■「今日のことば」カレンダー 2010年5月■
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2010-05-31 |
多くの場合、人は、 自分がやっているわりには認められていない、 評価されていないと感じている。 一方で、逆の立場では、多くの人が、 こんなに誉めたり評価しているのに、相手は、 そのことに気づいていないと感じている。 その理由は、相手が成し遂げたことが、 私たちにとって、どういう貢献をもたらしているか、 という視点に欠けているからだと思う。 人は、一見、 自分だけよくなろうと思っているように見えても、 深いところでは、「この場」に貢献したい、「この場」に つながっていたいということを求めているものだから。 成果を認め合おう。 |
2010-05-28 |
《お知らせ》 本日の「ぼちぼち日記」で、 「20年後のありがとうのために」という、 ひとりの母親から息子へのメッセージを紹介しています。 子育て中の方、誰かを育てている方、自分のこれからの 人生に迷いのある方には、読んでいただきたいメッセージです。 ぜひ、読んでみてください。 「20年後のありがとうのために」 ばあちゃんが遺してくれた中で、 俺が一番好きな言葉がこれだ。 「死ぬまで夢を持て。 叶わなくても、しょせん夢だから」 失敗しても落胆するな。 あきらめるな。 という、ばあちゃんからのメッセージが 伝わってくる一言だ。 ばあちゃんは、いい方向に向おうとしてやったことなら、 どんな結果になっても失敗ではないと、言っていた。 そう言ってもらえると、 「失敗しても、いいんだ」 と、勇気が湧いてくる。 |
2010-05-27 |
「私はあの人に、これだけのことをしてあげたのに」 人は、してあげたことは、細かいことまでよく覚えています。 そのかわり、人にしてもらったことは簡単に忘れてしまいます。 夫婦や恋人同士のいさかいの多くは、 「してあげたこと」と「してもらったこと」の 不釣り合いへの不満から生まれます。 誰でも、自分が人にしてあげたことは重大なことに感じますが、 人にしてもらったことは軽くみてしまいがちですので、 釣り合いがとれるはずがないのです。 「こうしてほしい」という要求には、きりがありません。 「こうしてくれてありがとう」という感謝こそ、 愛の喜びがあります。 「してあげたこと」は、すべて忘れることです。 |
2010-05-26 |
人生には、脇道に逸れそうで逸れない 危うい一瞬というのがあるのです。 「こちらに来れば」と、別の道に誘われる。 「あっちの道」を行けば、 波瀾万丈な人生が待っているかもしれないし、 もっとドキドキした毎日が送れるかもしれない。 心惹かれるけれど、結局は平凡な「こっちの道」から 離れることはしない。 何年もたって、「もしも、あのとき」と 選ばなかった人生を思い描くことがあります。 「あっちの道」と「こっちの道」、現実は一方だけ。 いつも、もう一方が少しだけ良く思える。 後悔ではなく、 「あっちの道」を行く自分の幻が、ただ眩しいのです。 |
2010-05-25 |
世の中のひとりひとりが「やりっぱなし」にするのではなく、 自分のやったことが周りの人にどんな影響を与えるかを 想像する癖をつけてほしいものだ。 そして「社会のルール」を自分なりに守ること。 そういう心構えをするだけで、世の中のイライラは減少する。 それだけでキレる人も減少する。 いや、それよりもみずから、 「あの人はちょっと違うわよねえ」 「彼はいつもちゃんとしてるな」と と思われる人間になるように心がけてみてはどうか。 自分で開けたドアは自分できちんと閉める。 トイレはきちんと流す。 ポイ捨てしないのはもちろん、気が付いたら、 他人のゴミもゴミ箱に入れる。たったそれだけ。 周りの人は、きっと見習う。 そういう連鎖がキレない人間関係をつくっていくのだ。 |
2010-05-24 |
自分の欠点やダメなところばかり数えて、それを悔やんだり、 責めてばかりいると、どんどん自分を嫌いになってしまいます。 欠点やダメなところなんて、いくら数えて確認したって、 少しも解消できません。解消できないあげくに、大事な大事な、 誰よりも大事な自分を嫌いにさせる効果しかありません。 大丈夫。 欠点やダメなところが気になるときがあったとしても、 まあいいや、それはそれ、って思えばいいんです。 そんなこと放っておいたほうがいいんです。 放っておいて、どんな小さなことでもいいから ほめてあげられる何かをみつけてあげましょう。そして、 「こんな素晴らしいところだってもっているじゃない」 といってあげましょう。 人間って、とっても不思議な動物です。 自分で自分をほめていると、少しずつかもしれないけど、 自分の輝きが増してくるのがわかります。 今まで気づけなかった素晴らしい自分に、 次から次へと気づき始めます。 |
2010-05-21 |
Aさんは、すごくまじめな人。 誰にも負けないように、全力で頑張って、一生懸命登ります。 どうせ登る山なら、標高が高くて有名な山ほど 価値があるとも思っています。 Bさんは、何にしても楽しむことを優先する人。 だから誰かに追い越されても気にしないし、 のんびりのんびり景色の変化を楽しみながら登るし、 疲れたら無理しないで休みます。 登るのは低い山でもかまわないし、頂上までたどりつけないまま 回れ右して下ることがあってもかまわないと思っています。 さて、AさんとBさんと、どっちのほうがたくさんの “幸せな山登り”を体験できるでしょうか。 |
2010-05-20 |
「あの方がいてくれたから、あの時を乗り越えられた」 と感謝できる人物に巡り合う。 困ったときは意見を求め、時には叱ってもらえる 「人生の先生」。 中国ではこのような人物を「貴人(きじん)」と呼び、 「貴人は自分で探せ」ということわざがあるそうです。 信頼する人の一言で迷いから抜け出せ、 応援してくれていると思うと安心する。 時には、その人がそばにいるとわかっているだけで、 人は生き抜くことができるのです。 |
2010-05-19 |
我々の心に忍び寄る満たされなさの感覚は、 ある程度経済的にも恵まれた状況で生じる。 あるいは、なにかを成し遂げた後で生じる。 傍らから見れば満たされているはずなのだ。 それなのに、なぜ、満たされないと感じてしまうのだろうか。 その問いに答えるヒントを、人間性心理学の創始者の1人である A.マズローが与えてくれる。彼によれば、 人間の基本的欲求には以下の5つがある。 (小口忠彦訳「改訂新版・人間性の心理学 モチベーションとパーソナリティ」) 1.生理的欲求…食欲、排泄欲求、睡眠欲求、性的欲求 ホメオスタシス(体の危機管理)など 2.安全欲求……安全、安心、安定、依存、保護を求める欲求 不安や恐怖から守ってもらいたい欲求など 3.愛と所属の欲求…人と愛情で結びつきたい欲求、家族や仲間 としっかりと結びつきたい欲求など 4.自尊と承認の欲求…自分に価値があると実感したい欲求、 他の人から注目されたり、賞賛されたい など 5.自己実現欲求…より自分自身でありたい欲求、未来の自分に 適していることをしたい欲求など 彼の理論の主柱は、第一にこれらの欲求はいずれも人間にとり、 基本的な欲求だということである。(略) ※下に続く |
2010-05-18 |
ほめるという行為は、 単に相手の行為を結果を賞賛する手段ではありません。 その行為の主体である人間、つまり、部下の存在そのものを 認めることを意味します。 したがって、ほめられた部下は、結果に満足すると同時に、 上司に認められたことで自信を持ちます。 その自信が、前向きな考え方や行動の源泉になるのです。(略) 部下の美点を上手に見つけて、そっと肩を押す。 その力に部下は大きな勇気を実感し、それまでは、 やろうとしなかったことにも果敢に挑戦しようとするのです。 |
2010-05-17 |
ほめるという行為は、相手により、場所により、 状況により、さまざまに変わってくる。 だから、あるときには効果的だったほめ言葉が、 別のときには逆効果になる、ということもある。 したがって、私は、ほめ言葉というものは、 たくさん覚えるよりも、いくつかの効果的なほめ言葉を しっかり使いこなせるほうがいい、と、考えている。 私が重宝しているほめ言葉9個を選んでみた。 1.「いい顔になったね」 2.「それが君の取り柄だ」 3.「大事なところでよく頑張った」 4.「君は貴重な存在だ」 5.「○○さんがほめていたよ」 6.「いいセンス持っているよね」 7.「君たちと一緒に仕事がしたかった」 8.「最初からこれだけできれば大したものだ」 9.「ありがとう」 (注/言葉をまとめました) |
2010-05-14 |
「私は貧乏だから価値がない」と言うことは、 世の中のすべての貧乏な人を侮辱することになります。 貧乏でも、明るく前向きに生きている人はたくさんいます。 自分の弱さを一般論にすりかえてごまかしてはいけません。 「私は太っているからモテないのだ」と言うことは、 世の中のすべての太っている人を侮辱することになります。 「私は体が不自由だから不幸だ」と言う人は、 世の中のすべての身体に障害のある人を侮辱することになります。 あなたはもう、何かに理由をつけて、「自分は価値がない」 などということはできません。それは、 同じ境遇の人に対して、とても失礼な発言なのです。(略) 自分が、自分の価値観に従って、自分を無価値だと決めつけ、 悩んでいる…その姿は、自分で自分の首をしめながら、 誰かに助けを求めているのと同じです。 その手をゆるめさえすれば、楽になるのです。 |
2010-05-13 |
「ぼくはこの人を愛しているんだろうか」 という疑いをもてば、 「違うかもしれない」 という結論にたどりつくに決まっているじゃない! 「いまの自分でいいんだろうか」 という疑いをもてば、 必ず「よくない」 という結論にたどりつくに決まってるよ。 幸せの絶頂期に、それを手放す効果的な方法があります。 それは、 「これでいいのかな?」「いつまで続くのかな?」 と疑うこと。 |
2010-05-12 |
「入り口ではなく出口から発想」 「前からではなく後ろから物事をみる発想」 とてもいいましょうか。 あふれるもの、漏れるもの、捨てるもの、 出て行くもの、失われるもの、そうしたものに 着目することから、いい発明が生まれるのです。(略) いかに加えるかではなく、いかに抜くか… 換言すれば、「足りない」のではなく、 「よけいなものが多くないか」と考えること。 それが抜く技術の要諦です。 繰り返しになりますが、そうした着想から、 いろいろな発見が生まれてきます。 |
2010-05-11 |
人間の欲望には果てがありません。 給料が20万円の人は「せめて25万円あれば…」と思いますが、 現実に25万円の給料が得られるようになれば、今度は、 「30万円くらいはほしい」となってしまいます。 病気で入院したときは、「健康が一番だ」と思いますが、 病気が治って元気になり、日常生活に慣れたころには、 またささいなことに不満が募ります。(略) 欲望から要求が生まれ、要求から不満が生まれます。 欲望に果てがない以上、不満にもかぎりがありません。 現在に不満を抱いている人は、結局、どのような人生を 送ろうとも一生不満を抱くことになるでしょう。 時間とともに不満の種類が変わるというだけのことです。 根本的に不満を解消する方法は、 「欲望を抑えること」しかないのです。 と言っても、適度な欲望は、 向上心には欠かせないもので、悪いことではありません。 まったく欲がないのは、「無気力」と同じです。 大きすぎず、小さすぎず、適度な欲望を持つということが、 心豊かに暮らすための秘訣です。 |
2010-05-10 |
人の心を傷つけるのも人間なら、 救ってくれるのもまた人間です。 世の中には、冷たい人もいますが、 温かい心を持った人もたくさんいます。 冷たい人に傷つけられたからといって、 全ての人に心を閉ざしてしまっては、優しい人と、 出合うチャンスも失ってしまうことになります。 世の中で、他人と関わり合いながら生きていこうと思えば、 批判されるということは避けられないでしょう。 逃げるばかりでなく、それに対処していく 知恵をつけなければなりません。 |
2010-05-07 |
まったく制限のない、自分の思うがままの世界を 自由だと思い込んでいることこそが、不自由。 目の前にある不自由さえも自分で選んでいけるのが、自由。 だいたい制限というものは、 外からきているものだと思っているみたいだけれど、 制限というのは、いつも、その人の内側にある。 自分が自分に与えている制限を知っている状態、 そして、それをもう一度、自分で選び直している状態を、 自由っていうんだ。 |
2010-05-06 |
二人の娘を持つ母親がいた。 娘はそれぞれ傘屋と下駄屋に嫁いで行った。 さて、母親は雨がふると下駄が売れないといって心配し、 晴れれば傘が売れないといって心配し、 心休まることがなかった。 ある人が見かねて、母親にこう言ったものである。 「おかあさん、晴れたら下駄が売れると喜び、 雨がふったら傘が売れると喜んだらどうでしょうか」 何事も肯定的に、ということである。 |