■2005年02月18日の「今日のことば」■
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諦観やあきらめという感情は、ともすれば、
人生に対して消極的な、否定的なニュアンスを 持たれがちだが、じつは、この感情は、 脆弱な心から生まれるものではないと思う。 これはほかの人の存在や立場を尊重し、 また自分の誇りを持ち続けようとする、 強い心あってのものと思うのだ。 人の行為のなかに、「誇りある諦観」といったものを 垣間見るとき、その人に真の「大人」の姿を みることができる。 諦観には、誇りがあってこそ生まれる質の ものもあるのである。
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このごろ、「あきらめる」ということが
できるようになってきた。 迷ったりせずに、未練を残さず、心から 「あきらめる」ことができるのだ。 区切りをつけることができるようになったと 言った方がいいのかもしれないが。 まだ「諦観」とまではいかないまでも、 人間には、できないこともあるとわかってきた。 あきらめないといけないこともあると、わかってきた。 そして、そう思えたら、とても楽になってきた。 できないことがあるって、なんだか 素晴らしいことのように思える。 あきらめないといけないことがあるって、 とてもいいことのように思える。 できないことはせず、できることをやればいいのだと、 思えたら、無理しなくてもいいし、 あきらめきれないことをやればいいのだと 決心したら、気持ちが楽になった。 |
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