■「今日のことば」カレンダー 2022年7月■
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2022-07-30 |
「男性おひとりさま」は、 「かまわれない自由」は愛しますが、 「かまわれない孤独」は愛せない。 「女性おひとりさま」は、それが愛せる。 その差は、「おひとりさま」の覚悟が どの程度できるかにかかっている。 男性は「かまわれない自由」の 「いいとこ取り」をしようとするのに対して 女性は「かまわれない自由」を まるごと受け入れようとする。 そう感じるのです。 その根拠は、「暴走老人」に 象徴的にあらわれていると思うのです。 というのも、わたしの解釈では、 「暴走老人」のほとんどは、 「かまわれない自由と孤独」に 対処できない男性だからです。 |
2022-07-28 |
人から図星を突かれると、 腹が立ってしまうのが人間というもの。 自分でも本当は至らなさに気づいていても、 自己否定したくないために 腹を立ててしまうのです。 的を得た言葉というものは、 感情を揺さぶるのです。(略) 人から「我が強い」と言われ 腹を立ててしまうのは、 せっかくの幸福になるチャンスを みすみす逃しているのと同じです。 相手だって、わざわざそんなことは 言いたくないのです。でも、 心配をしてくれているから 言葉にしてくれるのです。 あなたがどんな人かは、 あなた自身より周りのほうが 冷静に見ているのです。 そんな周囲の言葉には、 謙虚に耳を傾けた方が、 必ずよい結果が生まれます。 自分の中の感情が動いたときこそ、 冷静に自分の内面を観察してみましょう。 |
2022-07-26 |
自分のやり方に感情を入れてしまうと、 どんなに失敗をしてもそのやり方に固執し、 結果の出ない方法を繰り返してしまいます。 本来の目的を忘れ、自分のやり方を 守り通すことが目的となってしまうのです。 これでは、 同じ所でグルグル回っているだけで、 本来の目的を達成することは 意識を変えなければもはやできません。 ですから、 徹底的に目の前の結果、つまり 事実を大切にしなければいけないのです。 その事実がよい結果ならば、 これまでの方法は間違っていなかったと いうことで、これからも 続けていけばよいのです。 事実を事実と認めないことには、 正しい努力というものはできません。 |
2022-07-21 |
「なんでこの人はこんなガラクタを 持ち続けているんだ」 「そんなものをもっているから、 私まで困るんだ」 と思っている時、相手が抵抗すればするほど、 「相手からガラクタを手放させてやる」 という思いの「つかむ」力が自分の中で 強くなっているのです。 そしてそのことばかりが気になり、 本来の自分を見失っていくのです。 これもまさに「執着」です。 このように、自分が相手のガラクタを 手放させようと「つかむ」力をどんどん 強くしている状態で、相手の「つかむ」力を 緩めようとしてもそもそも無理があります。 まずは自分の「つかむ」力を 緩めることが先です。 他人のガラクタを気にする時間があれば、 自分のガラクタと向き合い、自分の ガラクタを徹底的に整理して、 「つかむ」力を修復するのです。 そして、その後他人がどう変化するかは、 もうその人に任せるしかありません。 ゆだねるのです。 人を変えることは、はっきり言って無理です。 変えるのではなく、ゆだねるのです。 「他人を変えようとする自分を手放す」です。 ガラクタを捨てさせたい相手よりも、 自分の方がガラクタが多いということは、 本当によくあることです。 |
2022-07-19 |
私が他人の行動にまで責任を感じ始めると、 とてもしんどくなると思います。 この人がガラクタを整理できないのは、 ガラクタ整理師としての私の力量が まだ足りないからだとか、自分は物書きとして 新人で書く本のクオリティもまだまだだから メッセージが届かないんだ、などと 考え始めるととても憂鬱な気分になるでしょう。 他人の行動にまで責任を感じると、 その人の人生まで背負うようになります。 本来はその人が負うべき責任まで、 自分が負うようになってしまうのです。 こうなると本当にしんどいです。 また、他人の行動にまで責任を感じると、 他人は私に依存するようにもなります。 竹内さんなら親身に助けてくれるんじゃないか 救ってくれるんじゃないかと、 私に依存し始めるでしょう。 他人が私に依存すると、 その人は、自分で判断をしなくなります。 困った時の判断を他人にゆだねてしまう、 他人任せの生き方になります。 自分で考えなくなってしまうのです。 これは、あってはいけない人間関係です。 私がガラクタ整理で 伝えている生き方はその逆です。 自分で考え、判断し、 自分の人生を自分で切り開いていく、 そんな積極的な生き方です。 |
2022-07-13 |
どういう悪循環かがわかっただけで不安は減る。 「気づく」「理解できる」というのは 大変重要なことで、 悪循環に巻き込まれていること 自体に気づいているのと 気づいてないのとでは大違いです。 また、 悪循環にただひたすら飲み込まれているのと、 飲み込まれてはいるのだけれども、 自分がどのような状況にはまり込んでいるのかを 理解できているのとでは、やはり大違いです。 人間は「よくわからない」と いうことに対して不安を感じるものです。 逆にわからなかったことが少しでも 理解できるようになると、 それだけで不安が減ります。 つまり悪循環に 飲み込まれているにもかかわらず、 「ああ、自分は今、こういう悪循環に はまっていて、だからこんなに辛いんだよな」 と理解することができれば、 その分の苦痛は軽減されます。 |
2022-07-11 |
私がチタンを多くの素材に使ったとき、 日本にはまだ一トンくらいしかない時代でした。 なんでそんなに高価なものを使うかと あちこちから非難されましたが、 私は開発段階から、 「回収できないものは使わない」 と決めていたのです。 これからのエネルギーは 「いかに捨てないか」を重視し、 最初からリユースを視野に入れた 再処理型エネルギーでないとダメだ。 それは時代の要請であるということが、 私には下積み時代の経験から わかっていたからです。 それが正しかったことは、若い頃の私が あこがれた核融合の研究から、いまだに これといった成果が出ていないことからも、 容易に推測できます。また、 原子力発電や火力発電といった人工エネルギーも その技術は行き詰まりをみせています。 押すエネルギーはいやま限界にきているのです。 だからこそ川下から発想された、 無駄を出さない再利用型の「商品」でないと、 21世紀は社会では生き残っていけない。 このことは電力エネルギーであっても、 豆乳をはじめさまざまな製品であっても、 変わりないと思います。 |
2022-07-08 |
日頃から自分自身に語りかけている 言葉を思い出してみてほしい。 「私はよく頑張っている」 「私には可能性がある」 「私には為すべき仕事がある」 「たまには失敗してもいい」 「時には弱音を吐いてもいい」 「私にはよい仲間がいる」 「私にはいざとなれば協力してくれる人がいる」 などの言葉を心のなかで自分に話しかけて いるとすれば、あなたはプラスの 自己イメージを持っている人である。 それに対し、 「私はダメだ」 「私の将来は真っ暗だ」 「私には為すべき仕事がない」 「私を助けれてくれる人などいない」 「私は嫌われ者だ」 「他人に弱みを見せてはいけない」 「私には仲間がいない」 「私を助けてくれる人などいない」 「まわりの人は敵ばかりだ」 などの言葉で自分に話しかけているとすれば、 あなたはマイナスイメージのを 持っている人となる。 |
2022-07-06 |
「マイナスをプラスに言い換える」とは、 無理やりポジティブに考えようということではなく、 「いろいろな視点から物事を見直すこと」 を意味しています。 多面的な視点から物事を 捉えられるようになることで、 価値がある/ない、のようなゼロイチで 判断するのではなく、物事には様々な 価値があることに気づけるようになります。 様々な価値があることが理解できれば、 何か一つの面だけを見て自分には価値がないと 思うようなことはなくなります。 では、どうすれば多面的な視点で物事を 見ることができるのか、です。 そのためには、普段から物事を見る時、 考える際に自分目線、相手目線、 第三者的目線の3つの目線を 意識してみましょう。 こうすれば、少なくとも3つの視点から、 物事を考えることができます。 |
2022-07-01 |
怒ることが大切というよりも、 怒る必要があることには上手に怒れ、 怒る必要がないことには怒らなくて 済むようになることが大切です。 言い換えれば 「怒ること」「怒らないこと」の メリハリがつけられるかです。 怒れない人には、怒る必要のあること、 必要のないことのメリハリがありません。 怒る必要のあること、必要のないことが 分けられないことは、大切なものが 何かを自分でわかってないことです。 もしくは大切なものがわかっていながら、 その大切なものが危険な目にあったとしても 黙認するか、目をそらしているのです。 そんなことをしていたら、 自分の大切な人生はボロボロです。 大切なものを守らない人生は、 誰かや何かに好き放題されるがままの人生です。 |