■2018年08月31日の「今日のことば」■
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「今日のことば」
「できる人」に意外と多い「完全主義ののろま」 完ぺきを目指すあまりに遅くなるのは、立派な「のろま」です。 こんな例があります。(略) 「あの先生はきっとすごい論文を書くに違いない。 しかも、初めての論文が学位論文なのだから、 素晴らしい出来に決まっている」 という周囲の期待に対して、 本人に大きなプレッシャーがかかります。 本人も当然それを自覚しているのでしょうが、それ以上に、 「自分は絶対に、そのへんの連中と違うものを 書かなければいけない」 と思い込んで悩んでしまうのでしょう。 結局、論文に手がつけられなくなり、結果的には残念ながら 「のろま」の部類に入ってしまうのです。 この先生は私より年上ですが、今まで1本もオリジナルの 論文を書かないまま、60歳くらいになっています。 非常に優秀で、世間的にもかなり「頭がいい」人なのに、 論文がいつまでやってもできないので、医学博士にもなれず、 出世も思い通りにはなりませんでした。 結果的に「のろま」という評価をくだされて、 このまま人生が終わってしまう気配さえあるのです。 ここには「のろま」を貫いてしまう怖さがあります。 このように「できる人」がのろまになるメカニズムがあるのです。
まゆの感想
例の方は、高い評価を得ているとても頭のいい医師だそうです。
しかしそうであるがゆえに、 「駄論文など書いてられない、完ぺきでないと」 思い、論文を書かないままでいるそうです。 「プライドが高く、失敗を恐れ、完ぺきを目指して 満を侍さないとやらない」 というタイプは、日本では多いそうです。 完ぺきを目指すと、そのプレッシャーでなかなかできないですよね。 しかしながら、和田さんは、このことは、 本人にとっては非常に残念なことですが、 能力的には普通の人にとっては、チャンスになるそうです。 「逆に考えれば「できる人」が「のろま」に なってくれるわけですから、能力的にごく普通の人であっても、 この手の心理学的「のろま」にならずに済めば、 「できる人」に勝てる可能性が出てきます。 例えば「できるのろま」の人よりは、 いい加減な論文でもたくさん書いていた人のほうが、 はるかに早く教授になっていたりします。 「できるのろま」よりは、能力的に劣るかもしれないけれど、 パッパッとできるだけのことをすぐにやる人のほうが、 かえって高い評価を受けるものなのです」 完ぺきでなくても、失敗しても、恥をかいても、 やってみるほうがいいようですね。 |
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