■「今日のことば」カレンダー 2019年10月■
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2001年 : 11 12
2019-10-30 |
写真家の土門拳さん(1909年~1990年)は、 日本文化の美をカメラで追求するとともに、 ファインダーから数多くの人物を観察し、 すばらしい写真を残しました。 その写真集のなかに、 「気力は目にでる。 生活は顔にでる。 教養は声に出る。 心に秘めたる感情は口のまわりに出る。 年齢は後ろ姿に出る。 そして悲しみも…」 という名文句があったと記憶しています。 本人は気がつかなくても、 心が外面に出てしまうものなのです。 誠実さや謙虚さ、熱意や品位などのプラス面も、 また横柄さや尊大さ、やる気のなさなどのマイナス面も、 態度を見れば誰にでもわかるので油断ができません。 相手に不快な感じを与えたり、反感をもたれるような 態度であったとしたら、どんなによい話を準備しても、 その効果はなくなるか、馨しく低下してしまいます。 |
2019-10-29 |
自分の愚かさも認めてあげよ。 (鎌倉時代の禅僧 道元) 誰にだっていただけないところはあります。 しかし、それは時と場合によって、 その人の大きな魅力になります。 たとえば、 会議で自分の意見を言えないことで悩んでいれば、 「それだけ周囲との調和を大切にしている証拠で、 これも自分の魅力の1つだ」 と受け入れてしまうのです。 そうすれば、自分を責め立てることもなくなるだろうし、 不快感が身体の奥底から溶け出すのを痛感することでしょう。 |
2019-10-28 |
他人に汝の秘密を守らせんとせば、 まず汝自身が守れ。 (古代ローマの哲学者 セネカ) 哲学者、セネカにまつわるエピソードを紹介しましょう。 あるとき、セネカにとても優秀な助手がつきました。 ところが一ヶ月もたたないうちに、 セネカはその助手を解雇してしまいます。 友人がセネカにその理由を尋ねると、 セネカは次のように答えたのです。 「あの助手は確かに優秀だったが、信用できなかった。 彼は私と雑談すると、決まって 「ここだけの話ですが」と前置きして、他人の秘密を口にした。 本来、私が知ってはならないようなことまでもね。 ということは私だって陰でどう言われているかわからない。 「ここだけの話ですが、セネカ先生は……」 といったように。 だから解雇したのだ」 |
2019-10-25 |
・どうせ、宝くじなんか当たらないよ。 ・給料なんか、下がる一方だよ。 みなさんの周りには、この「どうせ」や 「なんか」などの「余計な一言」を使って、 周囲を陰々滅々とさせている人はいませんか?(略) また、自分が主語になり、 さきほどの「どうせ」が付くと やはりマイナス思考を表すことばとなってしまいます。 「どうせ俺なんか」と言っている人のところに いい仕事はやってきません。 私自身も、基本的にそれほど楽観的な性格ではないのですが、 最近は「とにかく勧められたらなんでもやってみよう」 「きっとなんとかなる」と何ごとにもチャレンジしています。 もちろん、すべてが順調に進み良好な結果をもたらして くれるわけではなく失敗も多いですし、 手が回らずほかの人に迷惑をかけることもありますが、 「私なんか」と思っていた頃よりも、 多くの仕事を任されるようになりました。 自分にとって「なんか」や「どうせ」が、 まさに「余計な一言」だったようです。 みなさんも、自分を縛っている 「余計な一言」を止めてみませんか? |
2019-10-24 |
100点を基準にすると、 どんなに頑張ってもマイナス評価になるが、 0点を基準にすれば、 たいていのことはプラスに評価できる。 和田浩 |
2019-10-23 |
職場の上司からきつくいわれた、 近所の奥さんから嫌味をいわれた、 母親が優秀な弟と自分を比べてもっと頑張れという、 など悩みは尽きず、それで落ちこんじゃった式で、 相談に来られる人は、毎日たくさんおられる。 そんなとき、人気漫画家、 蛭子能収(えびすよしかず)の日めくりカレンダーと、 このことばを紹介する。 「みんなおせっかいなこと言ってくるし、 嫌味を言われることもあるけど、 でも言うのは自由だからさ。 それを止めることはできないんだよ。 他人はそもそも嫌なことを言ってくるもの。 自分が言ってほしいことは言わないものだと最初から 思っていた方がいいですよ」 (「生きるのが楽になる まいにち蛭子さん」PARCO出版) |
2019-10-21 |
身体の痛みを伴うこと、 つまり暴力は、目に見えるから禁止できる。 しかし、心に傷を与えないようにするのは難しい。 必ずしも目に見えないからである。 しかも痛みに対する感受性は、 人によって違うこともわかっている。 同じ傷でも、耐えられる人と耐えられない人がいる。 痛がる人と、そう痛がらない人がいる。 その2つがあるということは、進化の過程で、 そのどちらにもそれなりの意味があったということであろう。 戦前か戦中なら、身体の痛みは徹底的に我慢しろと教えた。 戦後は徹底的に傷みは避けよ、与えるな、と教える。 どちらも極端であろう。 実情はその中間に落ちる。 私は半分生きているが、半分はもう死んでいる。 |
2019-10-18 |
目を三角にして他人のウソをとがめても仕方がない。 でもウソはつかないほうがいい。 あとで話がいろいろ面倒になる。 個人のウソは憎めないことが多い。 でも組織のウソはいただけませんなあ。 だからウソをつかざるをえない地位には就きたくない。 現役のころ、科学研究費を申請する書類を 書かないことに決めた。だって、 「この研究の有用性」などという項目があって、 そんなもの、結果が出てみなけりゃわからない。 あえてそれを書く。 そういうことを繰り返していると、ウソをつく癖がつく。 そう思ったから、私は申請書を書くのをやめた。 でもそうすれば、当然ながら研究費はもらえない。 社会システムが、時と場合によっては、 こういうふうにウソを強要しているのも事実である。 それに個人で反抗すれば、それなりに損をする。 でも捨てる神があれば、拾う神がある。 私はそれでも生き延びてきたから、 拾う神がいたのであろう。 目先の得だけ考える。 この習慣をやめれば、 社会のウソはずいぶん減ると思いますよ。 |
2019-10-16 |
♀「血液型、何型?」 ♂「AB型だけど…」 ♀「あ~やっぱりね、そうだと思った、きゃははは」 ♂「……(何だよ)」 こんなふうに十把一からげにされると 不愉快になるのは、個人の人格や性格を無視して、 「AB型はこういう性格」と決めつけられるからだ。 まるで「その他大勢」としてくくられるような気になる。 「まあ、あなたは普通レベルの社員ですね」 と言われると、とても馬鹿にされた気がする。 男性なら「あなたって普通の人よね」と女性に言われたら、 ショックでしばらく立ち直れないはずだ。 このように「特別でないこと」を意味する言葉は、 ポイズンワード(毒ワード、ネガティブワード)となる。 |
2019-10-15 |
コミュニケーションは、 ひと手間かけた者が勝つ! 他者とのより良いコミュニケーションを目指すなら、 言葉は慎重に選ぶべきだ。 思いつくままに言葉をはき出すのではなく、 「いかに良いコミュニケーションをするか」 「良いコミュニケーションのためにこのセリフは有効か」 という観点から言葉を選ぶ必要がある。 たとえば、手の届かない位置にあるグラスを 取ってもらいたいとき。(以下の一部略) ×「そのグラス取って」(ぶっきらぼうに) ○「○○さん、たいへん申し訳ないのですが、 そのグラスを取ってもらえますか?」 良好な人間関係が築けない人は(○のような一言を添える) このひと手間がかけらないのである。 相手が何かをしてくれたら、 ひと言「ありがとう」と言えばいい。 それなのに、 「やってくれて当たり前なのだから礼など言う必要はない」 などと考えて素直な「ありがとう」が言えない。 ほんのひと言のセリフが出るか出ないかによって、 人に与える印象は大きく変わるのだ。 |
2019-10-11 |
フルマラソンに参加し、めでたくゴールインした後、 ゴールの場所が間違っていたので、 あと5キロメートル走らないと完走したことにならない と言われたら、ほとんどの人が「ふざけるな!」 と言って、カッとなってしまうのでしょう。 ゴールしたと思って一度オフになった脳を、 改めてオンにするのは、かなりのエネルギーが必要です。 脳はそれを嫌がって、イライラのサインを送ってきます。 では、こういう形でイライラしないようにするには、 どうすればいいのでしょうか? それは、自分の中にある想定内の範囲を広げていくことです。 どんなことが起きようが想定内のことであれば、 イラッとすることはありません。 誰かと話していて、なかなか理解してもらえないときに イライラしそうになったら、 「すぐに理解してもらえないのは想定内」のこととして、 イライラしないように自分に言い聞かせます。 このように気持ちを落ち着かせることができれば、 「もしかしたら、自分の説明が下手なのではないか」 と、冷静な姿勢を保つことができるはずです。 |
2019-10-10 |
師匠立川談志の晩年の口癖は、 「愚痴ってとても大事なんだよな」 というものでした。 愚鈍の「愚」と、痴情の「痴」という、 忌み嫌うべき言葉が2つも用いられている「愚痴」。 たしかに、嫌な響きではありますが、 「人間には、こんな唾棄(だき)すべきような言動があるから、 それでガス抜きにもなり、日常を円満に送ることが できるんだ」 ということを師匠を言いたかったのでしょう。(略) 身体の老廃物同様、 自慢話、愚痴、悪口は「心の澱(おり)」ともいえます。 自慢話も愚痴も悪口も、程度の問題はありますが、 日常生活上、誰にとっても不可避なものといえるはずです。 この3つをのべつ垂れ流していれば、 そりゃ誰も寄りつかなくなるのは目に見えていますが、 避けられない以上、上手に向き合うようにしたほうがいい というのが、談志曰く 「愚痴ってとても大事なんだよな」 ではないでしょうか。 便秘が病気の引き金になる可能性があるように、 嫌うあまりに、「精神的な便秘」 になってしまうのも怖いと思います。 生活するば、ゴミが出るのは当然です。 |
2019-10-09 |
「これ」が「あれ」を生む。 あるヨガの達人の言葉に、 「これをつかめば、あれをつかむ」 というのがある。 まったくそのとおりだ。 すべての「これ」には、「あれ」がともなう。 「あれ」は、必ずしもネガティブなものではないが、 常に「これ」と同じ重みを持っている。 たとえば、あなたの目標が名声だとすれば、そこには、 有名人としての生活の不自由さがからんでくる。 大きな富を手にすれば、それを守る必要が生じるし、 昇進すれば、責任が重くなってプレッシャーもきつくなる。 企業家になることには、必ずリスクがつきまとう。 よいことがにも必ず悪い面がある、と言っているのではない。 私が言いたいのは、選択の後には必ず、 断ち切ることのできない変化がついてくる、ということだ。 |
2019-10-08 |
義務は、いやいやするものではなく、 気持ちよく受け入れるものです。そして、 決められたルールの中で、自分の役割を果たすことは、 グループや組織、そして社会に貢献することです。(略) 義務を怠る人は、 それが小さいものでも大きなものでも、 社会的なものであっても、プライベートなことでも、 きちんと自分の役割を果たすことができません。 心の中で、義務に対して反抗する思いがあるからです。 仕事や役割がどんなものであっても、 正確に、心を集中して取り組むように心がければ、 わがままなずるい考えは、心から消えるでしょう。 そうした心の態度は、真実に向かって、 自分を大きく前進させることになります。 精神的に優れた人は、 たとえ「義務」であっても、 自分の仕事や役割は、責任を持って、 より良く果たそうと力を注ぐものです。 |
2019-10-07 |
師匠の立川談志を、才能の人と評する人もいますが、 周辺の大多数の人は、努力の人だと言います。 学歴コンプレックスのなせる業、とにかく よく勉強していたと、みな口を揃えるのです。(略) 後年、談志は高座でこう言うようになりました。 「勉強しろと言ってもしねえやつはしねえよ。 勉強するなと言ってもするやつは隠れてでもするんだ」 と。 勉強を仕事や努力という言葉に置き換えるとより わかりやすいかもしれません。 する人はするし、しない人はしない、 という事実があるのみです。 成功を夢見るのに努力はいりません。 しかし成功を手に入れるには、 人のできない努力をしなければなりません。 |
2019-10-04 |
わたしは、ひとりの時間が好きです。 自分勝手だと思われていいの。 子どもが家を出て行き、 二度と一緒に住みたがらないと言って、 寂しがっているおかあさん達。 ちょっと周りを見回してごらんなさい。 やろうと思えばできる楽しいことが、 たくさんありますよ。 人生、長くはないんですもの。 うかうかしていると、 何もできないうちに終わってしまうわ。 |
2019-10-03 |
「ご隠居さん、ここから、西へどこまでも、 ずっーとまっすぐに行くてーと、いってぇ、 どこへ行くもんでしょうかねえ?」 落語の中で、八つぁんが、 もの知りのご隠居さんに尋ねているシーンです。 隠居「それは、西の果てに行きつくな」 八 「その果ててえやつを乗り越えて、まだ、 どんどん西へ行くってえと、どこへいきますかい?」 隠居「しまいには、底なしの谷にぶつかってな、 そこから先へはもう行けない」 八 「その谷を、なんとか乗り越えて、どんどん 西へ行くと、どうなりますかい?」 隠居「しまいには、高い塀があって、もう進めない」 八 「そこをなんとか乗り越えて、どんどん 西へいくと、どうなるんで?」 隠居「うーん」 と、ご隠居さんは大いに弱ってしまいます。 なぜ、ご隠居さんが弱ってしまうかというと、 それは、素直に「解らない」と言えないからです。 なぜ、解らないと言えないかというと、 知らないと言うことは、「もの知り」の 沽券にかかわると思っているからです。 しかし、これは 落語の世界にかぎったことではないのです。 解らないことを解らないと素直に言えないヤカラは、 いい大人の世界にもいくらでもいるのです。 われわれ人間が、自分自身の能力の限界について、 謙虚に考慮をめぐらせば、むしろ知らないことの方が、 知っていることより、はるかに多いにことに 気がつくのではないでしょうか。(略) あるがままに見て、 「自分は知らない」あるいは 「自分には解る能力がない」と理解したら、 素直に「解りません」という答えが出す方がよろしい。 |