■2017年03月23日の「今日のことば」■
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「今日のことば」
わたしの経験からいえば、 知識偏重教育のなかで学んできた秀才タイプの学生は、 テストは70点より90点のほうが絶対いいと信じています。 その20点の差は、知的レベルの差であるとさえ思い込んでいます。 しかしふだん70点レベルの学生が、 卒業論文ではひじょうにおもしろいものを書くことがあります。 学校ではあまり勉強していそうもない、おそらく読書量も すくなそうな学生ですが、発想がユニークであったり、 考え方にも人をうならせるようなところがあるのです。 なぜ、このようなことが起きるのが。 70点の学生は、足りない分、自分なりに 自分の頭で考えているからです。 対して90点をよしとする学生のほうは、 自分の知識で勝負します。 だから、独自の思考力が求められる論文では、 書いたものがおもしろくないのです。
まゆの感想
外山さんは、教育論などを書かれている方ですが、
自分で考える力が大切だと以下のように言っています。 「知識の習得ではなく、考える習慣。 この大切さを、あらためて胸に刻むべきです。 これまで日本でおこなわれてきた教育は、 知識の集積を最優先するものでした。 それは、本来の学問とはいえないものです。 学問とは、進歩するものです。 知識をいくら積み上げたところで、進歩はありません。 過去50年くらいを振り返れば、知識の集積は コンピューターが代替えするようになって、いまは 人間以上の処理能力をもつようになっています。 知識の集積では、人間はとうていかなわないのです。 にもかかわらず、知識をふやすことをもって、 人間の知的進化のように考えるのは、まことにバカげたことです。 むしろ、知識がふえればふえるほど、 それに反比例するように、思考力が低下することを、 わたしたちはもっと早く気づくべきです」 考えることが面倒になり、なんでもインターネット情報頼り… 考えたってどうにもならないからと、考えることを放棄する… 知っていることで、ただ満足して、それから先を考えない… 自分を振り返ってみると、そういうところがあります。 そういうことが多くなってきていると感じます。 これは、いかんな、と思ったしだいです。 |
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