■2009年01月16日の「今日のことば」■
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「思う」は日本型、「考える」は西洋型。
日本人は「思う」で情緒的、 論理や理屈より、人に対して気配り、思いやりが大切型。 西洋人は「考える」で論理的、合理的、割り切り型。 「考える」ということばは、論理的、合理的、科学的、 物理的なもの、に対して使うのに適している。 日本人もこのごろでは、 「考える」ということばをよく使うようになった。 しかし、私たちの「考える」は、 「思う」ということといつも混線している。 「考える」といいながら、「思っている」。 だから考えが進まないし、うまくまとまらない。 「思う」と「考える」との区別を自覚することが大切である。 現代は、科学の時代、合理主義の世の中でもあるので、 日本人は二刀流を上手く使いこなすことが必要。 (※一部、わかりやすくまとめました)
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日本人は心情を思い、西洋人は論理を考える…
なぜ、このような違いがあるかというと、 宗教と社会のしくみの違いが、その背景にあるという。 西洋は、キリスト教で、一神教であるので一元論。 スパッと割り切れる。 それに対して日本は、「八百萬(やおよろず)の神」がいて 割り切れない。論理もすっきりしない。 社会のしくみも、西洋の個人主義、日本の集団主義と対照的、 だから、どうしてもすっぱりと「論理的」にはなれないし、 「論理的に考える」に、なじまないところがある、 と、この本では言っている。 私自身も、あまりに「論理的」に来られると、 どうも何か違うという感じを受けるし、 「論理的に考える」ことが今ひとつ苦手である。 しかし、「思う」と「考える」との区別… これは、考えてみるべきことだと思う。 あまりに感情的に、心情的に走りがちなら、 「論理的」にも考えてみることが大事だし、 あまりに理屈や論理に走り、割り切り過ぎなら、 「人の心」にも思いをよせて、思いやることも大切だ。 「思う」と「考える」をうまく使いこなせることが、 確かに大切なように思う。 |
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