■2022年05月12日の「今日のことば」■
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![]() だれにも「かまわれない自由」は、 だれかに「かまわれたい欲望」、 「かまってほしい願望」を 生んでいると思われるのです。 そう考えられる理由のひとつは、 人間はだれかにかまわれることで 人生をスタートし成長していくからです。 「小さなときから子どもは 盛んに評価を求めて行動します。 なぜ、そういうことをしきりにやるかというと 大人が評価を繰り返し浴びせるからです。 つまり、いたるところで評価されるからこそ 評価を求めるようになるのです。 見つめられからこそ、見せようとするのです。 (石川准「人はなぜ認められたいのか」より) 見つめられ、かまわれることで人生を スタートしたために、一生わたしたちは 見つめられ、かまわれることを求めるのです。 どんなに「かまわれない自由」が大切でも、 「かまわれたい欲求」はついてまわるのです。 こうして現代人は、 「かまわれたくない」と「かまわれたい」 のあいだで葛藤するようになったのです。
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「かまわれたくない」と「かまわれたい」
という葛藤は、私は確かにあります。 なんて勝手だと自分でも思うけれど あるときは「かまわれたくない」 ある日は無性に「かまわれたい」… どちらの比率が高いかというと、 「かまわれたくない」方ですが、 あまりにかまわれないと、今度は、 孤独を感じ落ち込みます…(苦笑) それもそのはず、 「かまわれない自由」と「かまわれない孤独」 は、セットだそうです。 うんうん、そう思います。 周囲に聞いてみても、同じようなので、 きっとこんな葛藤は、多かれ少なかれ、 だれにでもあるのでしょうね。 「かまわれたくない」と「かまわれたい」 のバランスが、うまくとれるといいですね~ |
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