■2024年03月04日の「今日のことば」■
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「今日のことば」
注意すべきであるのは、 人の行動の多くは、非合理的であることだ。 もちろん、自己利益(金銭)が優先事項に なることもあるが、最終的に人を動かすのは 「快、不快」あるいは、 「好き、嫌い」の感情である。 利益を捨てても、憎い相手には 頭を下げないことはよくある。 そういう観点から見れば、 攻撃的で不寛容な人たちは、 自らの感情に忠実な人たちと 捉えることができるかもしれない。(略) 現在の日本においては、 ジャーナリズムにも人権団体にも、 宗教団体にも属しない普通の個人が、 無関係な他者を徹底的に糾弾するという、 過去にはみられない事態が頻繁に起きている。 この「不寛容」という現象は、 ある意味、現在の日本人社会を特徴的に 表しているようにも思える。
まゆの感想
「不寛容だなあ」
「なにもそこまでしなくても…言わなくても」 というような感覚を覚えることが この頃多いように思います。 例えば、 赤ちゃんの泣き声に怒鳴る人がいたり、 窓口対応のちょっとした行き違いに いきり立ったり、文句を長々と言ったり、 ちょっとのことにクレームをつけたり、 ネットで執拗にヘイト発言や差別発言、 非難、批判したり、それも匿名で… そんなことを目にするたびに、 「うーん、なんだかな」と思うのですが、 ふと振り返ってみると、自分にも そんな不寛容があることに気がつきます。 「私、不寛容だな、 理不尽なことで怒ってるな、 なんでこんなところで腹をたてる」なんて。 その原因を自分の中で探ってみると、 自分の中に消化されないもやもやが常にある、 ものごとが、自分の思い通りはこばない、 相手の対応が、自分が思っているのと違う、 あまりに理不尽と思える、変だよ~と ことが多い、などかな、と思います。 (きっともっとあるな) そんなこんなで、 自分の「こうあるべきだ」が強まっていて、 でも、それを正直に直接的には表せず、 そのはけ口がなく、そのイライラを、 身近な人や見知らぬ人に向けがち、 なのかもしれないと思います。 (これも、きっともっとあるな) 「不寛容」な自分と どうつきあっていくか、 これからの課題かな… |
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