■「今日のことば」カレンダー 2018年8月■
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2018-08-31 |
「できる人」に意外と多い「完全主義ののろま」 完ぺきを目指すあまりに遅くなるのは、立派な「のろま」です。 こんな例があります。(略) 「あの先生はきっとすごい論文を書くに違いない。 しかも、初めての論文が学位論文なのだから、 素晴らしい出来に決まっている」 という周囲の期待に対して、 本人に大きなプレッシャーがかかります。 本人も当然それを自覚しているのでしょうが、それ以上に、 「自分は絶対に、そのへんの連中と違うものを 書かなければいけない」 と思い込んで悩んでしまうのでしょう。 結局、論文に手がつけられなくなり、結果的には残念ながら 「のろま」の部類に入ってしまうのです。 この先生は私より年上ですが、今まで1本もオリジナルの 論文を書かないまま、60歳くらいになっています。 非常に優秀で、世間的にもかなり「頭がいい」人なのに、 論文がいつまでやってもできないので、医学博士にもなれず、 出世も思い通りにはなりませんでした。 結果的に「のろま」という評価をくだされて、 このまま人生が終わってしまう気配さえあるのです。 ここには「のろま」を貫いてしまう怖さがあります。 このように「できる人」がのろまになるメカニズムがあるのです。 |
2018-08-30 |
いま自分が不調だと感じていて、 それが数週間か数ヶ月レベルのものだとする。 その期間は確かにつらいかもしれないが、 はたしてそれが人生の流れというべきものなのか。 時間軸を長くして、 数年、数十年レベルで俯瞰してみれば、 いまの不調も上昇基調の中の わずかな揺り戻しでしかないかもしれないのだ。 日々の生活の中で、 好不調のリズムや流れに敏感になることは、 感性を育むうえでも大事なことだ。だが、 人生という長いレンジを考えたときには、 一時の不調で落ち込むなんてバカらしい。 時間軸の設定の仕方で、 自分にとっての「流れ」はまったく別物になる。 |
2018-08-29 |
人間は、そんなに強くはない。 だから、ときには弱気にもなるし、心が折れそうにもなる。 しかし、 「私にはこれ以上無理」「オレにはそんなことはできない」 と開き直るのは、成長の芽を自分でへし折っているようなものだ。 限界ぎりぎりまで力を尽くしてそう言うなら、まだわかる。 しかし、全力を尽くさない人間に、 その限界点などわかるはずがない。 自己診断で自分の限界を決めて、 思いつく限りの「できない理由」をかき集める。(略) 限界は、簡単にわかるものではない。 まして、「自分はこれでいいんだ」などと開き直ってしまうのは、 将来起きるかもしれないあらゆる可能性を、 すべて消し去ってしまうことになる。 |
2018-08-28 |
安定と退屈はセットです。 私たちは、リスクがなく恐くないものに対して退屈します。 たとえば、いっさいスリル的な要素がなく、 主人公がまったくピンチに陥らないアクション映画は つまらないわけです。 私は「恐いことをやりましょう」「ギャンブルをやりましょう」 などと言っているわけではありません。 もし、あなたに興味があって、やりたいと思っているのであれば、 怖くても、それをやったほうがいいとお伝えしたいのです。(略) 本来の自分を生きる上では、 「興味があるのに、恐くてできないこと」を やってみることが大切です。 心からやりたいことには恐怖や不安がつきものです。 逆に不安や恐怖がまったくないことには、 ワクワクしません。 楽ですが、退屈です。 |
2018-08-24 |
不思議な習慣や意味不明なコストなど、 ビジネスシーンで感じる違和感。 プロダクトの形状や、サービスの常識に感じる不思議。 生活のさまざまな場面における不満。 思わず「本当にそう?」と言いたくなることが きっとみなさんにもあるでしょう。 通勤ラッシュは我慢するしかない。本当にそう? 病院は待ち時間が長くて当然。本当にそう? クルマの運転は簡単になるべき。本当にそう? 電車の優先席は良心にゆだねるしかない。本当にそう? こうした気づきはふっと生まれて、 次の瞬間には消えていたりします。 だからこそ気づいたとき即座にメモして、 「ダウト・リスト(疑いのリスト)」として まとめておくことをおすすめします。 リストを持つもうひとつのメリットは、 常識を疑う姿勢が自然と日常生活に持ち込まれ点にあります。 カメラを持っていると、普段は目も向けない道ばたの花に 気がつくように、リストを持っていると小さな疑問にも 目がいくようになるもの。 こうしてできあがったダウト・リストは、 次のステップや仕事でも活用することになります。 |
2018-08-23 |
逃げているかどうかの基準は、 本来の自分を生きているか、自分の心に正直かどうかです。 「私は自分の心にウソをついてない」 と心から断言できれば、逃げていません。 心から断言できなければ、むなしい、 慢性的な退屈の道を歩んでいるということです。 退屈から常に逃げようとしているけれども、 いつまでも退屈が追いかけてくる道です。 これが多くの人はがハマっている人生のトラップなのです。 答えが、自分の中にあります。 「私は自分の心にウソをついてない」 と断言できるかどうかです。 |
2018-08-22 |
なぜ、人は「もっともっと病」にかかるのでしょうか? それには2つの理由があります。 1つは、心理学用語で「幸福順応」と言います。 これは、何かを手に入れて、一時的に幸せを感じても、 すぐにそれが当たり前になってしまい、 以前感じていた幸せを感じられなくなることを指します。 ですから、多くの人は幸せを感じるために、 もっともっとと手に入れようとするのです。 2つ目は、社会学の用語で「相対的剥奪」と言います。 これは、簡単に言うと、 「他者との比較によって、 どれだけ自分が幸せを感じるかが決まる」 ということを指します。 ですから、幸せになるために、他の人よりも、 もっともっと手に入れようとしてしまうのです。 「もっともっと病」は、 満たされていない自分を満たそうとして、 自分の外にあるものを求める行為です。 |
2018-08-10 |
私たちの多くは たくさんの悲しみを抱えています。 つらいね さみしいね 悲しいね そんな言葉を語り合うことで、 私たちはつながっていくことができます。 悲しみを語り合うことで、 「つながり」を確かめることができるのです。 悲しみでも さみしさでも 喜びでも、もちろん、いい。 お互いの気持ちを言葉にして、 ほかの人との「つながり」を確かめ合うことで 私たちは、なんとか、 未来に向かって生きていく力を得ることができます。 「あぁ、みんな、どこか根っこは同じなんだなぁ」 そう感じることで、私たちは、 何とか前に、一歩、進んでいく力を 手にすることができるのです。 |
2018-08-09 |
他人の揚げ足を取る人はどこにでもいます。 自分のことは棚に上げて、他人の発言に対しては、 「平凡だ」「常識外れ」「論外」などと言い募る人です。 彼らの攻撃に負けないことも、発想の重要な一部分です。 「コロンブスの卵」という言葉があります。 ご存じのように、 簡単なことも最初に実行するのは難しいという意味です。 アメリカ大陸の「発見」で有名になったコロンブスに、 彼を妬む人が「たまたま見つけただけだろ」と難癖をつけました。 コロンブスは卓上のゆで卵を示し、 「立ててみてください」と言います。 誰も出来ない中、彼は卵の一部を割って簡単に立てました。 「誰にでもできる」と笑う人々に、 コロンブスはこう言ったのでした。 「成功した後で「自分もできる」と言うのは簡単ですよね」 |
2018-08-08 |
ゲームでレベルを上げるより、 人生のレベルを上げよう! あなたが1日3時間をゲームに費やしているとする。 一ヶ月だと90時間だ。 もし、毎月ゲームに費やしている90時間を 「自分の勉強時間」に振り向けたとしたら…(略) この努力を10年積み重ねていったらどうなるか? 1日3時間を勉強に充てた人は、 なんと1万1000時間分の成長が見込める。 それに対して、ゲームばかりやっていた人は、 せいぜい指に「ゲームだこ」ができるのが関の山。 もはや、両者の差は言うまでもない。 スタンバイOKなのは、ゲーム機のボタンではなく、 「自分の時間」を作るためのスタートボタンであってほしい。 |
2018-08-06 |
必要のないものを「まとめ買い」していると、 得をした気分になるかもしれないが、 実際には損をしていることが多い。 まとめ買いをしてしまうのは、〇〇〇円から送料無料となる、 通販に限ったことではない。 例えば、大型スーパーに買い物に行ったとき、 「靴下3足よりどり1000円/1足400円」 といったPOPに、目を引かれたことはないだろうか? 「まとめ買いの方が、200円もお得!」 そう思ってつい3足買ってしまうのだが、実際には、 1足あれば十分だったというのはよくある話だ。 この場合、たった400円の出費で済ませられたのに、 特に必要のない2足分のために、600円も余計に 払ったことになるのだ。 人は「お得」という言葉に弱いのだ。(略) これからは、本当に必要なものは何かを見極め、 必要のないものを買ってしまわないよう訓練しよう。 |
2018-08-03 |
2つの企業が同じレベルの品質や性能、 デザインの製品を売っているとする。 現実によく見る光景だ。 当然、お客の大半は安いほうを買う。 となれば一方が他社に勝つには価格を下げるほかはなく、 両者は価格競争に陥る。 そうならないために、他社にない価値を提供し、 他社とは異なるポジションを確立する戦略が必要なのだ。 ポーターはこう言っている。 「すべての企業が似たり寄ったりの価値しか 提供しなかったとすれば、顧客は価格に 基づいた選択をせざるを得なくなる。 これは必然的に価格水準を引き下げ、 利益を消し去ってしまう」 競合他社にはつくれない製品をつくれば価格競争に 巻き込まれることもないし、お客のためにもなり、 将来も開ける。 |
2018-08-02 |
改革を進める時、何もかも一新するのは 一時的ショック療法にすぎず、長い目で見れば効果はない。 それより、過去も認めた上で 「変えていいものと変えてはいけないもの」 を見極めることが大切だ。 成功した企業が低迷する理由は、 「変えるべきものを変えずに成功体験に執着した」 か、 「変えてはいけないものを変えてしまった」 かのどちらかだ。 いずれにしても、過去を見ることで 新たなポジションが見えてきたり、 自信がよみがってきたりするものである。 |
2018-08-01 |
人間は一人ひとり花です。 小さい花もあれば大きい花もあり、 早咲き、遅咲き、色とりどり店頭に飾られ、 買われてゆく花のもあれば、ひっそりと路傍で 「花の一生」を終える花も多いでしょう。 花の使命は咲くことにあります。 他の花と比べて優劣を競うことでもなければ、 どこに置かれるかでもなく、 自分しか咲かせられない花を 一番美しく咲せることにあります。 それは決して 「迷い」のないことを言っているのではありません。 もっと日当たりの良いところだったら、 もっと風当たりの少ないところだったら、 もっと広々としたところだったらと、 嘆くことがあってもよい。 そんな思いを抱いてもいいのだけれども、 それにのみ心を奪われて、 みじめな思いで一生を過ごすのではなく、 置かれたところで精いっぱい「咲く」こと、 それがいつしか花を美しくするのです。 |