■2025年01月29日の「今日のことば」■
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![]() 言葉には「降り積もる」という性質がある。 放たれた言葉は、個人の中にも、 社会の中にも降り積もる。 そうした言葉の蓄積が、 ぼくたちの価値観の基を作っていく。 「心ない言葉」なんて昔からあるけれど、 ソーシャルメディアの影響で 「言葉の蓄積」と「価値観の形成」が 爆発的に加速度を増してきた。 しかもその爆発を、誰もが 仕掛けられるようになってきた。 それが怖い。 「誰かを黙らせるための言葉」が降り積もっていけば、 「生きづらさを抱えた人」に「助けて」と言わせない。 「黙らせる圧力」も確実に高まっていくだろう。(略) こんな「圧力」を高めてはいけない。 理由は「生きづらい人が可哀想だから」じゃない。 「可哀想」というのは、 「自分はこうした問題とは無関係」 と思っている人の発想だ。 こうした圧力は、 「自分が死なないため」に 高めてはいけないのだ。
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仕事をしていると「圧力」とか「脅し」とか、
「誹謗中傷」「忖度」「同調」とか、 そういう目に見えない力を仕掛けられ、 恐怖感を抱くことがあります。 それらから、どうやって逃げるか回避するか、 戦うか、考えねばならないこともあります。 何度か悔しい思いをしたこともあります。 今大騒ぎのフジテレビ問題も、 内部環境があらわになるにつれて、 大物タレントたちも言動があらわになるにつれて、 権力を振りかざし「圧力」をかけて脅し続け、 人を人とは思わず、人の心はどうでもよく、 有無を言わさず、従わせてきたのではないか、 と推測します。 世界をみれば、戦争も政治でも、 力をもった一握りの人間が、強い力を振い、 脅し言葉を乱発し、パワーゲームを仕掛け、 その結果、世界がどう崩れていこうか、 壊れていこうか、人がどう壊れていこうか、 そんなことなどどうでもよく、 自分がよければそれでよく、 人の死をもなんとも思わない… とても恐ろしい人たちがいると思う。 そんな人たちは一部だと思いたいが。 恐ろしい人たちが発する、 「誰かを黙らせるための言葉」を 降り積もらせてはいけない。 「誰かを黙らせるための言葉」に 力を持たせてはならない、と私も強く思う。 そして力は、 これからのよりよき未来のために、 人が生きづらくない世界になるために、 みんなが幸せを感じるためにこそ、 発揮してもらいたい。 使っていってもらいたい。 そういうことに使うため、私も力を持ちたい。 すでにそうしている方々もいるので、 その方々と力を合わせ立ち向かい、 互いに助け合って、力にしていきたい。 |
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