■「今日のことば」カレンダー 2015年3月■
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2015-03-31 |
非行少年には、4つの共通点があるように見えます。 ・心の居場所がない ・自尊心感情がない ・人生の目標がない ・他者から必要とされていない この4つの「ない」がそろったとき、 つまり、4つのゼロ状態に置かれると、 少年は非行に走りやすくなるといえるのです。(略) 重大事件を起こす子どもは、母親から、 「生まなければよかった」などと言われ、 学校からは「来るな」と言われ、 誰からも認めてもらえず、 生きる意欲を失ってしまった子どもたちです。 そうした少年が少年院に入って立ち直るのは、 周囲から大切にされていると実感できるから。 |
2015-03-30 |
「会話の結び」は、 相手の話題で終わらせる 相手と「いい仕事関係」をつくりあげていくためにも、 自分の話で場が終わらないようにすることです。 いつも最後に自分の話題に話を持っていく人は、 相手にとって話したい人という印象を持たれにくいもの。 本来、人は自分の話をしたい生き物です。 そこを理解し、相手の立場に立った言葉の使い方ができる人が、 コミュニケーション上手な人です。 |
2015-03-27 |
あなたの家族、 友人は元気ですか? |
2015-03-25 |
雨の日には 雨の中を 風の日には 風の中を |
2015-03-24 |
私たちの脳の中には、ある欲求が満たされたとき (あるいは欲求が満たされると予想できたとき) すなわち報酬が得られたとき (報酬が得られるとよそうできたとき)に活性化して、 個体に「快」の感覚を与える報酬系神経があります。(略) 少し誇張していえば、私たちの考えは報酬をトリガー(引き金)に して生まれてくるといっても過言ではありません。 それほど人間の考える仕組みや能力において、 自分にごほうびを与えることは大切な役割を果たしているのです。 ただし、そこで一つ忘れてはいけないことがあります。 記憶や学習や思考の能力をより高めるための報酬は、 自発的なものでないとダメだということです。 自分が自分自身に与える報酬でないと、いいかえれば、 本人みずから「やってやろう」と意欲した欲求でないと、 脳の報酬系神経は鈍い反応しか示さないのです。 |
2015-03-23 |
仕事の喜びとか楽しさといったものは、 アメとは違うということです。 つまり、それは口に入れたら即甘いというものではない。 仕事の楽しさは、 仕事の苦しさやむずかしさの中にこそ 存在しているのです。 つらい思い、苦しい思いをしながら汗を流したからこそ、 そのあとで飲む水が何にも替えがたく甘い。 仕事の喜びとはそういうものなのです。 |
2015-03-20 |
批判の矢がとんできたときには、 「だって」「そうじゃなくて」「そんなことないよ」 と、打ち返すのではなく、ちゃんと両手で受けとめましょう。 どんなに耳が痛くても、どんなに心の中で違うと思っても、 どんなに腹が立っても、いったんは相手の言葉を受けとめて 理解するように心がけます。 でも、これがいちばん難しい! ここで重要なのは、批判を「受けとめる」ことであって、 「受け入れる」ことではありません。 批判のボールを両手でキャッチする、というふうに考えてみましょう。 受け入れてしまうと、“同意する”ことになります。 そうではなく、「受けとめる」とは、相手の批判を聴き、 ちゃんと聴いたことを態度で示すことです。 受けとめないとどうなるでしょうか? 相手はあなたに対するネガティブなメッセージを 何とか伝えたいと思っているので、あなたが受けとめるまで ひたすらメッセージを伝え続けることになります。 つまり、批判の矢は止まらないどころか、どんどん エスカレートしてしまうのです。 そうなるとコミュニケーションにはなりません。 相手の批判の言葉を受けとめない限り、 問題解決のスタートラインに立てないのです。 |
2015-03-19 |
コミュニケーションでは、 《何を伝えるか》に重点がおかれがちですが、 実はそれと同じくらい、 《どのように伝えるか》が大切です。 「言ってることはわかるけど、そんな言い方ないでしょ」 と、相手の言いかたや態度にカチンときたことはないでしょうか。 「これくらいなんでできないの?」 「それじゃ、ダメじゃない」 なんて言われると、たしかに自分のミスであったとしても、 いや~な気持ちになるものです。あるいは、ミーティングで、 せっかくいい意見を言っているのに、その人の話しかたが ボソボソしているために、 「聞こえないよ」とイライラしたり。 相手にうまく伝わらないのは、 話の中身というよりも「伝えかた」がまずかったから、 という場合はしばしばあります。 同じ内容を伝えたとしても、 伝えかたによっては、全く伝わりかたが違ってくるからです。 |
2015-03-18 |
やると決めたときには、人生はマラソンなどと思わず、 ここが勝負だと思って50メートル走のつもりで 全力を出し切ることです。 どうせ、人生80年をずっと全力で走ることはできません。 だから、やるときは、50メートル走だと思って走り抜く。 そして走り終わったら、次に全力を出すまでちょっとだけ ペースをゆるめる。 それぐらいの気持ちでやっていないと、 いざというときに全力が出せません。 人生は挑戦であり、短期戦です。 マラソンでもあり、50メートル走でもある。 まことに人生は走りがいがあるものだと、 あらためて思わざるをえません。 |
2015-03-17 |
あるとき老師が「振り子の話」という たとえ話をしてくれたことがあります。 振り子は大きく左右に振れますが、必ず真ん中に戻ります。 それが「中庸」だというのです。 人間は迷ったり、悩んだりして、振り子のように振れる存在です。 まったく振れない人間なんておもしろくない、と老師は言います。 でも、振れたときに、戻ってくる原点があるかどうか、 振り子の中心を知っているかどうか。 それがとても大事です。 その中庸が徳であり、正しい考え方です。 原点を知ったうえで振れるのです。 原点を持って大きな自分をつくっていくのです。 |
2015-03-16 |
たかがトイレ掃除と思って、バカにしてはいけません。 たかがトイレ掃除だからこそ、バカになってやるのです。 かんたんでつまらないこと、小さくて地味で目立たないこと、 そういったあたりまえのことを、バカになって、ちゃんとやる。 そういう姿勢で生きていると、ほんとうに不思議なのですが、 見えてくる世界や生きていく舞台が まったく変わってくるのです。(略) あたりまえのことを、バカにして、やらないか。 あるいは、バカになって、ちゃんとやるか。 この姿勢の違いが人生という長い航海において いったいどれだけの差を生み出すか、想像できるでしょうか? 「バカにしてやらない人」と「バカになってやる人」 いったいどちらの人生がうまくいくか。 それは答えるまでもなく、「バカになってやる人」です。 |
2015-03-13 |
「じつは、仕事や生活をパターン化させるのは、 本人にはとても居心地のいい状態なのです」 新人でまだ仕事がうまくできないときには、ああでもない、 こうでもないと悩んだあげく、こうすればいいのだ、という システムを自分の頭の中につくりあげてきた。 「そういう能力を発揮できるのが、脳の素晴らしさでもあるんです」 ところがいったんシステムができ上がると、 人間はそこに安住しようとする。 もう悩まなくても、考えなくても仕事ができるので、 このシステムから外へはみ出すまいとし、パターン化が始まる。 「パターン化ほど居心地のいいものはない。 だから厄介なのです」 では、働き盛りのボケを防ぐためにはどうするか。 「パターン化で脳の一部を休止させてしまうのが機能低下を 招くのですから、脳を広範囲に使うようにすることです」 今の仕事に飽きたな、慣れすぎたな、と思ったら、 積極的に新しい仕事に挑戦してみる。 「それが無理なら、交際の範囲や行動半径を拡げたりして、 脳に絶えず新しい刺激を与えるようにしてください」 |
2015-03-12 |
ボランティアにすべてを捧げている人を見ると、 ボランティアをしたほうがいいのかなと思う。 仕事の鬼になって上を目指している人を見ると、 仕事に夢中になるべきかなと思う。 結婚して出産した人を見ると、 やはり母になるべきかなと思う。 海外でいきいきと暮らしている人を見ると、 やはり日本にいてはダメだと思う。 みんな、どうしてひとつに決めることができるのだろう。 わたしには、どれが自分を幸せにするのかまったくわからなかった。 「わたし、どう生きたらいいと思う?」 いい年して、ばかみたいよね。(略) じつは、生き方にお手本なんかないのだ。 生き方に、いい生き方も、ダメな生き方もない。 ぐちゃぐちゃの自分を思いきり生きることが 自分の生き方だと知ったとき、 すとんと落ちるものがあった。 |
2015-03-11 |
「戦後、俺たちのじいちゃんやばあちゃんは 日本を復活させた。 世界には奇跡と言われた日本の復興。 必ず復興します! 日本をナメるな! 東北をナメるな!」 気仙沼で、震災に遭遇した 東北出身のサンドイッチマンのことば |
2015-03-10 |
かつて先輩が聞かせてくれた話があります。 「『あいつ使えない』という表現は、 『あの人は役に立たない』という意味ではなく、 『私にはあの人を使う能力がない』 という意味だ。 『あいつ』と指さした手の指の3本は、 自分に向かっている」 これを聞いて、 私はこの言葉を決して使わないようにしよう、と決めました。 この言葉を発するということは、 自分が彼、彼女に対して適切な対応を取ることができず、 負けを認めることだと感じたからです。 |
2015-03-09 |
「とりあえず」ではなく 「まず」と言ってみる ホウレンソウ(報告、連絡、相談)をする中で、 私自身はまったく気づいていなかったのですが、 「じゃ、とりあえず、この資料つくっときます」 と言うのがどうやら私の口癖だったようでした。 ある日先輩から、 「お前の仕事は、「とりあえず」のやっつけ仕事か?」 と言われました。生意気なわたしは 「違いますよ、じゃ、何て言えばいいんですか?」 と返しました。先輩は次のように言いました。 「「まず」と言い換えてみろ。そうしたら 「次に」という言葉が続くはずだ」 それ以降、自分では「とりあえず」と言いたいところを 「まず」と言い換えるようにしました。 これが自分の言葉になっていくと行動もそれにともなって 「まず」「次に」と、常に先のステップを 意識するようになりました。 |
2015-03-06 |
いまの自分の能力ではこなすことができない、 むずかしい問題にであったとき、 「とても自分の手には負えない」 とすぐあきらめてしまう人がいます。 しかし、それはその問題を 「大きな一つのかたまり」だと考えるからで、 問題を「手に負える」サイズや部分ごとに分けて、 それらを一つずつ検討していけば、そこから必ず 具体的な方法論や解決策が見えてくるはずです。 五千万円の家をキャッシュで買えと言われたら、 とうてい無理だが、月々十万円のローンを組めばなんとか 手に入れられるかもしれない。それと同じように この問題のこの部分はこれまでの技術でこなせる、 この部分は人にまかせても大丈夫だ、 この部分は後回しでも間に合う。 そのように一つずつクリアしていけば、 自分がすべき事柄も、その優先順位もはっきりしてくる。 すなわち、こなすべきプロセスが明らかになって、 前向きな姿勢で問題に立ち向かえるようになるのです。 この細分化法は、仕事の場面でも、 大いに活用できる重要なノウハウだと思います。 |
2015-03-05 |
脳外科医の手術では、安全な状態でオペができることは めずらしいといわなくてなりません。 予想外の危機に直面し、自分の腕一つが 患者さんの生死を分けるということの方が多い。 例えば、頭蓋骨を開頭して脳の表面を覆っている硬膜を開けたとたん 脳の奥の脳動脈瘤が破裂する。 出血源は見えず血の海になり、脳はどんどん腫れてくる。 絶体絶命の状態です。 しかし、ここで医師がひるんだり迷ったりすれば、 それだけ患者さんは死に近づいてしまう。 こういうときはどうしたらいいか、 とにかく恐怖心を克服し、迷いも振り払って、 すみやかな決断を下し、最善の処置を実行しなくてはなりません。 そのときもっとも大切なのが集中力なのです。 もっている能力のすべてを結集して、目の前の命を救うことに 100%集中することです。(略) ときどき患者さんの命を預かる手術は緊張しないのか と聞かれますが、それを忘れるほど集中していると、 緊張などという“雑念”が脳裏に浮かぶことはありません。 私にいわせれば、緊張するのは集中力が足りない証拠で、 とくにかく患者さんを救うという一点に目的を定め、 自分をの錐(きり)の先端としてねじ込んでいくことです。 すると、おのずといいアイデアがわき、 指先も脳の指令どおりになめらかに動いて、導かれるように 適切な処置、最善の手術を行うことが可能になるのです。 |
2015-03-04 |
登っても 登っても 峠を知らぬ欲の道 |