■2016年05月18日の「今日のことば」■
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「今日のことば」
闇夜を嘆くことはない。 人生はいつも光に照らされている、というわけではありません。 光が陰った道を歩かなければならないときもあれば、 あたり一帯が闇に包まれることもある。 闇で視界が閉ざされたら、 恐怖に襲われるし不安にもさいなまれるでしょう。 足がすくんで歩けなくなるかもしれません。 しかし、人生の歩みをとめるわけにはいきません。 「何をやってもうまくいかない、人生、挫折ばっかりだ。 もう投げ出したい」 闇夜は、ひとをそんな心境に陥れます。 やめられるものなら、いっそやめてしまいたい瞬間もあるのが人生。 生きていく何の縁(よすが)もない、と思えば闇は深まる一方です。 闇夜を照らす「何か」を見いださねばなりません。 江戸時代の儒学者で、佐久間象山、渡辺崋山らを育てた 佐藤一斎は、その著「言志四録(げんじしろく)の中で こう言っています。 「一燈をさげて闇夜を行く。 闇夜を憂う(うるう)ことなかれ。ただ一燈を頼め」 提灯(ちょうちん)ひとつさげ、ただそれに頼っていればいいのだ。 闇夜を恐れたり、嘆いたりすることはない。 さげるべき提灯があれば、闇が深くとも、 安心して生きていける、ということでしょう。 一灯があれば、それでいい。
まゆの感想
その「一灯」、その「何か」をどうやって見つけるか。
自分自身の提灯をどうしてみつけるか、ですが、 池口さんは、こう言っています。 「これまでを振り返って、 師と思える人との出会いはなかったでしょうか。 思い悩んでいたときに、そこを抜けだすヒントをくれた人、 落胆の極みにあったとき、どこからか手を差し伸べてくれた人。 いまの自分にいちばん大きな影響を与えてくれた人… 年長者でも同年代の友人でも、もちろん両親でも、 そんな人がいたら、心強い提灯になる、と思うのです。 胸に秘めた「志」も文句なしの一灯です。 「こんな人間になりたい」「こう自分を生かしたい」 「こんなことをしたい」… 何でもいい、我欲とか執着とか、打算といったことから離れた 志なら、曇りのない光で闇夜を照らしてくれるに違いありません。 頼むべき一灯に気づいてください。 見きわめたら信じてください。 そして、それが光を失わないように磨いてください。 放っておいたら提灯にもほこりがたまり、光が鈍ってきます。 いざ、というときに取りだしても、充分な光を発して くれなければ、足元がおぼつかなくなります。 書物にほこりがかぶっていませんか? 師と呼べる人と疎遠になっていませんか? 志を諦めてしまってはいないでしょうか。 一灯は人生をともに歩いてくれる、かけがえのないものです。 光を鈍らせてはいけません」 自分の一灯大切にして、一灯を頼りにして 闇夜を嘆かずにいきましょう。 |
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