■「今日のことば」カレンダー 2023年8月■
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2023-08-31 |
身近な年長者、年少者との コミュニケーションを大切にし、 学んだり教えたりし合って生きていくことが 案外「年の取り方がわからない社会」に 対していちばん有効な処方箋かもしれません。 もちろん、 これはどちらか一方の押し付けだけで 成立するものではなく、 「あの人は自分の知らないことを知っている」 「あの人は自分とは違う時間を生きている」のを 承知の上で関わらなければならないでしょう。 いつでも誰でもできるわけではないかもしれません。 それでも私は、世代間コミュニケーションこそ 年を取っていくための希望や可能性が あるのではないかと思っていますし、そこを簡単に 諦めてしまってはもったいないのではないか、 とも思っています。 「年の取り方がわからないなら、 上下の世代と学び合おう」 |
2023-08-29 |
私は、思春期以前から 「Aという成人もいればBという成人もいて それがダメならCという生き方も成立する」 ということを知っている子どもはラッキーで 単一解答としてのAだけを規範意識として インストールされるのは、 しんどいことだと思っています。 また、 Aという生き方しか許さない社会は どんなに物質的に豊かでも精神的には 息苦しい社会だとも感じます。(略) 誰もが同じような人生を選ぶわけではなく 狙い通りに運命をコントールできるわけでも ない以上、さまざまなロールモデルを 肌で知っている子どものほうがさまざまな 人生行路に対処しやすいでしょう。 |
2023-08-25 |
荷が重いときは、みなで 分け合って担いでいけばいいのです。 家族の間でも同じです。(略) 生きていくことは本当に重いと 感じることは誰でもあります。 そういうときはひとりで突っ張らないこと。 そばの人に 「いっしょにもって」 と声をかけてみましょう。 重荷を分かち合うと、 荷が軽くなるだけでなく、 共に荷を担いでいるという連帯感が生まれ、 なんだかとてもいい気分、 しみじみと幸せを感じます。 ひとりで歯をしばってがんばるよりも、 みなで力を出し合う。 それだけでしあわせになれるなんて、 人間は本当にすばらしい生き物です。 |
2023-08-23 |
ある評論家の仕事を手伝っていたことがあります。 学歴も評論家として独立するまでの 経歴もまばゆいばかり。 そのことは広く知られているのに、それでも 彼は出会う人ごとに自慢をしないではいられない。 それが理解できませんでした。 自慢話はさすがにストレートにではなく、 それとなく遠回しで、こんな具合です。 「本郷界隈には詳しいんですよ。 大学があの近くだったので」とか、 「政治家の××とは親しいんですよ。 彼とは駒場で寮がいっしょでしてね」 家族自慢も相当なもので、ご子息が通う 大学はいうまでもなく、奥さんの実家など、 なんでもかんでも自慢のタネ。 文句なしに優秀な方だったのですが、 あまり好印象はもてませんでした。 ところがあるとき、彼の内心は、 不安でいっぱいなのだと気づいたのです。 彼の出生はけっして恵まれたものではなく そこに触れられることは、彼にとって 屈辱のようでした。 自慢話は、そのあたりの話題を避けたい 一心からだったようです。 自慢話の多い人は往々にしてこんなもの。 みなが自分を評価し、ちやほやして くれなければ不安でたまらない。 裏を返せば、本当は自分に不安を感じていて 自慢話はそれを隠すヨロイなのです。 |
2023-08-07 |
試行錯誤を重ねるうちに、 単純に注意するだけではない秘策も 思いつくようになりました。 それは、おしゃべりをやめない学生の 隣の学生を指名するということです。 不思議なことに、この方法だと ピタリとおしゃべりがやむのです。 おしゃべりを止められない学生でも、 隣の学生が指名されて起立して、 一生懸命に答えようとしていたら、さすがに 口をつぐんで授業に参加するものです。 これは、隣の人への「配慮の気持ち」が 残っていることの表れです。 つまり、全面的に空気が読めないと いうわけではないのです。 「最初から、 おしゃべりをしている学生を 指名すればよいのでは」 と思われる人もいるかもしれませんね。 けれども、本人を指名した場合、 「わざと当てた」と、 気分を害してしまうかもしれません。 だから「隣の学生を指名する」 のがちょうどよいのです。 |