■2025年01月06日の「今日のことば」■
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「今日のことば」
「嫌い」ということは、いうまでもなく 「反面教師」の役割も果たす。 ある人物が嫌いということは、 そのような人間になりたくないと いうことを意味することが多い。 だから、自分はそれとは別の方向、 しばしば正反対の方向へ進むことになる。 自分の嫌いな人はある意味で、 生きるためのモデルを提供していることに通じる(略) 多かれ少なかれ、そして、 意識するにせよしないにせよ、 多くの人が、尊敬する好きな人をまね、 嫌いな人を反面教師にして人生を選択してきただろう。 嫌いな先生を頭に置き、それに対して、 好きな先生を対置させて、自分だったら どのように教えるかを考えているうちに、私が 教育に関心を持ったのも間違いのない事実なのだ。 そして、だれしも同じようにして、 自分の進むべき道を決めるのだろう。 その場合の、嫌いな人の役割はとても大きい。
まゆの感想
私は、母が過去のことをいつまでも持ち出して、
愚痴っぽいところと自分を哀れむところ、 それを何度も繰り返し言い続けるところが、 本当にイヤで、こんなふうにはなるまいと決め、 母を「反面教師」にして生きてきたところがあります。 余談ですが、今になると、 母の立場や気持ちがわかり、 「そうしないとやりきれなくて、 そうせざるを得なかったのかもなあ…」 などと思ったりして、母に嫌味を言ったことを 申し訳なく思ったりもするのですが、ただ、 この「反面教師力」が、私に大きな影響を 与えたのは間違いないと思います。 しかしながら、もう一つ。 愚痴っぽい母でしたが、母はとても働き者であり、 新しいことに果敢にチャレンジする人でもあり、 周囲への気配りはすばらしく、正直な人でしたから、 周囲からの信頼は絶大なものがあり、 そんな母を尊敬もしていました。 そんな「反面教師」と「尊敬教師」とを 両方与えてもらって良かったな、感謝! とこのごろしみじみ思います。 「反面教師」も「尊敬教師」もどちらも 自分の生きる知恵、力になりましたからね。 |
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