬意の念があるにもかかわらず、 言語で上手に表現できない人がいます。 頭を2,3回下げるのが精一杯というわけです。 こういう人は、葉書とか手紙で心情を伝えることです。 たとえば、ご馳走になった、駅まで車で送ってもらった、 就職の世話になった、原稿に目を通してもらった、 病院を紹介してもらった、身の上相談にのってもらった などのあと、礼状を出すことです。 こういう場合に何の反応も示さないから 人に正しく理解してもらえないのです。 つまり自分の気持ちを人に伝えるということは 意外にこまめな作業です。 仲間と同じ能力を持っているのに、自分だけが認められないと ぼやく人は多分、日ごろのフィードバックが足りないから ではないかというのが私の推論です。 |
2009-01-23 |
平凡な話ししかできないのは、 その人自身が平凡だから、というだけではない。 その人が、「おもしろいことを言おう」という 強い意志を持とうとしていないからだ。 その強い意志がないから平凡な話になるのだ。 絶対に他人と違うことを話そうと思っている人か、 そうでない人かで、人は大きく二つに分けられる。 他人と違うことを話そうと思わない人には永遠に進歩がない。 その挑戦する気持ちのなさが相手にも伝わってしまうから怖い。 |
2009-01-22 |
まだ先のことで、悪い状況を想像して くよくよしてしまうことがあります。 うまくいかないのではないか、悪いことが起こるのではないか、 大変なのではないか…、悪い状況になったらどうしよう、 困る、イヤだなどと考えてしまいます。 そんな時には、「その時はその時」と悪い状況を覚悟すれば、 必要以上に悪い状況を恐れなくてすみます。(略) 一生懸命に考えてやれるだけやろうと思っているなら、 あとはうまくいくことを期待したほうがいいのです。 それでもうまくいかない時には、「その時はその時」です。 実際にその時になってから、苦しんで努力すればいいのです。 「その時はその時」という覚悟には、悪い状況になっても その時のベストをつくそうという決意も含まれています。(略) 「その時はその時」と、将来のことは将来の自分に任せて、 今の自分を大切にしてくよくよしないほうが いいのではないでしょうか。 |
2009-01-21 |
たとえば、人から頭にくるひと言を浴びせられた時、 「どうして自分がこんなことを言われなければいけないんだ」 「信じられない」「なんだこの人は」「許せない」 のような思いがあると、怒りや悲しみが強くなり、 自分をコントロールするのが難しくなってしまいます。 そんな時「こんな人もいる」と考えることが、 自分を取り戻す第一歩になります。 ふだんは悪い人ではない場合には「(この人にも) こういうことはある」と考えればいいでしょう。 「なんだ、この人は」と思うのと、「こんな人もいる」と 思うのとでは、感じ方がすいぶん違います。 そういう人に対してどう接したらいいかも考えやすくなります。 世の中にはいろんな人がいます。 無礼な人も無神経な人も意地悪な人もたくさんいます。 すべての人がやさしくて思いやりがあるということは、 残念ながらありません。 「世の中にはイヤな人もいる」というのは事実なのです。 「許せない」という気持ちはよくわかります。 許す必要はありません。でも「こういう人もいる」 という事実、現実にさからってもしかたありません。 それを受け入れることは、自分のためのなのです。 |
2009-01-20 |
“生きる醍醐味”というものは、 「自分自身の毎日の生活環境において、 一体どうしたらより楽しく生きることができるか」 という問題意識を持って生きることです。 人生は思い通りにならないから面白い代物なのです。 この世の中に、100のうち、 100すべてが思い通りになる人はいません。 だからこそ、人間は、 「自分なりに工夫して生きる」 という面白さを味わえるのです。 |
2009-01-19 |
世の中には、口達者は数え切れないほどいるものです。 そもそも、言葉というものは、やっかいな代物です。 “口で言うのはタダ”ですので、人はありとあらゆる問題に ついて言葉巧みに表現し、それを喋ろうとします。 言葉には、それを操る人間の個性や持ち味が出るばかりでなく、 その本人の「倫理観」や「正義感」も表れます。 といいますのは、言葉というものは、それをタダで喋れる一方 「人間としてどうあるべきか」という本人の倫理、正義に 関する感覚が直接的にも間接的にも表現されるからです。 言葉に対するそうした認識をもとに、私たちは、 「言葉より行動がモノを言う」ということを 忘れてはなりません。 たとえば、美辞麗句を並べるだけの軽口は、誰でも どんどん言うことができます。しかし、軽口だけでは、 人もビジネスも動かすことはできません。 人を動かし、ビジネスをより望ましい方向性に導くためには、 自分自身で具体的な行動をとり、 「周囲の人々の手本」になることが重要です。 「100の軽口よりも、 「1の行動そのもの」がパワーを発揮するのです。 |
2009-01-18 |
昔私にあった「足かせ」を紹介します。 「がんばらなくちゃ!」 「急がなくちゃ!」 「完璧にしなくては!」 「人並みにならなくては!」 「人に好かれなくては!」 「世間に笑われてはダメ!」 「いつも正しいことをしなくては!」 「人のためにならなくては!」 「ちゃんとお給料をもらわなくては!」 たくさんありますね。みなさんも、 この調子で(自分の「足かせ」が)見つかるでしょう。 こういった思考パターンがいつのまにか、 私たちの脳裏に刷り込まれています。 この「足かせ」を取ると、とても楽になって、 自分で自由に発想できる余裕ができてくるのです。 では、はずしたらどうなるでしょう! 「がんばらなくていいのよ!」 「ゆっくり、好きなペースで!」 「完璧はやめて!やれるところまででいいの」 「人と違ってもいいのよ!自分らしく!」 「無理に人に好かれなくていいのよ! 好きな人から好かれれば!自分が自分をすきならね!」 「世間は気にしないで!笑う人には笑わせておいて! むしろ、笑われてエクスタシー」 「正しい、正しくないではなくて、好きか嫌いかです!」 「自分がやりたいことが、自然に人のためになるわ!」 「お給料をはらってもいいのよ!」 マイナスの思い込みをプラスに言い換えて、 潜在意識に入れ直してみましょう。 「使命病」をはずして、もっと自由に感じてみましょう! |
2009-01-17 |
自分の気持ちを正面からみつめるのが怖いという人もいますが、 そこから目をそらせていては、自分の心の核心にも、 状況の核心にも触れることができません。 心の奥深くへ踏み込んでこそ、決断や問題解決の鍵がみつかり、 歓びを得ることができるのです。 自分の気持ちにじっくり耳を傾けることができる人は、 他の人の気持ちにも耳を傾けることができます。 自分自身の感情の自然な流れを中断しがちな人は、 他の人に対しても同じことをしがちですし、 相手が本心を言えなくなるようなことを口にしがちです。 感情の自然な流れを恐れ、むりやり抑えこんだりしていては、 自分自身とも他人とも打ち解けた関係にはなれません。 ありのままの気持ちを素直にみつめ、 自分にも他人にも心を開きましょう。 さまざまな出来事を通して、 積極的に自分の気持ちを理解するように心がけましょう。 そうすれば、人生の幅は広がり、自分とも他人とも、 より深く交わり、もっと歓びを感じられるようになるのです。 |
2009-01-16 |
「思う」は日本型、「考える」は西洋型。 日本人は「思う」で情緒的、 論理や理屈より、人に対して気配り、思いやりが大切型。 西洋人は「考える」で論理的、合理的、割り切り型。 「考える」ということばは、論理的、合理的、科学的、 物理的なもの、に対して使うのに適している。 日本人もこのごろでは、 「考える」ということばをよく使うようになった。 しかし、私たちの「考える」は、 「思う」ということといつも混線している。 「考える」といいながら、「思っている」。 だから考えが進まないし、うまくまとまらない。 「思う」と「考える」との区別を自覚することが大切である。 現代は、科学の時代、合理主義の世の中でもあるので、 日本人は二刀流を上手く使いこなすことが必要。 (※一部、わかりやすくまとめました) |
2009-01-15 |
「快癒力」という本の著者、 篠原佳年さんに会ったとき、1つ興味深い話を伺った。 篠原さんは何かを習得しようとするとき 「人の10倍はやってみる」ことをモットーとしている、 というのである。 2倍、3倍の努力では結果は知れている。 だが、ケタの違う努力をすれば、才能のあるなしなんかに 関係なく、何かが確実に得られるというのだ。(略) 私たちは何かを始めようとしても、すぐに 「もう遅い」とか「才能がない」といった言い方をする。 実際、やってみてもなかなか進歩しない。 それであきらめてしまうことが多いわけだが、ここに1つ、 「ケタ違いの努力」という妙法があったのだ。 この方法のポイントは「何も考えない」ことにある。 「できるか?」といった疑問を一切さしはさまない。 ひたすら最低、人の10倍の努力をするのだ。 なまじ先の見通しを持つと、疑念や雑念、無力感、怠け心が、 生まれてきて、やる気がうせる。 この落とし穴に落ちていることが多いのではないか。(略) 何かでプロの域に達した人間は、 人の10倍くらいの努力は朝飯前にしているものなのだ。 あなたは「これだけは人の10倍は間違いなくやった」 といえるものがどれだけあるだろうか。 そういえるものは、きっと 「モノになっている」はずである。 |
2009-01-14 |
求めない人には 社会は何も与えない 強い願望こそが、 成功のカギである 求め続ける人は運命的な人と出会う。 求め続ける人には、何かをつかむ時が必ず訪れる。 何らかの好機をつかみ、それをものにする前提は、 自らしっかりした具体的な目標を持ち、 それを求め続けることだ。 断固としてその目標に向かい、 ひたすら歩み続けたら、やがて道は開ける。 あなた自身の願望、それにかける熱意が成功のカギである。 燃えようじゃないか、お互いの幸せのために… |
2009-01-13 |
皆さんは、人の話を聞いていて(公の場での話) 辛くなってしまうことはないだろうか? 私にはよくある。 それはなぜかと考えると、聞いていた話にあまりにも 意味が含まれていないからだ、という結論にいきついた。(略) 人の話もそこにどれだけの意味が含まれているかが重要だ。 私が「いい話だなぁ」と思うのは、意味の含有率が高い話だ。 実は、多くの人も話を聞くとき、本能的に、 「意味の含有率」感覚を使っている。(略) ただ、自分が話すとなると、この「意味の含有率」の 意識が働かなくなってしまうことが多い。 話すときには、意味の含有率に対して意識を持っているか、 いかないかで、大きな違いが出る。 「意味の含有率」という感覚を持たない限り、 話はけっして上手にならない。 |
2009-01-12 |
日本は「先憂後楽」という言葉がある。 先のことを考えて「今は我慢する」ということがあってもいい。 だが、それが行き過ぎると、 いったい何のための人生かわからなくなる。 人生、そのときどきのプロセスを愉しむ姿勢は 最低限持つべきだろう。 人生のプロセスとなると、どれも些細なことばかりである。 「お昼、何を食べる?」「今日は何を着ていこうか」 人生のプロセスとはこういうことの積み重ねである。 だが、それが大切なのだ。 大望を抱き目的に邁進するのも結構だが、 些細な事柄で愉しめる体質を作っていかないと、 1つもリラックスできないまま人生の幕が 下りてしまうかもしれない。 私自身、毎朝「今日は何を着るか」を考えるのが 大きな愉しみなのである。 こういう種類の愉しみをたくさん持っていることが、 人生を豊かにするコツではないか。 |
2009-01-11 |
山と手をつないでいる人は、とても山の好きな人です。 海と手をつないでいる人は、とても海が好きな人です。 その山が目の前になくても、その海が目の前になくても、 心の中で山や海と手をつなぎあうことができます。 そこに喜びを感じ、また幸せに感じます。 私たちにとって今大切なことは、 人と人とが手をつなぎ合うことです。 これは簡単なように思えますが、以外と難しいのです。 特にこちらから手をさしのべるほうが大変です。(略) 私たちにとって人との平和をつくるには、 こちらから、手をつなごうとする勇気が必要です。 何度もこちらから手をつなごうと努力する。 切り離されても、切り離されても、もう一度、 相手を大切に思って手をつなごうとするのです。 それがやがて、私たちの幸せに通じていくのです。 |
2009-01-10 |
ストローク(※)のプラスマイナスには、1つの法則がある。 「人はストロークを求めてやまない。 そしてプラスのストロークが得られない場合、 マイナスでもいいからストロークを求める」 相手の態度や行動から、 愛情というストロークが感じられないと、 人はわざと相手にいやがられるような行為をとる。 愛情を得たいのだが、それがかなわぬとみると、 反感というマイナスのストロークでもいいから、 代償がほしくなる。 マイナスよりも、 ストロークがゼロの無反応がもっともこたえるのだ。 ※ストロークとは、簡単にいうと「刺激」 この本は交流分析(TA)理論を元にしています。 |
2009-01-09 |
あなたがいま家庭や仕事で行き詰まっていたり、 不満があるなら、事態の好転に向けて 大きく変わるかどうかはあなた次第である。 未知の世界は暗くて得体のしれないものだから、 大きな変化は、当然ながら怖いかもしれない。(略) 忘れてならないのは、 行動しないことに対しても、結果が生じることである。 そして、その結果にともなって起きる変化に 対処するしかない。 だが、困ったことに、その場合、 弱者の立場で対処しなければならないのである。 他方、先を見越して行動し、 人生に有益な変化をもたらすように自制心を働かせれば、 強者の立場で対処できるのだ。 もちろん、うまくいく保証はない。 あなたの行動は裏目にでるかもしれない。 だが、少なくとも、それは受け身ではなく 自発的な行為なのである。 |
2009-01-08 |
自分の勝手に使える時間が、例え30分だったとしても、 これを確実に人生の目標のために使うとすると、1ヶ月では、 「900分=時間にして15時間」 およそ、2日分の仕事時間に相当します。 もし、1時間使うとすれば、この倍、 「30時間」が自分のものになります。(略) これを1年間実行すると、大ざっぱに計算して、 (1日分の仕事を約7.5時間とした場合) 30分では、およそ23日分 1時間では、およそ45日分 2時間では、およそ90日分 3時間では、およそ135日分 が、自分の自由になる時間です。 実行できない日を勘定にいれて考えて、 まあ全体で60%実行できればよいとします。 そうすると、 30分では、およそ14日分 1時間では、およそ27日分 2時間では、およそ54日分 3時間では、およそ81日分 なんと、1時間では、1年のうちおよそ1ヶ月、 2時間では、2ヶ月を自分の時間にすることができます。 実に、楽しい限りではありませんか。 |
2009-01-07 |
ある時代において最もすばらしいと言われる出来事が、 次の時代には全く逆の見方がなされることがあります。 それは、出来事の事実が変わったわけではなく、 その出来事に対する解釈が変わってしまったからです。(略) 人生ではいろいろな状況に直面します。 しかし、どのようなことに遭遇しても、 どのような過去があったとしても、また、 どんな未来があなたの前に待ち受けていても、 あなたの考えをより前向き肯定的に 入れ換えることができるのです。 その時、より豊かな人生の解釈が成り立ち、 そこに新しい世界が生まれ、やがてあなたの 血となり肉となり、現実となっていくのです。(略) あなたの人生を振り返ってみて、 「あのことさえなかったら」と思うようなことがあったなら、 「あのことがあったゆえに」と思えるような人生に 変えていきたいものです。 |
2009-01-06 |
あの人は、すごいとか、 あの人は、才能があるとかよくいわれますが、 そういう言い方をする前に忘れていることが1つあります。 そう言われる人は、間違いなく そのことに時間をかけているということです。 自分には才能がないのではないか。 センスがないのではないか。 そう思ってしまうことがあるかもしれません。 けれども、それはたいていの場合、 あなたに能力がないからではありません。 単に時間をかけてないだけなのです。 時間をかければ、 たいていのことはできるようになるものです。 |
2009-01-05 |
もともと地上には 道はなかった 自分の道は自分の手で つけていく以外にない。 「宇宙から見た地球上には国境はなかった」という 宇宙飛行士たちのことばは、多くの人に感銘を与えたようだ。 国境だけではない。 地球にはもともと道だってなかった。 人が自分たちの便利さのためにつくったものだ。 人生という抽象的な道でも同じことが言える。 人は生まれたときからその一生を決定づけられ、 絶対の路線が引かれているわけではない。 自分の生きる道は、自分でつくっていく以外にない。 |
2009-01-04 |
人生のどの時点においても、 ある方向へ進む決断をすることは可能です。 たとえあなたをしきりに他の方向へ向かわせようとする 不安があっても…です。 夢の実現を信じるなら、 思い切ってやってみなければなりません。 すべての障害が取り除かれたと思えるようになるまで 待つなら、永遠に待つことになるかもしれないのです。 「実現したいなら、思い切ってやってみる」 ことです。 |