■2008年05月10日の「今日のことば」■
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親は成熟した人格ではない。
幼い子どもにとって、親は完璧な存在である。 子どもは親を理想化し、神聖化するからである。 しかし、親とは、実際には多くの未熟さを持った存在である。 子どもと同じように、劣等感で悩まされたり、 嫉妬したり、利己的誘惑に負けたり、 欺瞞的な行動をとったりする。 時には満たされぬ性欲に悩まされる。 子どもは自分に向けられる親の愛や 親同士の愛情関係を無条件に信じている。 しかし、親同士は実際には危うい愛情関係の中で、 生活していることが少なくない。 こうした親の未熟さに起因する出来事が、家庭にさまざまな 葛藤をもたらし、子どもの性格形成に作用する。(略) 親は完成した人格の持ち主ではないので、 こころの基礎を作る親子関係は、 純粋で温かいものばかりではない。
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以前も少し書いたが、この本ではこうも言っている。
「親もまた、その親の被害者であるのだ。 考えてみれば、完璧な親に育てられた人などいない。 結局、誰を責めても仕方がない。 自分の人生を誰かが代わって 生きてくれるものではないのだから、 自分の人生を作れるのは、ただ自分だけなのだ」 親もまた、一人の未熟な人間である… こんなことを忘れがちになり、 親にはどうしても理想的な親像を求めてしまう… 親はこうあるべき、他の親はこうだ、親らしく… そして、それを年老いた親にも押しつけてしまう… いくつになっても親への気持ちは変わらないらしい。 (と、私は自分をみるとそう思う) しかし、気がついてみれば、自分が親の世代になっても、 すっかり大人の年齢になっても、完璧な大人にはなれず、 悟りを開けているかというと、そんなことはなく、 心は、若い頃の未熟なまま、葛藤に悩んだりもしている。 また、昔のままのわがままな子どもの心を持った自分もいる。 つまり、歳をとったから、立派な大人(親)になるかというと、 そうではなく、心はあまり歳をとってはいないのだ。 こんな心を持っているのは、私だけではないと思う。 自分もそうなように、親もそうなのだ… 親もまた、一人の人間である。 一人の人間としての心を持ち、歴史を持っている。 こんなことを忘れず、親の心も歴史も大切にしてあげたい、 母の日を前にこんなことを思ったのだった。 |
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