■2016年12月08日の「今日のことば」■
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「今日のことば」
そうじずきのパンタカ おしゃかさまの弟子に、マハー・パンタカと、チューラ・パンタカと いう二人の兄弟がいました。 先におしゃかさまの弟子になった兄のマハー・パンタカは、 とてもかしこく、おしゃかさまの教えも早く覚えることができました。 弟のチューラ・パンタカは、とてもすなおで、毎日のおつとめも 休むことなくいっしょうけんめいにはたしました。 ただ、たいへんもの覚えが悪く、だれでも知っているような短い お経を覚えるのさえ、何ヶ月もかかってしまいました。 初めはあわれに思って気にかけていた兄も、弟のあまりのもの覚えの 悪さに、だんだんいやけがさしてきました。 ある日、兄はついにたまりかねて、弟に言いました。 「おまえのようなやつは、おぼうさんになるのをやめてしまえ」 たよりにしていた兄に見はなされた弟は、これからどうしたらいいか わからず、泣きながらお寺を出て行こうとしました。 そこへ、おしゃかさまが通りかかりました。 おしゃかさまは、弟のパンタカに、どうして泣いているのか、と たずねました。パンタカがなみだのわけを話すと、おしゃかさまは、 やさしく、こう言いました。 「パンタカよ、泣くことはない。 おろかと言われても、悲しむ必要はない。 おまえは私の弟子だ。だれにえんりょすることがあろうか。 いつでも安心してわたしのそばにいたら、それでよいのだ」 それから、パンタカの頭をそっとなでて言いました。 「だれにでも苦手なことはあるものだ。そして必ず、 得意なこともある。パンタカ、おまえは何が得意かね」 「はい、わたしはそうじが得意です」 パンタカが元気にこたえると、おしゃかさまはパンタカに、 白い布を一枚わたしました。 「パンタカよ、これからおまえは、もう何も覚えなくてよい。 この布で、みんなのはきものをきれいにする。 そのことだけを、心をこめていっしょうけんめいすればよい」 パンタカは、おしゃかさまからもらった布を、たからものの ようにたいせつにしました。 そしておしゃかさまに言われたとおり、みんなのはきものを 一日も休むことなく、きれいにふき続けました。 あるとき、兄のマハー・パンタカがお寺の前を通りかかると、 そこには、何百足もあるはきものを、ひたすらいっしょうけんめい ふいている、弟のチューラ・パンタカのすがたがありました。 おずおずと自信がなかったこれまでとはちがい、自信にあふれた その表情は、いきいきとして、まぶしいほどでした。 兄は、自分のしたことをはずかしく思い、弟に向かって、 そっと両手をあわせました。
まゆの感想
この話の<無分別智(むぶんべっち)>と言い、
みんな同じいのちであり、比較しないという教えです。 この本では、こんな話もしています。 「子育てでも、似たようなことがあります。 親や先生の言うことをきく子がいい子、まじめに勉強する子が いい子、お友だちと仲良く遊ぶ子がいい子…と、大人は自分たちが 考える価値観で、子どもたちを区別し、型にはめようとして いないでしょうか。 その価値観が、本当に正しいかどうかは疑問です。 先入観にとらわれていたり、世論に流され、真実の姿が 見えなくなっているかもしれませせん。 子どもは一人ひとり、まったく違ういのちです。 この世に与えられたもので、二つとして同じものはありません。 いい子、悪い子と比べない心を無分別智>と言います。 どうして尊いいのちを区別することができるというのでしょうか。 比べようとすること自体、ナンセンスです。 まして、自分たちの理想の形に矯正しようとするのはごう慢です。 先入観を捨てて、まっさらな気持ちで子どもたちを見れば、 きっと、その子が持っているいのちの輝きが見えてくるはずです。 大人の型にはめるのではなく、子どもの個性を尊重して、 その子に合った、のびのびとした方法で成長を見守りたいものですね」 これは、大人同士にも言えることですね。 仕事ができる人、できない人と比べてみたり、 表面上にみえることでその人を判断したり… 自分にも、このような傾向があるので、 気をつけようと思ったしだいです。 |
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