■「今日のことば」カレンダー 2009年12月■
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2009-12-30 |
まわりが暗くても 暗くなるな |
2009-12-29 |
許すということは、損をすることなのかも知れないと思う。 だから、難しいのだ。(略) 貰えるはずのものが貰えなかっただけでも、 「損した」と思うのに、こちらがそれを与えるなんて、 これでは、“ダブルの損”だと、私は思ったのである。 ところが、やがて気づかされたのは、 ダブルに損をすると、「得になる」ということだった。 “シングルの損”だけにしておくと、 残るのは、腹立たしさや口惜しさだけであり、 折りあらば仕返しをと考える自分だけである。 ところが思い切ってダブルに損をすると、 そこには、ほめてやりたい自分が残り、 「よかった」という満足感が残るから不思議だ。 しかし、ダブルの損をするのは、決して易しいことではない。 |
2009-12-28 |
あなたが変われば、 まわりの人も変わる あなたが動けば まわりの人も動く まわりの人を変えようと思うあまり 疲れていませんか? それより先に、自分を変えましょう あなたの考え方が変われば、 まわりの人も変わるのです |
2009-12-25 |
微笑み…それは人に与えても一向に減りはしない。 しかし、貰った人を限りなく豊かにする。(略) 微笑み…それを生み出すのに時間は少ししかかからない。 しかし、それを受けた人の記憶の中に、 永遠に残ることさえある。 微笑み…それは家庭の中に幸福をつくりだし、 職場に善意をつちかい、友情を養う。 微笑み…それは疲れ切った魂に安息を与え、 失望した人に励ましを与え、 悲しい心に光をもたらす。 それはあなたの心の奥底からわき出して、 惜しげもなく与えられたときだけ値打ちが でてくるものである。 ある人々は、あなたに微笑みを 与えることができないほど、疲れている。 だから、その人に、 微笑みをあげることができるのはあなたである。 |
2009-12-24 |
みなさんが誕生日のパーティにどこかに招かれていらした時に、 その日お誕生日をお迎えになった方を、そっちのけにして、 集まってきた人々だけがお互い同士、贈り物を交換していたら、 随分失礼にならないでしょうか。 その日、お誕生日を迎えたご本人は、 随分淋しい思いをなさるのではないかと思うのです。 そして、クリスマスがそうなのです。 実は、本当にプレゼントを差し上げなければいけないご当人、 イエス・キリストがどこかに 忘れられてしまっているのではないでしょうか。 贈り物をいただくにもっともふさわしい方は、 イエスさまであって、必ずしも私たちのお友達、 お父さま、お母さまではないからです。(略) 「あなたは、何の贈り物をイエスさまに 準備していらっしゃるのですか?」 とうかがった時に、 「私は、こういうものを今年はイエスさまのために 準備しております」と おしゃっれる方であってほしいと思います。(略) ですから、せめて、私たちが、たった1つずつでもよいから、 「私のイエスさまへのプレゼント」を準備したいと思います。 |
2009-12-23 |
人間というのは、おもしろいところがあって、 「あいつ最近頑張っているな」「成長しているな」 と心の中で思っていても、9割ぐらいが それを具体的な言葉として伝えていない。 「オレがおまえを認めていることは、 いちいち口に出さなくてもわかっているだろう」 と思ってしまう。 でも、相手はわかっていないものだ。 認めてくれてはいるんだろうけれど、 いまひとつ確信が持てないというのが、 相手側が受け取るふつうのパターンである。 認めても伝えないのは、認めてないのと同じになってしまう。 しっかりと言葉で相手にいいところを伝えてあげよう。 |
2009-12-22 |
「あなたがいまのあなたであるのは、 崩壊した家庭のせいでも、 破綻した経済のせいでも、 戦争の激動のさなかにある世界のせいでも、 差別のせいでも、 大酒のみの家族のせいでも、 貧困にさいなまれた環境のせいでもない。 あなたは、 あなた自身がたどってきた考えの産物であり、 今日について何を考えていようと それは明日の土台になるのだ」 昔、だれかにひどい仕打ちを受け、 過去を台無しにされたならば、 その人のせいだと考えてもいい。 だが、あなたの現在と未来を だれかに台無しにさせてはいけない。 自分自身で考え、未来をコントロールするのだ。 明日はもっといい日だと信じて。 |
2009-12-21 |
理解のある両親、思いやりのある友だち、 親身になってくれる先生が、なぜ、いないのか! 明るい性格、魅力的な容貌、抜きんでた才能が、なぜ、ないのか! もちろん、あるにこしたことがありませんが、 なぜないのかを考えてもしかたないことです。 だって、ないんですから。 |
2009-12-18 |
「ファンをいっぱい作るより、芸を磨け。 芸を磨いて売れたら、ファンなんてまた、いっぱい来る」 コツコツ、コツコツ、掃除の仕事を続け、 コツコツ、コツコツ、周囲の人々の信頼を築いてきた、 ばあちゃんだからこそ言えた言葉だったと思う。 「一生懸命」なんて古くさい言葉かもしれないが、 一生懸命働いている人に向かって、 誰も「一生懸命なるな」とは言わない。 掃除でも、芸能界でも同じだ。 俺は、ばあちゃんの言葉を実践した。 |
2009-12-17 |
望まないことから、 望むことへ考えを映すと言葉が変わります。 言葉が変わると波動が変わります。(略) 違う言葉、違う思考を選ぶだけで、 波動をプラスにリセットすることができます。 「それなら何が望みなの?」 と自問するだけ! 簡単なことです。 繰り返しますが、望まないことについて話したあと、 望むことについて話せば、言葉が変わります。 言葉が変われば、波動も変わります。 |
2009-12-16 |
「君の言っていることは、同じ雨でも、 高地の草原に降るか平野に降るかで 育つ植物が異なる、というようなものだね」 そのとおりだ。 ものの考え方は、雨(情報)の降る土地であり、 私たちそれぞれが持つものの考え方によって 違った結論につながる。 つまり、情報をどう受け止めるか、なのだ。 それがカギである。 |
2009-12-15 |
心から信じている何か、 またはどうしても逃したくないチャンスにつながる扉が、 閉ざされたとき、そこであきらめてしまってはいけない。 一歩下がり、状況を見極め、 そして自分にこの大切な質問をしてみる。 「扉は本当に閉じてしまったのだろうか?」 たとえ100万分の1でも、 自分に何かできるチャンスがあるなら、 それがどんなことであれ、挑戦する価値がある。 扉をこじ開ける、もしくは隙間に足をはさんでもいいから、 とにかく扉を開けておく努力をしよう。 「NO」と言われてもあきらめるな。 意志のあるところに、道は開ける。 |
2009-12-14 |
私は人とのつきあいで 「残心」ということを常に考えています。(略) 人と何らかの接触を持った場合、 別れたらケロリと忘れてしまう、あるいは 忘れられてしまうのでは、よい人脈形成はできない。 人とよい関係を築き、継続していくためには、 「残心」ということがとても大切だと思うのです。 このことは話についても言えることです。 人と15分間、30分間話をする。 話し終わって、 「ああ、この人と話ができてよかったな」 と思うのは、どういうときか。 印象深い何かが、心に残ったときだと思うのです。 人と話すときは、そういうものを一つは、 残せるような話し方をしたいものです。 (注/「残心」とは、未練、心残りと解されることもありますが、 武道では、「大切な心構え」とされているそうです) |
2009-12-11 |
大した顔じゃないアイドルでも売れているじゃないですか。 ヘタすれば自分のほうがカワイイと思う子もいますわ。 でも彼女たちは少なくてもオーディションを受けたんですわ。 まずは何事も行動ありきですよ。 自分に対して、過小評価はしないほうがいい。 取りあえず何でもやってみて、ダメだったら笑えばいい。 「人がコケたら笑え、自分がコケたらもっと笑え」 とばあちゃんが言ってましたけど、 真剣で勝負して失敗したら笑えばいい。 自分が懸命にやったことだもの、悔し涙よりも 笑って次に繋げた方が健康的です。 |
2009-12-10 |
誰かをほめて喜ばれると、ほめられた方も、 ほめてくれた人に喜んでもらおうという気持ちになります。 ほめてくれた人のために力になろうとします。 そんな人が増えれば、 必然的にものごとが上手く運ぶようになります。 幸運や幸福は、何もしない人の許へは姿を見せません。 ほめることは、人間関係を大切にすることであり、 幸運や幸福を招くことです。(略) 情けは人のためならず、巡り巡って己がためなり、 とよく言われますが、実はほめることも人のためではなく、 あなたに幸運をもたらす行いなのです。 |
2009-12-09 |
両者の関係の目的が 「目標達成のための友好的な状態でいること」 であっても、咄嗟のコミュニケーションが 「自分が間違っていないことの証明」に なってしまうことは日常茶飯事です。(略) そのコミュニケーションをとる目的を常にわきまえて、 人と接すること…多くの場合、その認識がないがために、 コミュニケーションで悩むことになります。 仕事の成果をあげるためのコミュニケーションに 「どちらがコントロールをとるべきか」を持ち込んだり、 ただ楽しむためのコミュニケーションに 「べき」の正しさを持ち込んだり、 愛を深めるためのコミュニケーションに 「競争」を持ち込んだりする必要はありません。 ましてや、子どもの自立を教えるコミュニケーションに 「親がいかにいい親かの証明」を持ち込む必要はないのです。 大切なコミュニケーションであればあるほど、 「何のために?」と自分にその目的を確認してみることです。 |
2009-12-08 |
できていないことに焦点を当てて 「なぜできないのだろう」 と自分を責めると、やる気を失ってしまいます。 反対に、できていることに焦点を当てて、 「何がうまくいっているんだろう」 と探求すれば、これからも前進する勇気が湧いてきます。 それは 「まったく、どうしてできないんだ」 という自己内コミュニケーションを選ぶか、 「大丈夫、なかなかいいよ。やり続けて」 と自分を信じる言葉を選ぶかの違いです。 |
2009-12-07 |
中学校での俺の通知表は、大体が次のようなものだった。 体育…5 数学…5 社会…2 国語…1 英語…1 理科…2 音楽…1 技術家庭…3 (略) この成績を良いと思うか悪いと思うかは、 見た人にもよるだろうが、 「1と2ばかりでごめんね」 とばあちゃんに言うと、 「よか、よか、大丈夫。 足したら、5になる」 と笑った。 「通知表って足してもいいの?」 と聞くと、今度は真顔で、 「人生は総合力」 と言い切った。 |
2009-12-04 |
この本の中に書いてあるイチロー選手のことば。 「第三者の評価を意識した生き方はしたくありません。 自分が納得した生き方をしたいです」 「僕は、期待があろうとなかろうと進むタイプです」 「チームの調子が悪くても自分が崩れることはありません。 集中してやっているので、余計なことは考えません」 「僕本人より、麻痺しているのは周りです。 そういうものに振り回されてはいけない。 これはもう、とっくの昔に分かっていることです」 「決して人が求める理想を求めません。 人が笑ってほしい時に笑いません。 自分が笑いたいから笑います」 「満足の基準は、 少なくても誰かに勝ったときではありません。 自分が定めたものを達成した時に出てくるものです」 「自分がしたことに人が評価をくだす、 それは自由ですけれども、それによって、 自分を惑わされたくないです」 |
2009-12-03 |
私たちはどうかすると 「叱る」と「怒る」という感情を混同してしまいがちです。 この差をきちんと理解した上で伝えないと、 「あの人はいつも怒っている」などという評価が定着して、 本当に伝えたいことが伝わらなくなります。 「怒る」という感情は、基本的には自分側が マイナスの被害を被ったときに起こる感情です。 どちらかといえば、自分中心の感情です。 それに対して「叱る」という行為には、 つねに相手が明確に存在しており、 その相手のレベルアップを願う という気持ちが根底にあるはずです。 |
2009-12-02 |
ある会社に研修でお邪魔したときに伺ったエピソードです。 「よくぼやく同僚がいましてね。 営業に行く前に、「こんな商品売れないよ」 とか言うわけです。口ぐせのように。 そのままお客さんのところへいくわけですから、 商談の結果も当然ボツなんです。 そいつは帰ってきてから、 「やっぱり無理だね、この商品じゃ」 と言うんですよ」 「いますよねえ。 で、そのときはどうなさったんですか?」 「いえね、別の者がそのお客さんのところに行ったんです。 彼は商品に対してのお客さんの疑問点を開発者に聞きました。 自分が自信を持ってすすめられるようになるまで いろいろたずねたんです」 「自分自身が納得いくようにしたわけですね。 うまくいきましたか?」 「ええ、契約成立です。お客さんは、 「あまりにいい、と君がいうから、 いい気がしてきたよ」 と言ったそうです。 やっぱり信じる者は救われるんでしょうか」 |
2009-12-01 |
世の中には、目に見えなくても 信じるに値することはたくさんある。 だが、まず、 信じなければ見えてこないものはもっとたくさんある。 例えば、他人のなかに善を見いだすことも、 自分の力を信じることも、 自分のしている苦労が苦労に値するということも、 愛はリスクを冒すに値するということも、 人生は生きるに値するということも、みなそうだ。 こういうことは、まず先に信じることによって、 しだいにそれが形になって現れてくる。 仮に、あなたが、 「こんなこと、私はもう我慢できない!」と いう言葉をよく口にする(信じる)としよう。 すると、あなたがその言葉を口にするたびに、 「そのことに我慢できない自分」というイメージが 内面化され、あなたはますます我慢できなくなっていく。 だが、それを乗り越える強さを求める言葉を口にしていれば、 (それを信じていれば)乗り越えていく自分の姿を 心の中に作り出すことができるのだ。 何事でも、信じる力が強ければ強いほど、 実際に成功する可能性が高くなる理由がここにある。 |