■2018年12月14日の「今日のことば」■
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「今日のことば」
仏教の話にこんな話があります。 出家者が道を歩いていると、道ばたの木の上から声がします。 「おい、そこへ行く坊さんよ」 見ると、100歳をゆうに越えると思われる仙人らしき人物が 木の枝に腰かけて見下ろしています。 「何かご用でございますか?」 「そうだ、見ればお前は出家のようだが」 「さようでございますが」 「ならば聞きたいことがある。いったい釈迦が開いた仏教と いうのは、どういう教えだ?一言で言ってみろ」 「はい、お釈迦さまの教えは、一言で申し上げますと、 〝善いことをせよ、悪いことはするな〟という教えでございます。 仙人はフンと鼻で笑うと、馬鹿にしたようにいいました。 「なにぃ?善いことをせよ、悪いことはするなだと? バカバカしい。そんなことは釈迦が言わずとも、 3歳の子どもでも知っておるではないか」 「そうでございます。3歳の童(わらべ)でも知っておりますが、 80歳の翁(おきな)でも、それを実行するのは むずかしゅうございます」 こう言われた仙人は、すぐさま木から下りて、 その出家の弟子になったということです。
まゆの感想
歳を重ねても、〝善いことをせよ、悪いことはするな〟と
頭でわかっていても、心でそう思っていても、 なかなか実行はむずかしい…ですよね。 名取住職は、こう言っています。 「自分はまだまだ人としてなっていないことに気づくことを 〝無明の自覚〟と言います。仏教では、 人生という道を手さぐりで進み、転んだり、 迷ったりしている状態を〝無明〟というのです。 私たちがより良い人生を歩んで行くには、まず、この 「無明の中にいる」ことを知ることが大切なのです。 〝まだまだの自分を知ること〟こそが出発点です。 定年を迎える方の多くは、仕事が忙しくてできなかった趣味や、 勉強、ボランティア活動などについては、積極的に取り組もうとします。 しかし、それと同時に、〝耕しきれていない心〟を自覚して、 心に磨きをかけていけば、グンと人生の幅と厚みが増すことでしょう」 前に進むことばかりでなく〝無明の自覚〟を忘れずに 生きていきたい、ですね~ |
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