■2017年03月27日の「今日のことば」■
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「今日のことば」
心臓移植を受けた男性が、何をしたいかと記者に聞かれて、 「ビールを飲んで、ナイターを観たい」と答えています。 多くの人の善意で渡米し、移植手術を成功した人が、 仕事もせずギャンブルに明け暮れ、周囲を落胆させました。 「寄付金を出したのはバカみたい!」 支援者が憤慨したのもわかります。 命が延びたことは良いことなのに、なぜか釈然としないのは、 延びた命の目的が、曖昧模糊になっているからではないでしょうか。 臓器提供者の意思の確認や、プライバシー保護、脳死の判定基準など 二次的問題ばかりが取り上げられて、それらの根底にある 「臓器移植はしてまでなぜ生きるのか」という確認が、 少しもなされてはいないようです。 つらい思いをして病魔と闘う目的は、 ただ生きることではなく、幸福になることでしょう。 「もしあの医療で命長らえることがなかったら、 この幸せにはなれなかった」 と、生命の歓喜を得てこそ、 真に医学が生かされるのではないしょうか。
まゆの感想
今話題の「なぜ生きる」を読んでみて、
最初に印象に残った話でした。 この本の中に、 「生きる目的がハッキリすれば、勉強も仕事も健康管理もこのためだ、 とすべての行為が意味を持ち、心から充実した人生になるでしょう。 病気がつらくても、人間関係に落ち込んでも、競争に敗れても、 「大目的を果たすため、乗り越えなければ」 と、「生きる力」がわいてくるのです」 ということも書かれています。 けれども、その目的を果たしたとき、あるいは、 その目的がなくなったとき、とたんに 「生きる力」を失うもの人間だとも書かれています。 その観点からいえば、心臓移植した男性は、 当初は「心臓移植すること」が目的で生き、移植が成功した後は、 その目的を失い、ギャンブルに向かった…のかもしれません。 どんなふうに生きればいいのか… というより、私は、どんなふうに生きたいか、 それが大事なのではないか…そう思いました。 |
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