■「今日のことば」カレンダー 2016年12月■
2024年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 112023年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2022年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2021年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2020年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2019年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2018年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2017年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2016年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2015年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2014年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2013年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2012年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2011年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2010年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2009年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2008年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2007年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2006年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2005年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2004年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2003年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2002年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2001年 : 11 12
2016-12-29 |
「一」という字を辞書で調べたりはしないでしょう。 でも遊び半分に調べてみると意外な意味があることがわかります。 「はじめ」「物事の最初」という意味は当然ですが、 「すべて」といわれると、そうだったなと思います。 「心を一つにする」といえば「同じ」という使い方です。 そのほか「もっぱら」などいうと「ひたすら」とか 「ある一つのことに専念するさま」を指すようです。 それに辞書によれば、「最上」「最高」の意味もありますね。 知っていると思うことも、ときには調べ直すと視野が広がります。 一といえば、一年に一度くらいは日の出を見ましょう。 パワーがみなぎります。 「旦(たん)」という字は雲海や水平線「一」の上に、 日が昇る、ご来光の象形文字です。 さらには誕生にもつながる文字とされています。 年に一度でもいい、日の出を見ると、 自分にも日の出の勢いがみなぎるように思えてきます。 「朝は希望に起き、昼は努力に生き、夜は反省と感謝に眠る」 こんなサイクルで、日々を回していきたいものです。 |
2016-12-27 |
「質素に暮らそう」 「倹約して過ごそう」 誰かと「ちょうどよい生活」という話をしていると、 このふたつの言葉がよく出てきます。 それでは、具体的にどうしたらいいのか考えてみたら、 簡単な答えが浮かびました。 「お金を大切にあつかうこと」 単純かもしれませんが、これこそ、 ちょうどよい生活の根っこだと思います。 お金を使うのではなく「あつかう」 まるで友だちに向き合うときみたいに お金を大切にしてあげれば、もしかするとお金のほうも、 自分を大切にしてくるかもしれません。(略) お金は便利な道具にすぎないものというのも、真実です。 しかし道具だからといって「使えればいい」とばかりに ぞんざいにあつかうのは、いかがなものでしょうか。 鞄でも万年筆でもカメラでも、お気に入りの道具なら、 誰だって大切にあつかいます。 お金もそれと同じように、大切にあつかったほうがいいのです。 |
2016-12-26 |
誰かの役に立ったり、 誰かに喜んでもらったり、 誰かに必要としてもらったり… そんな風に周りの人と係わっていく中で、 「お役に立とう」「喜ばせよう」っていう 気持ちで接するだけで、逆に自分が与えられるんですね。 「与える生き方」なんて言うと大げさな気がしますが、 小さなことからでいいんです。 身近なことからでいいんです。 ほんの少し、行動してみるだけで、 いつの間には、何か「思い」を手にすることができて、 いつのまにか、「生まれ変わった自分」に なっているかもしれません。 |
2016-12-21 |
自分を浄化すれば、なくなってしまうトラブルもあります。 トラブルというのは、自分が余計なことをして、 作ってしまう場合もあります。 考え過ぎや、気の使い過ぎ、またはその逆など、よかれと思って したことが、トラブルの原因になってしまうことがあります。 または一緒に仕事をする相手との相性で、タイミングの ズレなどが生じて、相手のためにと思ってやったことが、 全部裏目に出てしまうこともあります。 そんなときは、自分をリセットしましょう。 深呼吸をして、焦る気持ちを静めて、相手の出方を確認してから、 こちらの出方を決めるとは、リズムが合ってくるまで、 相手の要望を聞くことにフォーカスしましょう。 |
2016-12-20 |
何かがあった時に、 「これしかない、もうダメだ」と思うのもあなた、 「大丈夫、他にも選択肢があるはず」 と思うのはあなた。 選択肢は必ず二つ、いえ、時にはそれ以上あります。 右のドアがダメならば、元に戻って左のドアを開けてみる、 そんな行動が、あなたに可能性を与えてくれます。 どんなに小さなことでも「ダメ」を突き進む前に、 「ちょっと待って、ダメを選ぶのは、 もう一つドアを開けてみてからにしようかな」 と自分に思い出させてみてください。 選ぶのはあなた。 ドアはあなたの前に二つ用意されているのです。 |
2016-12-19 |
自分の「師」は そこら中にいることがわかると、 もっと成長できる。 人を見下したり、この人は知らないから、と 決めつけるのは、その瞬間に 「新しいことを学べるチャンス」を放棄することになります。 目上の人は当然のこと、周囲360度、 すべての人に教えを請いましょう。 そしてだれに対しても素直に、 「教えてください」と言えるように、 自分の心の中に存在する、小さな「見栄っ張り」に さようならをしておきましょう。 これも皆さんの価値を上げる、ちょっとした習慣です。 |
2016-12-16 |
対話は大切なものですが、 即効性がある万能薬かといえば、違います。 結果を急いて対話をしても、つながりは強くはならないし、 うまくいかなくなった二人の間も、改善されはしないのです。 まず、対話をし、次に自分が行動してみせる。 対話を重ねると同時に、繰り返し行動で示さないと、 理解してもらえないことがたくさんあるということです。 何度となくこの二つを繰り返すことで、 ようやく相手も変わります。 人とかかわるときには効率などいっさい考えず、 「つねに時間がかかるもの」と、 腰を据えた態度でのぞみましょう。 |
2016-12-15 |
相手の気持ちを知るには、近づきすぎてはいけません。 大好きな相手でも、ちょっと苦手な人でも同じです。 半径50メートルの地図ではかえって方向がわからなくなって しまうように、全体を見渡さないと見えてきません。 大きな地図をもちましょう。 まず、ものごとの全体を見渡して、それから 相手と自分にとっての「ベター」を探すのです。 このとき、くれぐれも「ベスト」を見つけようとしてはいけません。 なにがベストかは状況によってもその人の状態によっても変わるし、 正解を見つけるのがたいそう難しいものです。 「お互いのベストを見つけよう」と考えると、 なかなか前に進めません。 また、ベストなことというのは、 たいていどちらか一方のベストが多いものです。 しかし、「ベター」であれば、 注意をこらすとだんだん見えてきます。 お互いが多少は我慢をし、お互いがそれなりに満足できる道、 それが「ベター」だと僕は考えています。 全体の地図を見渡して、「ベターな道」を探しましょう。 |
2016-12-14 |
人は、本気になって、 一生懸命取り組む姿を見るのが好き、なのです。(略) 応援してもらうための「本気」とは、 「人との違いを見せること」です。 努力や一生懸命は当たり前なんです。 でも、それだけでは相手は「本気」だと「認識」してくれません。 「効き目のある」本気は、相手に「協力したいと思わせる」 本気でなくてはいけません。 本気かどうかを判断するのは、自分ではなく相手なのです。 だから、「本気」は、自分なりのやり方、 努力の仕方ではありません。 人と比べて、「違うな」と思われるような、 「人がやらない、人ができない工夫を」 をする必要があるのです。 |
2016-12-13 |
人生は「私」にこだわり過ぎると、苦しいものになります。 「私が、私が」という方は、 言い換えれば、「承認欲求」が強いということ。 常に、誰かに認められたい、自分の価値を知ってもらいたい、 さらにいえば称賛してもらいたい、と思っています。 そういう欲求が根底にあるので、いつも 「いかに自分が特別であるか」といったことを 言葉の端々に感じさせるような話し方をされるのだと思います。 ところが「本当にあなたはすごい人ね」と、 いつも褒めてくれる人は、なかなかいません。 実の親でもそこまではしてくれないでしょう。 しかし、人間は、本能的に 「自分の存在を認めてほしい」という欲求をもっています。 ですから「承認欲求」そのものは決して悪いものではありません。 しかし、強すぎると、人間関係を悪くしてしまいます。 欲求が満たされないと、人はストレスを覚えます。 つまり、苦しくなります。 だから、承認欲求が強ければ強いほど、 人生も苦しくなっていくのです。(略) もし今、あなたが人生で苦しんでいるなら、 「私」への強いこだわりをいったん手放してみましょう。 そうすることで、素顔の「私」に出会えるかもしれません。 |
2016-12-12 |
死期が迫ると、お金のことは二の次になるのが人間です。 だから執着しても仕方がないといえば、そうともいえます。 お金はあの世にもっていけません。 だからこそ、ほどよいつきあい方を考えるべきなのです。 そして、死期が迫ってから死後のことを考えるのではなく、 まだ元気なときにこそ死期について考えた方がいいと思います。 そうすれば、死への恐怖は和らいでいきます。 もちろん、まったく感じなくなるわけではありませんが、 時間をかけたぶん平安な気持ちで死を迎えやすくなると思っています。 これは、私自身が27年間ターミナルケアに協力した 体験から思うことです。 それだけではなく、物やお金、名誉よりも 大切なことも見えてくるようになります。 お金はあの世にもっていけませんが、 あなたの愛は、永遠に存在し続けることでしょう。 |
2016-12-08 |
そうじずきのパンタカ おしゃかさまの弟子に、マハー・パンタカと、チューラ・パンタカと いう二人の兄弟がいました。 先におしゃかさまの弟子になった兄のマハー・パンタカは、 とてもかしこく、おしゃかさまの教えも早く覚えることができました。 弟のチューラ・パンタカは、とてもすなおで、毎日のおつとめも 休むことなくいっしょうけんめいにはたしました。 ただ、たいへんもの覚えが悪く、だれでも知っているような短い お経を覚えるのさえ、何ヶ月もかかってしまいました。 初めはあわれに思って気にかけていた兄も、弟のあまりのもの覚えの 悪さに、だんだんいやけがさしてきました。 ある日、兄はついにたまりかねて、弟に言いました。 「おまえのようなやつは、おぼうさんになるのをやめてしまえ」 たよりにしていた兄に見はなされた弟は、これからどうしたらいいか わからず、泣きながらお寺を出て行こうとしました。 そこへ、おしゃかさまが通りかかりました。 おしゃかさまは、弟のパンタカに、どうして泣いているのか、と たずねました。パンタカがなみだのわけを話すと、おしゃかさまは、 やさしく、こう言いました。 「パンタカよ、泣くことはない。 おろかと言われても、悲しむ必要はない。 おまえは私の弟子だ。だれにえんりょすることがあろうか。 いつでも安心してわたしのそばにいたら、それでよいのだ」 それから、パンタカの頭をそっとなでて言いました。 「だれにでも苦手なことはあるものだ。そして必ず、 得意なこともある。パンタカ、おまえは何が得意かね」 「はい、わたしはそうじが得意です」 パンタカが元気にこたえると、おしゃかさまはパンタカに、 白い布を一枚わたしました。 「パンタカよ、これからおまえは、もう何も覚えなくてよい。 この布で、みんなのはきものをきれいにする。 そのことだけを、心をこめていっしょうけんめいすればよい」 パンタカは、おしゃかさまからもらった布を、たからものの ようにたいせつにしました。 そしておしゃかさまに言われたとおり、みんなのはきものを 一日も休むことなく、きれいにふき続けました。 あるとき、兄のマハー・パンタカがお寺の前を通りかかると、 そこには、何百足もあるはきものを、ひたすらいっしょうけんめい ふいている、弟のチューラ・パンタカのすがたがありました。 おずおずと自信がなかったこれまでとはちがい、自信にあふれた その表情は、いきいきとして、まぶしいほどでした。 兄は、自分のしたことをはずかしく思い、弟に向かって、 そっと両手をあわせました。 |
2016-12-07 |
…感謝の心 「恩を仇で返す」ということばがあります。 たとえば、友だちに悩みを聞いてもらったり、 嫌な役割を代わってもらったりして、助けてもらったとします。 すぐに恩返しをしたいのはやまやまですが、 なかなかチャンスがありません。 そんなときその友だちに会うと、恩返しできないことが どんどん負担になってきます。 借りのあることが、いつも心に重くのしかかり、 しまいには「助けてくれなくてもよかったのに!」と 逆恨みさえしかねません。 ということばの意味は、 「してもらったことを知る」です。 仏教では、恩は返すのではなく、 ただ知ることが大切だと教えています。 |
2016-12-06 |
相手の気持ちを気にかけること自体は、 思いやりがある行動で、人とのかかわりが薄い現代では とても貴重な能力です。 でも、何ごとにも限度があります。 必要以上に人がどう思っているかばかり気にすると、 自分が思っていることやしたいこともできず、 ストレスが蓄積し、心のバランスを失ってしまうこともあります。 顔色を窺ってばかりいる人と一緒にいても、 こちらも気を遣いすぎてしまい、よい関係は築けないものです。 人の顔色を窺うという行為は、 他人の評価に従って行動するということです。 他人の評価に振り回されているわけです。 どんな評価基準を持っているかは、これまで生きてきた 環境によって異なります。さらに、ものごとに対して どう思うかも、過去経験が大きく影響します。(略) 人の数だけ評価の基準があります。 人がどう思うかは、しょせん本人にしかわからないことなのです。 だから、人がどう思うかを過剰に気にすることは、 不毛な行為なのです。 ある程度、自分は自分、人は人と割り切って、 自分自身の評価軸に沿って生きられるようになりたいものです。 |
2016-12-05 |
カウンセリングの場で検証された結果によれば、 自己受容と他者受容は並行して進むことがわかっています。 つまり、自分を受け入れられるようになるにつれて、 他者も受け入れられるようになります。 人が自分に冷たく当たる、周りに攻撃的な人が多いなどと、 他者に対して否定的で、愚痴ばかりこぼしていた人も、 自己受容ができるようになると、周りの人たちの よい点にも目が向くようになります。 自己受容ができていれば、人に対して疑い深くならずに、 人のことを信頼できるようになります。 逆に、自分はダメだ、何をやってもうまくいかないという 思いが強く、自己受容ができていないと、疑いやすくなり、 被害感情を持ちやすい。 人のちょっとした言動に過剰に反応し、 「バカにしている」「嫌われている」「軽く見られている」 「見下された」などと被害感情を持つ傾向が見られます。 |
2016-12-02 |
人間感謝の心がないと、幸せにはなれません。 感謝の心を持つから幸せになれるのであって、 幸せになってから感謝しようというのでは、 一生幸せになれません。 (鍵山秀三郎 イエローハット創業者) |