■「今日のことば」カレンダー 2015年12月■
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2015-12-29 |
年齢を重ねるほど、目標の大切さを痛感している。 人生を最大限生きたいなら、頭を使うことが必要だ。 考えなしに生きていると、 毎日がわけもわからないうちにすぎていってしまう。 あてもなくさまようのではなく、 目標を決め、そこに向かって努力する。 そうしたほうが、 人生でいいこと起こる確率は格段に高くなる。 |
2015-12-28 |
人生には苦しいこと、つらいことはたくさんあります。 しかし、大事なことは、誰かがあなたに何をしたかではなく、 あなたが誰かに何を働きかけたかということです。 「幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く」 あなたがたくさんのタネをまけば、それだけ多く、 幸せの花を咲かせることができるのです。 |
2015-12-25 |
ほめることがいかに大切か忘れている人も多い。 いつも一緒にいる相手の貢献度をつい見過ごして、 ないがしろにしがちだ。(略) 10代の女の子は こんな話をしていた。 「ボーイフレンドが、 私をどこがきらいか全部知っているけど、 私のどこが好きなのかはまるで知らないの」 |
2015-12-24 |
「知っていても行動しなければ 知らないのと同じだ」 言葉であわらすことはすばらしい。 しかし行動であらわすことは それ以上に大きな力をもっている。 |
2015-12-22 |
ドイツ語でいう「知る」には2種類ある。 ケネンとヴィッセンである。 ケネンは浅く知っている場合に使い、 ヴィッセンは、深く知っている場合に使う。 誰々と知り合いだという場合の知はもちろんケネンである。 ヴィッセンのほうは、 学者が専門の事柄を知っている場合などに使われる。(略) こういうふうにして自分の知識を2種類に分けてみると どうなるだろう?もちろん、 浅い知恵のほうが多いだろうが、すこしばかりは、 ヴィッセンのほうの知もあるだろう。 それが実は、自分が最も関心をよせている事柄なのだ。 自分ばかりでなく他の人も同じである。 だとしたら、お互いの深い知のほうを 寄せ集めて組み合わせれば、何が生まれるだろう。 それがすでに到来しているプロ社会での 大きな武器になるのは当然のことだ。 |
2015-12-21 |
わたしたちのふだんの言葉にしても 人間的な価値を持っている。 どういうときに何をどう言うか、 そこにわたしたちは相手の心や精神を見ているのである。 言葉ばかりでなく、実はふだんの生き方にも わたしたちの心が如実に表れている。 心や精神がいつまでも隠されているということはない。 どんな心の思いも精神も、顔つきや姿勢や歩き方や言葉や 行いに出てくるのがふつうなのだ。 それこそが人間が相手にしたり価値を見いだすものである。 物や金銭は道具にすぎない。 だから、それぞれの人間の生き方が多彩な人間的な価値の 現れなのである。 |
2015-12-18 |
あなたの言葉を一番身近で聞いているのは、他でもないあなた自身。 一日中、否的な言葉を繰り返し聞かされていたら、 心がげんなりしてしまうでしょう。 次第に行動まで影響されて、ますますあなたを疲れさせ、 苛立たせる状況がやってくるかもしれません。 これからは「忙しい」「疲れた」などと言いたくなったら、 他の言葉に言い換えてみましょう。 「充実してる」「がんばったな」などはどうでしょうか。 またそんな言葉がつい出てしまうのは、何かを変えろという サインだと考えるのも一案です。 仏教には、「愛語施(あいごせ)」 という「お布施」の形があります。 愛語、つまり思いやりのある言葉を相手にかけてあげることです。 あなたの愛語施を一番必要としているのは、 あなた自身かもしれません。 |
2015-12-17 |
話が長い人はなぜ、「説明がへた」なのか… 明快です。 話が長くなると、「必要な情報」と 「不必要な情報」がごちゃごちゃになるからです。 だから、何を言いたいのか相手には伝わらないのです。 ただここにこそ「頭のいい説明」の鉄則があります。 つまり、説明というのは「不必要な情報」をカットするだけで、 格段にスッキリし、「頭のいい説明」になるのです。 では、「不必要な情報」とは何でしょうか。 それは話し手ではなく、 「聞き手にとって重要度の低い情報」のことです。 聞き手にとっても聞きやすい「話の流れ」を考えた時、 後回しにされる情報のことを言います。 これを「背景情報」と言います。 「背景情報」は、できればカットする。 それだけで話は短く、わかりやすくなります。 |
2015-12-16 |
怒りに振り回されない自分になるには、 その場で怒りを収める工夫が必要です。 そこで、いったん生まれた怒りを収めるための秘策があります。 実に簡単なことです。 不愉快なこと、腹の立つことがあった時、 何かを言う前にまず一呼吸置くのです。(略) 「ちょっと待て」「大丈夫」「我慢」……。 繰り返す言葉は何でもいい。 おなかで呼吸をして、頭に怒りを上げないことが大切なのです。 一度出た言葉は、取り戻すことができません。 「悪かった、今のナシ!」と後から叫んでも、 いったん壊れた信頼や壊れた人間関係が、 そうそう簡単に修復できるはずもありません。 ほんの少しの「間」が、取れるかどうか、あなたが怒りから 自由になれるかどうかのポイントは、まずそこにあります。 |
2015-12-15 |
焦らずに待ってみる。 コミュニケーションがうまくいかない時は、 無理に何とかしようと躍起になるのではなく、 待ってみるというのも大切な解決法のひとつです。 ひなが卵から孵る(かえる)時、外の出る準備が整うと、 ひなは内側から殻をつつきます。 そのかすかな音を捉えて親鳥は外側から殻をつつき 割ってあげます。 ひなが内側から殻をつつく音が「啐(そつ)」(口へんに卒) 親鳥がつつく音が「啄(たく)」 「啐啄同時(そつたくどうじ)」。 両者のタイミングがピタリとあった時に、 物事は変化し、新しいものが生まれるのです。 |
2015-12-11 |
人間になりたての初心者は、物欲に走ってしまう。 人に物欲に走ってしまうときは、 物事を真剣に考えていないときだ。 自分の中身がおろそかで何もないから、 そのすきまを埋めようとする。 ちょうど腹があまりにも減りすぎて、 何でも手当たり次第に食べ物を詰め込むようなものさ。 仏教では煩悩のひとつに「貪り(むさぼり)」があるけれど、 貪欲とはお腹を満たすことよりも飢餓感に取り憑かれてしまって、 本来の目的を忘れている様子を表しているんだと思う。 それにしても、どうして我を見失ってまで 欲求を満たすことに走れるのだろうか。 理由を尋ねても、本人だってよくわからないかもしれない。 人間は輪廻転生(りんねてんしょう)していると言われている。 本当かどうかわからないよ。 科学的な解明もできないだろうし、 解明したからといって誰の得にもならない。 この輪廻転生という考えから見ると、人を押しのけて、 とにかく自分の欲を満たそうと必死な人に対しては、 「ああ、この人は人間になりたてだから分別がないのだな」 と余裕をもって対応できるようになる。 |
2015-12-10 |
私は、 「めげずに生きようとする力」 を自分の財産にしようと思った。 そしてそれを私の幸福とする… そう思うことによって、 私は元気を失わずに生きてきたのである。 |
2015-12-09 |
「イフ (もし○○であれば、実現できるのですが)」 「イエス、バット (確かにそうですが、○○なのでできません」 こうした発想にとらわれているかぎり、 苦境を乗り越えるのはむずかしいでしょう。 建設的に物事を考えるには、 「イフ」や「イエス、バット」という発想から、 「イーブン・イフ(たとえ○○だったとしても)」 という発想に切り替える必要があります。(略) 「たとえ困難な状況であっても、 自分にできることはないか」 と考えるのが「イーブン・イフ」の発想です。 この発想のなかでは自分の能力や環境の 劣等生は問題になりません。 問題に陥ったら、 「イーブン・イフ」を使って考えてみる。 |
2015-12-08 |
「なぜ?」という質問は、自然現象などのことでは有益です。 しかし「人間の心」となると有益とはいえません。(略) 人間のやることに対して「なぜ」と問うのは なるべくさけたほうが無難です。 もしどうしても使わざるを得ない場合には、 いくつか守るルールがあります。 まず大切なのは、連発しないことです。 次に、「やわらかい口調でいうこと」です。 質問をしていると、つい力が入って 強い口調になってしまうことがあります。 これもまた避けたほうがいいでしょう。 「なぜ」の代わりに「何のために?」と目的をきくか、 「どうやって?」と手法をきくほうがいいでしょう。 どちらの言葉も、未来に生かすためにきく質問です。 建設的な話になりやすくなります。 |
2015-12-07 |
「いいこと」は待っていたって起きない。 「いいこと」とは、 自分自身で起こすものなのだ。 やりたいことをやるのもいいし、 好きなことに関わるのもいいし、 何か楽しめることを計画するのものいいでしょう。 夢や目標がある人は、実現に向けて 考えたり行動したりすれば、 それだけゴールに近づけるでしょう。 人と関わることで得られる 「いいこと」もいろいろあるでしょう。 例えば、好きな人と会うこと、 誰かを喜ばせることなど、捜してみれば、 きっと何かが見つかるはずです。 「何か楽しいことが起きないかなぁ」と、 ただぼやいていても、 「いいこと」が来ない状況は変わりません。 楽しいことを起こすのはまず自分自身です。 ただ待っていたって何も変わらないのです。 |
2015-12-04 |
あなたの行動は、あなたの周りの人に影響を与える。 その影響は回り回って、あなたの身に返ってくる。 これが因果応報という現象だ。 よい行動にはよい報いがあり、悪い行動には悪い報いがある。 因果応報という視点から見ると、あなたのすべての行動は、 ベッドメークのようなものだと言える。 どんな行動をしたとしても、 あなたは必ずそこで寝ることになるからだ。 自分勝手に他人を操ろうとする人は、 その仕打ちがいつか自分に返ってくる。 優しくて思いやりのある人は、 その優しさが自分にも返ってくる。(略) 結局、人は自分で種を蒔いたものを、 自分で刈り取ることになる。 だから、最初から自分の行動基準をはっきりさせた方がいい。 その行動基準とは「正しいことをする」ということだ。 何が正しいかは、あなたにもわかっているはずだ。 |
2015-12-03 |
近所に住む87歳の女性のお宅に夫とでかけた。 ゲートボールにフォークダンス、そして読書… 毎日が 「きょういく(今日、行くところがある) 「きょうよう(今日、用事がある) で、楽しんで生きていらっしゃる。 数年前にご主人を亡くされた。(略) 「夫婦が一緒に暮らせる時間はとっても大切。 お互いに言葉を惜しんじゃダメよ」 「人とのつながりが私の何よりの財産だわ」 明るく快活におしゃべりの花を咲かせる彼女に、 夫と私は拍手した。 最近、手術を経験し、 「死に神を追い返した」 と言ってケラケラ笑う彼女からは、 生きる喜びと生命力を感じとった。 (東京新聞 2015年12月2日「あけくれ」より) |
2015-12-02 |
座禅をしているときも、「無心に座らなければ…」 という思いが強いと、かえってそれにとらわれる。 「なにも考えちゃいけないんだ」「心を空っぽにしなくては」 ということばかりが頭の中で堂々巡りをしてしまうのです。 座禅をしていたって、さまざまな思いが浮かんでくるのは 止めようがないのです。 浮かんできた思いはそのまま放っておけばいい。 すると、自然に消えていってしまいます。 浮かぶに任せ、消えるに任せる。 それが「無心」に近い心の在り様です。 水に一石を投じると、さざ波が立ち、波紋が生まれます。 その波紋をなんとか静めようとして手に水を入れたら、 さらに複雑な波紋が生じる。 放っておけば、しだいに波紋は静まっていき、 やがては鏡のような水面が戻ってきます。 心も同じことでしょう。 |
2015-12-01 |
どんなものごとに対しても、自分の持てる力を出し切る… あっぱれな生き方だと思います。 しかし、それを「人生訓」に掲げて生きるとしても、ひとつだけ 知っておかなければいけないことがあるような気がするのです。 世の中には自分ではどうにもならないことがある、ということです。 全力で生きていると、どうにもならないことにも果敢に挑み、 なんとしてでもどうにかしたい、しなければいけないと 考えがちになりませんか? しかし、どうにもならないことは、 やはり、どうにもならないのです。 全力を傾けても、全霊で取り組んでも、そのことは変わりません。 それをどうにかしようとするから、しんどくなったり、 苦しくなったりするのです。 そう、自分ではどうにもならないことは、 そのまま、あるがままに受け取っておけばいいのです。 |