■2021年03月10日の「今日のことば」■
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「今日のことば」
わたしは以前より、 「しみじみ教」というのを提唱しています。 何かというと、すぐに右だ左だ、 善だ悪だと過剰反応する世の中にあって、 もう少し引いた目、物事を透明に見る まざなしを持ったほうがいいな、 いい人でも悪い人でもしみじみ見るのが いいんじゃないかという教えです。 この世界をしみじみ眺めるとか、 自分の人生をしみじみ受けいれるとか、 いい悪いではなく、もっとこう引いた感じ、 透明な感じで生きていこうよ、と。 幸せだとか不幸せだとか、 あいつはいいやつだとか悪いやつだとか、 そういう二元論でいたずらに興奮せずに、 あいつはほんとうにいいやつだとしみじみ感じ、 こいつはほんとうに悪いやつだとしみじみし… それでいいんじゃないかって。 (多摩教会主任司祭/晴佐久昌英)
まゆの感想
しみじみ…今では、もしかしたら、
死語に近いことばではないかとも思いますが、 そういう「しみじみ」することが、生きて行く上で、 大事ではないかと、この本の語り合いの中で、 晴佐久司祭は言っていました。 しみじみ眺める、しみじみ受け入れる、 しみじみ味わう、しみじみ感じる… そんなことは、 「忙しい、あれもやらなきゃ、 これもやらなきゃ…」の中では、 なかなかできませんよね。 なんでもさっさと手間をかけず、 あれやれこれやれ、早く早くと追い立てられ、 家族や子どもも誰かも追い立てる… 情報も手っ取り得て、深く考えない。 自分の気持ちもしみじみ感じることもできず、 誰かのことも拙速に分類して区別し、 しみじみ考える、なんていう時間もありません。 必死なうち、忙しいうちは とくにそうなりますよね。 そうして、しみじみを失っていき、 その感覚を忘れていくようですが、 私は、歳を重ねてきて、 それでは人生もったいないなあ、 なにかかけているようだなあ、 と思うようになってきました。 しみじみして、 何か得になるの? いいことあるの? と思われる方もおられると思いますが、 理屈でなく、そんな?を越えて、 ただ自分が落ち着く何かを感じられる、 そんな感じがします。 そんななので「しみじみ教」入信です(笑) |
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