■「今日のことば」カレンダー 2018年3月■
2024年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 122023年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2022年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2021年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2020年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2019年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2018年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2017年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2016年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2015年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2014年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2013年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2012年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2011年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2010年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2009年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2008年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2007年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2006年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2005年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2004年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2003年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2002年 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2001年 : 11 12
2018-03-30 |
緊密な人とのつながりとは何だろうか。 たとえば人は愛を「触れる」ことで伝えようとする。 人に愛情を持って触れると、お互いの脳では、 「絆ホルモン」といわれるオキシトシンが分泌され、 リラックスしストレスが癒され、深い絆を築くことができる。 そのパワーは絶大だ。 しかし直接触れなくても、 愛情を持って人と近くにいるだけで、 お互いの皮膚は相手を感じ反応し始める。 その反応が、癒しに向けた治癒力を発揮させる 大きな力となってくれる。 心を開いて相手に寄り添うだけで、 大きなパワーを与えることができるのだ。 それと同時に、自分自身の皮膚も反応して、 同じかそれ以上のパワーをもらうことができる。 被災地でボランティア活動をした人が、よく 「被災者からパワーをもらった」と口にする。 相手を癒そうとして相手に力を与えたことで、 自分も力をもらえたのだ。 |
2018-03-29 |
最近は、「言行不一致」の人間が多すぎるような気がします。 そのいい例が、政治家や官僚ではないでしょうか。 選挙のときは票欲しさにきれいごとを言い、公約という 「約束手形」を乱発しますが、当選するや言を左右にして、 ごまかしにかかる政治家も少なくないようです。(略) 仏教では「十悪」といって、人間としてしてはならないことを 10種類あげています。その中に 「妄語(もうご/うそをいう)」 「綺語(きご/おせじをいう)」 「両舌(りょうぜつ/二枚舌を使う」 「悪口(あっく/悪口をいう)」 と、言葉に関するものが4つも入っているのです。 ウソをいったり、悪口をいったりする罪はそれだけで重いのですが いまではそんなことを気にする人も少なくなっているようです。 |
2018-03-28 |
世間では、愛をすばらしいものと考えているが、 仏教では愛を否定している。 なぜなら、愛は自己中心的であり、愛する対象を自分の思うがままに 支配したいという感情を伴っているからである。 仏教では、愛を「渇愛(かつあい)」と呼ぶ。(略) それはちょうど、海を漂流する者が、あまりの渇きに一口、 海の水を飲んだ状態に似ている。 海水は渇きを癒すどころか、ますます渇きを激しくする。 わたしたちの「愛」もそれと同じであって、わたしたちは、 愛すれば愛するほど対象にのめりこんでしまい、 どうすればよいかわからなくなる。 だから、仏教では、「愛してはならぬ」と教えている。 わたしたちは、愛すれば愛するほど、 相手も自分をも傷つけてしまう。 それを仏教は恐れているのだ。 けれども、わたしたちは愛してしまう。 それは当然である。 それはそれでいい。 でも、わたしたちは、自分の都合で愛するのは、 「渇愛」であることを知っておきたい。 |
2018-03-22 |
人の心のなかにはコップがあり、人は、 そのなかにストロークという貯金をしています。 「嬉しい」「ありがたい」と自分で感じたり、 人から言ってもらえたりすると、プラス(快)という ストロークが心のコップに貯まります。 そして、心のなかに75%くらいストロークが貯まると、 人は安心し、相手にもプラスのストロークを与えることが できるようになるといわれています。 心のコップにストロークの貯金が25%以下の状態が続くと 人はマイナスでもいいからストロークがほしくなり、 相手を不快にする言動をとるようになるともいわれています。 これを「ストロークハンガー(飢餓)」といいます。 いつでも心のコップをプラスで満たしたいものですね。 |
2018-03-20 |
覇気も元気もなく、人生に疲れてしまったような 人たちをよくみかけます。 その多くは40代、50代ですが、 他の年齢にもこうした人たちはいます。 彼らは、目標を見失ったか、 目標に情熱を持てなくなってしまったのでしょう。 思い当たる節がある人はたぶん、 自分の人生を見直す時期にさしかかっています。 すっかり色あせてしまい、もはや自分を奮い立たせなく なってしまった目標を持っていても役に立ちません。 今の自分をワクワクさせてくれるものは何かと 自問して、答えを出してください。(略) とにかく、重要なことは、 自分がワクワクできる目標を見つけることです。 それさえ見つかれば、心の底から新たなエネルギーが わき起こってきます。 初めは絶対に実現できそうにないと思えても、 あなたが目標の価値を心から信じ、それを実現させるために 全力を傾ければ、「不可能」を可能にすることだって できるのです。 |
2018-03-19 |
相手を認めてそのままを受け入れることを アクノレッジメント(承認)といいます。 お世辞を言ったり、評価を与えるということでなく、 相手のなかにあるいいところを伝えたり、 どんな小さな変化や成長も見逃さずに言葉にして 伝えてあげることです。 あなたはこれまでにだれから どんな承認の言葉をかけてもらいましたか? あのひと言のおかげで今がある、 あのひと言でやる気になれた、 そんな承認の言葉を思い出してみましょう。 |
2018-03-16 |
「オレには才能がない」 「自分には向いていない」 「こんなことをしたって成功できるのはほんの一握りの天才だけ」 でも、これらの言葉の裏にある本音は、次のようなものです。 「自分には才能がないと認めることがこわい」 「才能がないと認める前に、言い訳したほうが気が楽だ」 「やってみて、失敗したらどうしよう」 自分に自信がないと、 何かを経験して努力することが苦手になります。 「継続は力なり」と思っていても、「どうせ、やるだけムダだ」 という考えの方が勝ってしまうからです。 なかったことにしてしまえば、 「自分には才能がない」と認めずにすむからです。 何をするにもこの調子では、 どんなに素晴らしい才能を秘めていたとしても、 才能が開花する前に、それまで注いだ努力も水の泡です。 何かを習得するとき、あっという間にできてしまう人もいれば、 長い時間をかけてコツコツと身につけていく人もいます。 「私はあっという間にできてしまう天才型ではないから、 これ以上努力したってムダではないか」 そんな理由であきらめてしまったとしたら、 一生かかっても、何一つ習得することはできません。 |
2018-03-14 |
自分に自信がない人は、 「自信がないことを自覚している人」と 「自信がないことを認めようとしない人」 の二つに分かれます。 前者は、なるべく目立たないような生き方をします。 目立つ行動をとって失敗した場合、さらに自分の価値が 低下してしまうことを恐れるからです。そのため、 リスクを負う心配のない地味な仕事、地味な服装、 当たり障りのない話を選び、大衆にうもれることを好みます。 後者は、「オレがオレが」「私が私が」人間です。 彼らは、自分に自信がないことを認めることで、 さらに自分の価値が下がることを恐れます。 また、他人の意見を認めることで、 自分の価値が否定されたような気がします。 そのため、相手の話を聞かず、 自分の意見ばかり通そうとするのです。 本物の自信家は、人に悪感情を抱かせず、物腰がスマートで、 めったに自慢話をしません。 自分に自信があるので、自分を大きく見せる必要がないからです。 ときには、自分の失敗を面白おかしく話すことさえあります。 失敗談をしても、自分の価値がおとしめられることはない、 という自信があるからです。 |
2018-03-13 |
ケンカは絶対にしてはいけない。 これも、がまんする人が抱きがちな思い込みのひとつです。 もちろん、ケンカをしないことにこしたことはないでしょう。 何の歩み寄りもない、ただの怒鳴り合い、ののしり合うだけの ケンカなら、しない方がいい。 ただし、言いたいことがあるのに、 がまんして黙っているよりは、ぶつかり合いも覚悟して、 思っていることを言った方がいいでしょう。 がまんの挙げ句、キレたり、相手を攻撃するような事態に 陥らないためにも、多少の言い合いは恐れ過ぎないことです。 ただ、言い合いをする場合にも注意点があります。 では、「いいケンカ」のコツはあるのでしょうか。(略) ケンカが始まるとき、私たちはつい 「自分の言い分を先に聞け!」と言いたくなっています。 両者とも無意識に「自分の言い分が先」と争い始めるので、 言いたいことだけの応酬になり、声も言い方も激しくなり、 泥沼のケンカになっていきます。 泥沼のケンカにならないためには、 「先に聞け」をやめて、「先に聞く」ようにする。 「あなたは何を言いたいのか?」 ↓ 「言いたいことはわかった」 ↓ 「では、私はこう言いたい」 と話を進める。 この一呼吸が感情のぶつけ合いにならないコツです。 |
2018-03-12 |
常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に 一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。 今回の震災の死者は1万人、 もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。 テレビや新聞でも、見出しになるのは 死者と行方不明者の数ばっかりだ。 だけど、この震災を 「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、 被害者のことをまったく理解できないんだよ。 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたら マシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。 それは死者への冒涜だよ。 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。 そうじゃなくて、そこには 「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。 |
2018-03-09 |
認められる仕事とは何でしょうか? これが、仕事の基礎で、究極には3つです。 1.期日を守る 2.期待に応える 3.期待を越える 当たり前のことですが、期日を守らないと仕事は 無意味になることが多いです。 今もすごく意識しているひとつが、時間です。 新入社員の頃、よく上司に言われました。 仕事=量×質×時間 いくらたくさんできても、いくら良いものでも、 時間、つまり期日を過ぎていたら、「0」(ゼロ)です。 「0」は、何をかけても「0」です。 たまには、「これ、やる必要あるのかな?」 と思う仕事もありますが、頼んでいる人は、 必要だと思っているのですから、必要としておきましょう。 その頼まれた仕事が、頼んだ人の期待に ちゃんと応えられていると「おっ!なかなかやるな」と、 信頼ポイントが貯まります。 信頼ポイントが貯まると、 「やりたい仕事ができる」ようになるのです。 そして、その仕事が、期待に応えるだけでなく、 思っていた以上に出来が良いと、期待を越えることになり、 それが続くと、信頼ポイントはすごく貯まります。 |
2018-03-08 |
「どう考えても納得がいかない」ことについては闘え! 悔しい思いを無理やり封じ込めるとストレスが増幅されて 精神衛生上もよくないし、 「アイツには、何を言っても大丈夫」となめられる。 目上にはかわいがってもらうに超したことはありませんが、 なめられてもまずいのです。 「お前は使えない」「猿でもできる」という言葉に 納得がいくのなら、猿よりましな、使える人間になるための アドバイスを本気で伺うようにすればいいでしょう。 しかし、明らかに、単なる嫌み、いじめであると 考えられるときには攻めに転じることです。 かといって、いきなり声を荒げて 「何を言ってるんですか!」と、感情むき出しでは、 ただのケンカになってしまう。 怒りをグッとこらえて、深呼吸一つ。 「猿ほどにも使えないようでは、ご迷惑をかけるばかりです。 もっと具体的に、どこがどのように猿以下なのか、 教えていただけますか? 猿にだけは負けたくありませんので」 と、悔しさを笑顔に隠して、毅然と聞いてみる。 私の恩師、カウンセリング心理学者國分康孝先生は、 「これは違う!と思ったとき、 言い返せなかったばかりに劣等感や屈辱感の虜になり、 その後さっぱり気勢が上がらない人がいて、 このような人は人生で常にソンな役回りを演じる」 と言っています。 円満主義だけでは人生はうまくいかない。 |
2018-03-07 |
不本意なこと、不愉快なことをされたり、 言われたりしたとき、じっと黙ってがまんすることで、 その場を乗り切ろうとする人がいます。 「それはやめてほしい」 「それは私が嫌いなことなので、できる限り気をつけてほしい」 言葉にして伝えることが、誤解や無視を減らします。 そこに、誤解を解いたり、詫びたりする関係が生まれます。 伝えないでいると、相手は「それでいい」「不満はない」 と思うこともあり「お互いさま」の関係がつくれないでしょう。 コミュニケーションは、単なる言葉のやり取りではなく、 「自分を相手にわかってもらう」ためのものでもあります。 そのためには、会話したり何かを一緒にしたりする中で、 自らをオープンにすることが不可欠です。 自分を相手に知らせることなしに、コミュニケーションは 成り立たない、物事は前に進まないと言っていいでしょう。 それは、流暢に、あるいは饒舌に、自分のことを 伝えなければならないわけではありません。 おそるおそる、ぎこちなく、少しずつ自分を伝えながら、 お互いの距離を縮めていくこともありのままを大切にした アサーションです。 |
2018-03-06 |
がまんしてしまう人の多くは、自分が言いたいことより、 相手の反応の方を気にします。 本当はこうしたい、本音ではこう言いたい。 でも、それを伝えると、相手はウンと言わない可能性がある。 そのとき、相手は気を悪くして、怒るかもしれない。 そうすると、自分も嫌な思いをする… それならいっそ、言わない方がいい… 心の中で、こんな葛藤を起こしている場合も 少なくないと思います。(略) それでは、同じように思い通りにならない状況に出会ったとき、 実際、誰もが同じ反応をしているでしょうか。 決してそうとは限りません。 がまんも苛立ちもしない人もたくさんいます。 相手と意見が一致しないときは、 「思い通りにしないと怒られて嫌な思いをする」ではなく、 「人はお互いに同じように考えているとは限らない」 「不一致はあり得る」と考えましょう。 相手の反応を勝手に先取りして逡巡せず、 思っていることを素直に伝えてみたら、不一致も起こらず、 コミュニケーションがスムーズに進むことがあります。 「…べきだ」「…はずだ」「…当然だ」という思い込みは、 自分にがまんを強い、自分を苦しめていることもあります。 私たちのコミュニケーションは、お互いに 「言ってみる」、つまり「言って、お互いにその経過を見る」 ことから始まるのだと考えましょう。 |
2018-03-05 |
「エビングハウスの忘却曲線」によると、 ・20分後には 42%忘れる ・1時間後には 56% 〃 ・1日後には 74% 〃 ・1週間後には 77% 〃 ・1ヶ月後には 79% 〃 何もしなければ、 1日でほとんど忘れてしまうことになります。 記憶することを意識しない限り、 本の内容を忘れてしまってもおかしくありません。 |
2018-03-02 |
「何度も何度も繰り返して読むことぐらい、 言われなくても知っているよ!」 と、思われた方もいるかもしれませんが、 実際に、一冊の本を2回、3回と読む方は、 ほとんどいません。 皆さん、やらないのです。 何度も読む本というのは、自分にあっていると思った 「良書」だけでもかまいません。 すべての本を、2回、3回と読まなくてもいいのです。 ただし、2回、3回と読む回数が増えるごとに、 違う角度から本の内容を理解できるようになります。 本を何回も繰り返して読むと、1回読んだだけのときとは、 また違った「本の奥深さ」を味わうこともできるのです。 |
2018-03-01 |
人の行動の中でもっとも真心がないと思うことの一つが、 直前になっていきなり約束をキャンセルするドタキャンです。 ドタキャンをしないというのはマイルールというより、 誰もが守る社会のルールでしょう。 ドタキャンは非常に人に迷惑をかけます。 信頼を失います。(略) ドタキャンというのはクセになりやすいのです。 やる人は何度も繰り返してしまいます。 その人にだけの突発的なトラブルが起こるわけではなく、 気持ちや誠意の問題だと思います。 本当はあまり行きたくないのに、 あるいは予定として無理があるのに、 安請け合いしてしまうのではないでしょうか。 ドタキャンしてしまうくらいなら、 最初から約束しないほうがいいのです。 「断ったら悪い」といった気持ちがあるのかもしれませんが、 「行く」と言っておいて急遽キャンセルするほうが はるかに失礼です。 あらかじめ行かないと返事していたら、 相手に余計な迷惑をかけることにはならないのです。 できない約束はしないこと、です。 |