■「今日のことば」カレンダー 2005年2月■
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2005-02-28 |
残念ながら、相手も同じように感じています。(略) 「あなたが私と同じ視点から物事を見てくれれば、 きっと私が悪い人間でないとわかってくれる。 そうすれば、きっとあなたは私を拒絶するのをやめて また私を愛してくれるにちがいない」 |
2005-02-27 |
そもそも「かっこいい人生」とはどういう人生か。 世間で言われるのは、ただ傍から見ると 「かっこよさそうに見える人生」ということではないか。 しかもその人生は、かならず 第三者(歴史家、伝記作家、小説家、記者)によって 記述された人生であり、 脚色された情報としての人生である。(略) 再び問う。 「かっこいい人生」とはどういう人生か。 そんなものはない。 (あったとしても、そんな人生にわたしは興味がない。) あるとすれば、見事な人生、立派な人生があるだけである。 |
2005-02-26 |
「今日は昨日より1%でいいからよくしよう、伸びていこう」 そうした堅実な成長志向が人間を大きな成功に導きます。 「たった1%」の成長志向があるかないか。 また、そのわずか1%の成長を地道に継続し、 積み重ねていけるか。 それがやがて成功と失敗を分けるのです。 |
2005-02-25 |
思いやりの気持ちをもっても、 思いやりの行動をしない人はいくらでもいる。 電車の中で老人が杖にすがっているのを見ると、 急に新聞が読みたくなる、といった工合である。 やはり心がしっかりしていなくてダメだ、 ということだ。 |
2005-02-24 |
心配は怖れから生まれ、怖れは攻撃の思いから生まれる。 心配はつねに「いやなことが起きるかもしれないよ」と ささやきます。 だれかのことを心配するときは、 その人やそうした状況をまったく信頼していません。 そこでは心の力を否定的に使って、 その人に自信を失くさせ、 その状況に怖ろしい要素が入り込むことを 許してしまうのです。 (303日目のことばより) |
2005-02-23 |
ある人が教師に向かって、先生はなぜいつも ほほえんでいるのですか、と尋ねた。 先生の答えはこうだった。 「私は何も持っていないし、 私には何もないからです」 先生は限りなく本来の姿で生きていた。 〈スティーヴン・レヴァインのことば〉 |
2005-02-22 |
生きていると、必ず何やかやとあります。 そのたびに 「ああ、ここまでよくやってきたな」と 思ったらいいんです。 |
2005-02-21 |
私が経験上、とても役立つと思いあたったひとつのルールは、 たとえそれが相手に対して言いにくい事柄であっても、 心にひっかかることは言ってしまった方が、 関係を長続きさせるためにはむしろよいということである。 それを我慢することは、かえって関係を だめにしてしまうことになりかねない。 そうかといって無分別に何でもかんでも 不満をぶちまけろというのではない。 まずその関係が自分にとって大切で、しかも、 長続きしなければならないばあいに限ってあえて そうする必要があるのであり、しかも、 いく度となく心に浮かびあがる執拗なものである時に限って、 その気持ちを率直に打ち明けることが必要なのである。 もし、そうしなければ、表現されない心の わだかまりがしだいにその関係を損なっていく… |
2005-02-20 |
人を見るときに、「あの人は○○な人である」と レッテル貼りをなるべくしないこと。 『今のところ私には○○に見えるが、 だからといっていつでもどこでも誰に対しても 「○○である」とは言い切れないかもしれない』と 自分に言いきかせることである。 |
2005-02-19 |
疑い深い人は、誰もが疑い深いと考えます。 嘘をつく人は、嘘をつかない人間などいないと 考えることで自分を納得させているのです。 けちな人は、誰もが自分のお金を狙っていると疑っています。 快楽主義者は、聖人は偽善者だと考えています。 その一方で、 愛の思いの中で生きている人は、 他者の中にも愛を見出します。 誠実で信頼されている人は、 疑心暗鬼になることはありません。 善良な人は、嫉妬にとらわれることがあまりありません。 自らの内に神を見出した者は、 外の世界の至るところに神を見出します。 |
2005-02-18 |
諦観やあきらめという感情は、ともすれば、 人生に対して消極的な、否定的なニュアンスを 持たれがちだが、じつは、この感情は、 脆弱な心から生まれるものではないと思う。 これはほかの人の存在や立場を尊重し、 また自分の誇りを持ち続けようとする、 強い心あってのものと思うのだ。 人の行為のなかに、「誇りある諦観」といったものを 垣間見るとき、その人に真の「大人」の姿を みることができる。 諦観には、誇りがあってこそ生まれる質の ものもあるのである。 |
2005-02-17 |
どうやら、人間の心理にとって決定的なことは、 自分が他人に「好かれる存在」であるかどうか、 ということであるようだ。 実際に好かれているかどうかということではなくて、 好かれる存在であると本人が感じているかどうかと いうことである。 自分は愛されるに価する存在であると感じられるか、 自分は愛されるに価しないと感じてしまうかは、 本人の一生の幸不幸を支配する。 |
2005-02-16 |
深刻な問題は、 やることがあるつもりになっていると、 あなたの未来がそれによって食いつぶされてしまうことです。 実際よりも忙しい、と自分に信じ込ませることで、 「本当」のチャンスや、 「本当」の時間を無駄にしているのです。 ただ、そうしなければならない、と 心配することに忙しいだけですね。 |
2005-02-15 |
日常に起こる取るに足らぬ出来事こそ、 小さな奇跡なのかもしれない。 神という存在がいるのならば、 その存在はわれわれがまったく心の準備を していないときに、大切なメッセージを渡す。 しかもそれはごく日常的な毎日のなかで起きる。 |
2005-02-14 |
「間違っているのは相手。自分は正しい」と 非難の応酬をするのは、0に0を足していく 不毛な行為であることを、まず悟ろう。 確かに多くの人は「話し合う」ことで 問題解決できると思い込んでいる。 しかし、その時あなたが非難にとらわれている限り、 話し合っても何も解決しない。 傷をどんどん深くするだけ。 誰が悪いか決めつけようとしている 真っ最中だからだ。 |
2005-02-13 |
私は苦しんで働いたことを誇りにしている人が嫌いである。 なぜなら、もしそれが苦しいのであれば、 他の仕事をすればよいからである。 この時、その仕事が自分にふさわしいものであるなら、 そこには喜びが生まれる。 |
2005-02-12 |
健全な批評や意見は必要なのですが、 マイナスの表現力が異常に発達しているような 状況では、やはりバランスが崩れます。 「ほめる」「ねぎらう」「祝う」「喜ぶ」 こんな簡単な自己表現が不足しています。 家庭から、職場から、自分から、 表現することができれば、 ちょっとだけバランスが戻ってきます。(略) ちょっとした表現習慣の変更で、 魔法のような変化が起こり始めます。 |
2005-02-11 |
めでたいとは、 「父死子死孫死」のことだ。 |
2005-02-10 |
幸せは香水のようなものである。 人にふりかけようとすると、 自分にも2~3滴ふりかかってしまう。 |
2005-02-09 |
怒りは、ぶつけるものではなく、伝えるもの。 さらにいえば、 「どう伝えるのか」という表現方法こそが、 怒りの感情をプラスに生かすうえで重要なのです。 |
2005-02-08 |
楽しいことをしていない人ほど、 「うれしい」という言葉を発していない。 発していないからますます何をしている時が 一番うれしいのか、わからなくなるのだ。 心で思っているから口に出さなくてもいいだろうと、 思うのは間違いである。 うれしい、楽しい、気持ちいい、うまい、という 快の感情は、どんどん口に出して言うことである。 悦びの感情は、しつこいほど、繰り返し口に出して 言った方がいい。 |
2005-02-07 |
初めに心に浮かんだものにそのまま従うか、 それともその直後に 「ちょっと待て」と浮かんでくるものに従うか、 自分にとってどちらが自然なのかという区別をつけて、 あとになって後悔することをすくなくするのが、 内在的技術の最も熟練の境地であろう。 しかし どのように高い境地に達しても、 後悔することが絶対になくなると いうようなことはありえない。 |
2005-02-06 |
恋人や家族からプレゼントをしてもらっても「ごめんね」 上司からお昼をご馳走になっても「すみません」 落としたハンカチを拾ってもらっても「申し訳ありません」 こんな言葉をかけてもらうより、 たったひと言の「ありがとう」のほうが、 何倍も嬉しいのは当然のことです。 本来「すみません」は謝罪の言葉です。 つまり「わたしが悪かった」と 自分を否定しているのと同じことになります。 一方の「ありがとう」は感謝のことばです。 ありがとうと言われたほうも気持ちがいいし、 感謝する自分も「この人はいい人だ」 「自分は幸せ者だ」と感じることができます。 |
2005-02-05 |
たとえば、ここに10万円の宝石があったとします。 「10万円の宝石」という事実にはかわりありませんが、 それを見て頭に思い浮かぶことは人それぞれ違うでしょう。 同じ宝石でも人によって、 「高いな」「安いな」「大きいな」「小さいな」 「カットが素敵だな」 「値段の割に、カットがイマイチよくないな」 などと、正反対のことを思うことがあると思います。(略) その一つの宝石から無限に様々な考えが浮かび上がります。 そして、その考えはその人の中では現実なのです。 |
2005-02-04 |
わたしたちがもつ感情には、いいも悪いもなく、 悪いのは自分と他人を傷つける 悪い(破壊的な)行動だけである。 すべての感情を「いい」感情として認めれば、 自分自身をいい人間として認めることができる。 |
2005-02-03 |
女性は、議論を人の性格にまで広げようとする。 女性は他人の発言の中からその性格までも読み取り、 そこにまで追求してしまう。 その結果、議論はとめどもなく展開してしまうのである。 男性は、議論を現在の問題として捉えている。 つまり今の件だけに議論を限りたい。 しかし女性は、過去に経験した同様の出来事 あるいは似通った議論を現在進行形の議論と 結びつけてしまう傾向がある。 |
2005-02-02 |
苦痛の原因を忘れられるかどうかは別として、 かさぶたができるそばからかきむしるように、 いつまでも苦痛をひきずっているようでは、 許したことになりません。 かさぶたをむしりつづけるかぎり、血は流れつづけます。 あなたを傷つけた相手を許すことで、 あなたは怒りから解放されて、 傷の回復も早まるでしょう。 |
2005-02-01 |
ブスッとした顔をしてると、敵が増えるんです。 それから人を傷つけるようなことを言うと、 敵が増えるんです。 会う人、会う人を敵に回すか、 会う人、会う人を味方にするかでね、 人生は全然違うんです。 |