■2014年02月10日の「今日のことば」■
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青山俊董(しゅんとう)さんの「禅のまなざし」という本の中に、
次のようなエピソードが語られています。 仕事上、病院に出入りを許されている一人の男性がいました。 その人は、手のひらに握れるくらいの小さな石を持っていて、 その小石には、ひらがなで「だいじょうぶ」と書かれていました。 男の人は病院に行って、自分の病気が治るかどうかと悩んでいる人、 または、これから手術を受けようとする人に、 この小石を握らせてやります。すると、 患者は喜んで握りしめ「私の病気は治るのですね」 「手術はきっと、成功するのですね」と口々に言います。 これに対して、その男の人は言います。 「これは、あなたの願っている通りになる 《だいじょうぶの小石》ではありません。 どちらに転んでも大丈夫という小石なのですよ」(略) 「だいじょうぶの小石」を握りしめないといけない時が、 私たちにもあります。 「どちらに転んでも大丈夫。 神さまのなさることに間違いはないのだから」 と呟きながら…
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渡辺さんは、こうも言っています。
「祈ることは、とても良いことだし、必要なことです。 でも「苦しい時の神だのみ」ということわざがあるように、 私たちはとかく、自分勝手で、困った時だけ 「助けてください、合格させてください、病気を治してください」 と祈りがちです。 私たちが《欲しいもの》を祈るのに対して、 神さまは、《要るもの》をくださいます。 成功させてくださいと祈ったにもかかわらず、失敗に終わるのは、 その時の私にとって、失敗を通して謙虚になることが、 むしろ必要だったからなのです」 生きていればいろいろなことに境遇するし、 思いもがけないことにも出会います。 思ったようにいかないことばかりと思うことも多いものです。 そんなとき、 「どちらに転んでも、必ずだいじょうぶ。 神さまは、必ず守ってくれる」と、 自分を超えた大きな存在に、自分の思いを任せてしまうと、 ふっと楽になり、前に進めるようになります。 「なんで、自分ばかりこうなのか? 祈ったとの違う、神さまなんか嘘っぱちだ」と、 恨んでばかりいると、辛いばかりの人生になっていきます。 もちろん、祈ったような結果にならないかもしれませんが、 それはきっと神さま仏さまが、今自分に必要な《要るもの》の方を 授けてくれるから、なのかもしれませんね… その時には、「こんな残酷な…なんでこんなことに…」と 思うかもしれませんが、長い目でみれば、 きっとそれが必要だったとわかるときが来るかもしれません。 いろいろありますが、 「きっとだいじょうぶ、どちらに転んでもだいじょうぶ」 そう信じて生きていきましょう。 |
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