■2009年03月20日の「今日のことば」■
前日のことばを見る 次のことばを見る
「今日のことば」
死んでしまいたいほど自分をみじめに感じるときは、
どうしてもそれなしには幸せになれないと執着している、 自分への賞賛や、同意や、拍手喝采や、愛情が得られず、 それらを渇望している状態ではないでしょうか? ともかく「これがなくては幸福になれない」 と信じているものが与えられないとき、 人生はかさかさになり、こころは落ち込み、 自己嫌悪にとらわれ、みじめになってしまいます。 こうした状態は、すべて 「これがなくては幸福になれないもの」 への執着に根がありそうです。(略) 「内なる魂の思い」が豊かなとき、 人は執着を手放すことができます。 そして、天の配慮による悲惨な出来事に直面しなければ ならなくなったときにも、それを現実のものとして、 聖なる諦めを持って受け入れる力を持つことが できるようになります。 現実に対して 「なぜ、こんなことが私に起こったのか」と恨み、 現実と戦っている間は、決して平安は訪れません。 どんなに大変でも、現実を受け入れることから、 人間らしく生きられるようになります。 執着を手放して、執着を諦める大きな力こそが、 幸福への鍵だからです。
まゆの感想
人間だし、生きているし、迷いもあれば、
人をうらやましくも思い、それほどに強くもないから、 やはり、何かに対して、誰かに対しての執着はある。 少なくても、私には大いにある… そして、この執着をなかなか手放せない。 この執着する思いがなかったら楽なんだろうな、 のびのびと素直になれるんだろうなぁ、とも思う。 この執着が自分を縛っていることも 苦しめていることも、よくわかっている。 けれども、この執着が、自分の深いところで 何かとしっかりと結びついているようで、 わかっていても、なかなか手放せない… 手放したら、自分でなくなりそうな怖さも感じる。 自分の執着に気がつき、それを意識し、 さらにその執着を手放すことは…なかなかむずかしい。 しかし、この執着をどんなことがあっても手放さないぞ、 と強く執着すると、ますます自分が追いつめられ、 苦しくなっていくこともわかる… せめて…なんとか、自分の持っているこの執着と、 前向きにつきあっていきたい、そしてできれば、 執着から自由になりたいと、しみじみ思う。 |
|