■「今日のことば」カレンダー 2024年10月■
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2024-10-28 |
1人でやろうとしない。 「自分でやったほうが早い病」 になってしまうのは完璧主義すぎたり、 他人をあまり信用できてなかったり するせいじゃないだろうか。 でも、世の中完璧なんてないんだし、 1人でできることには限界があるし、 適当に人に任せてできあがる部分も あるぐらいが自然なのだ。 あと、もっとも大事な点は、 人は結構何かを頼まれたがっている、 と言う点だ。 大体みんな、よっぽど余裕がないとき以外は、 誰かに声をかけてもらいたかったり、 頼りにされたがっていたりするものだ。 それは人が本質的に孤独だからなんだろう。 何かを頼んだり頼まれたりすることで、それを きっかけにコミュニケーションが生まれたり、 信頼関係や友情が生まれていったりする(略) 自分1人で全部やってしまうよりも、 人に手伝ってもらったほうが、 幅広くいろんなことができるし、 人間関係や信頼関係も広がる。 ラクに生きるために「頼み上手」や 「頼まれ上手」になろう。 |
2024-10-23 |
人の一面だけを見て判断しない。 私たちは、自分にとって都合がよいか悪いかで 他人のことをいい人だ、 ダメな人だと判断しがちです。 他人にはあなたの一部しか見えてないのと同様に、 あなたが見ているのは他人の一部にすぎません。 見えているのはほんの一部だけで、 簡単に評価されたくありませんよね。 もし、人のイヤな面を見てしまったときも、 即座に「イヤな人」と決めつけないで、 「今日はたまたま体調が悪かったのかな」 「人間味があるなあ」 と柔軟にスルーする術を身につけましょう。 |
2024-10-18 |
「自分を大きく見せない、 ぼちぼちでんな」 自慢しないほうが、 人に反感や妬みを持たれないので得だ。 「名より実をとる」と言ってもいいかもしれない。 人に下に見られることを恐れる必要はない。 僕は他人に下に見られることは、まあ 当たり前のことなんじゃないかと思っている。。 たとえば、 Aさんから見ると世界の中心はAさんなんだから、 僕の存在なんて取るに足らないものだ。 誰にとってもその人自身が世界の中心だし、 自分自身の価値観が絶対的な基準であるの当然のことだ。 だから、自分が他人の世界の中で 取るに足らない存在であったり、他人の価値観で ダメな人間であっても気にする必要はない。 他人の評価なんてどうでもいい。 自分が自分自身の世界の中でそれなりに 自己評価できるかどうかが重要だ。 自分をわざわざ大きく見せることをしなくても、 自然な自信を持てるような状態を目指していこう。 |
2024-10-16 |
今の世の中には無数の、 「しなきゃいけないこと」 があふれている。 テレビを見ても、ネットを見ても、 本屋に入っても、そこらじゅう。 「これをしないとヤバい」 というメッセージだらけだ。 なぜ、こんなに 「しなきゃいけないこと」 に追われるのだろうか? その理由の1つは「情報が多すぎるから」だ。 メディアではいろんな人々が口々に 「幸せになるには、こういう生き方をするべきだ」 「私はこれで成功しました」 という情報を絶え間なく発信し続けている。 こうした意見の1つひとつは間違ってはいない。 それを言っている人は、それを本当に信じているのだろう。 でも聞く側としては、いろんな人がいう情報の すべてを実践するのは無理だ。 だから、情報を自分で取捨選択しないといけないのだけれど、 あまりに情報が多すぎるので、 「どれが自分に必要なものなのか」 を判断するのがむずかしい。 その結果として、 「みんなが「これをしなきゃいけない」と いうのを口々に言うけれど、どれを 信じたらいいのかわからない」 ということになってしまうのだ。 |
2024-10-12 |
自分が認めたくない自分の性質を フラットにとらえるというのは、 気分のいいものではありません。 いくらフラットにって言ったって、 「ええっ?私はそんな人だったん?」 と愕然とすることにも直面します。 ただそんなイヤな一面(狡いとか、計算高いとか、 怒られそうなときに逃げ足が速いとか)を 認め直すと、生きやすくなっていることを感じました。 人に自分のイヤな部分を見破られ、 突きつけられることこそ、私が人生で 最も避けたいことだと気づいたからです。 自分を理解し、嘘偽りなくそういう自分だと 認めることこそが、私にとって生きやすさに 直結する条件であり、1人反省会の幹事を 降ろさせてもらえる手段でした。 それから誰かに 「あなたって結構、ズルいよね」と言われても 「いや、マジでそれで自分も困ってて」 と笑えるようになりました。 そのようなことを繰り返して数年たつと、 もともと複雑なところがシンプルに なってきたことを感じました。 すると、やりたいことをやってもいいし、 やりたいことは大きなことじゃなくていい。 「やりたくない」と言いながらやるべきことを やってもいいし、誰かに評価されるかどうかは 大事なモチベーションの源だけどそれだけじゃない。 自分が自分の一番の味方だと思えてきたのです。 |
2024-10-08 |
今、なんとなく 「やりたい」と思っていることは、 「社会がそれをすごいと評価しているから」 「評価されやすいから」「親が喜ぶから」 「みんながやっているから」のように、 他者の目線で決められていることが 往々にしてあります。 他者目線で良いと思うことをやろうとしても、 思ったように力が出ないのは当然です。 自分自身でやりたいと思っていることでは ないかもしれないからです。 そういうとき、人は、 「やらなくちゃ」とか「やるべき」 のように表現します。今やりたいと 思っていることがいくつかあるのであれば、 どのような言い方で表現しているかを 確認してみてください。 たとえば 「英語はやっておいたほうがいいよね」や 「取り組まなくちゃ」のような 自分に対する使役の言葉を使っている場合は、自分が 本当にやりたいことではない可能性が高いです。 |
2024-10-01 |
「Defy description」 (筆舌に尽くし難い活躍) これまで、 「amazing」(素晴らしい) 「he is not human」(人間技ではない) 「unreal」(現実とは思えない) 「otherworldly」(別世界の、異次元の) 「incredible」(信じられない) などの美辞麗句を駆使してきた 米メディアの記者達も、ついに、 「Defy description」 (筆舌に尽くし難い活躍) という究極の表現を使いはじめた。 |