■2007年09月26日の「今日のことば」■
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「今日のことば」
「相手が悪い」あるいは「自分が悪い」と、
裁判のようにいずれかを裁いても、 その関係を修復できるわけではありません。 修復できるのは、相手が自分にとって大切な人だから、 「愛し合うために努力しよう」と 心から思った瞬間であって、悪いという判決が出たから 修復できるというものではないのです。(略) どちらかが「良い悪い」の白黒で決着をつけようとすると、 「私が良い」であれば、「相手が悪い」になりますし、 「相手が良い」であれば、「私が悪い」になるしかありません。 「良い、悪い」に囚われてしまうのです。 「良い悪い」あるいは「正しい、間違っている」などに こだわり過ぎると、相手を責めたり自分を責めたりと、 2人とも、両方の思いで苦しむことになるのです。
まゆの感想
知らずに、不毛な争いになっていることがある。
「良い悪い」「正しい、間違っている」で 争ったりする場合だ。 人は、自分は「良い」でありたいし 「正しく」ありたいと思うらしい。 なぜなんだろう… なぜ、そう思いたいんだろう… ちょっと考えてみた。 いつも、「良く」あっても「正しく」あっても、 それで愛されるわけでは決してない。 むしろ、いつもそうであったら、 疎まれて、避けられてしまうだろう。 そんな人とは、堅くてつきあっていけないだろう。 人は、多少悪いことあってこそ、間違えてこそ、 愛されたり、好かれたり、 仲間に入れてもらえたりするのではないだろうか。 いつも「良く」て「正しい」からではないと思うのだ。 もちろん、逆にいつも「悪く」て「間違っている」としたら、 そちらも、愛されることはないだろうと思う。 だから、互いに、そうやって、 「良い悪い」「正しい、間違っている」 を、押し付け合っても、主張し合っても、 愛とはほど遠い争いという感じがする。 きっと、「良い悪い」「正しい、間違っている」 は、もっと、違った意味合いがあるのだろう。 もっと、根元的な自分とのつながりや、 自分の自信のあるなし、存在価値への主張など、 いろいろと複雑なものがあるのだと思う。 そう考えているうちに 「お互いさま…」なんだな、なんて、思えてきた。 |
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