■2015年04月28日の「今日のことば」■
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人は自分が間違っていたと分かっても、素直にそれを認められず、
自分の体裁を守るためにその間違いを押し通してしまいます。 こんな心(意地やプライド)を仏教で「我慢」といいます。 この「我慢」は年とともに強くなっていくような気がします。 小学生の頃、友達とケンカして、 「お前とは絶交だ!」と言っても、次の日になると 「昨日はごめん…やっぱり遊ぼう」と仲直りできました。 中学生や高校生になると、そんな簡単にはいきません。 大人になってケンカすると、さらに仲直りが難しくなります。 お互いに「向こうが謝るまでは絶対に謝らない」と、 「我慢」は年を増すほど強くなるようです。 ちょっとしたことになのに、自分の非を認められず、 離れ離れになる夫婦や友達、恋人はどれほどいるか分かりません。 「ごめんなさい」「悪かった」と素直に言えたら、 かけがえのない人を失わずに済んだのに。 そんな後悔が年とともに増えていきます。
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さらに、岡本さんの話はこう続きます。
「私たちの意地やプライドは、大切な人を失ってまで 守らなければならないほど大層なものでしょうか。 ほとんどの場合、後で振り返ると、 くだらないことにこだわっていたと後悔するのです。 素顔の自分は「本当は謝りたい」と思っていながら、 意地やプライドがじゃまをして言葉にできず、 失いたくない人が自分から離れていくのを後悔しながら、 どうしようもできずにいるのです。 そんなとき、勇気を出して、素直に謝ってみましょう。 勇気がいるかもしれませんが、大事な人を失う心の痛みと 後悔に比べたら、たいしたことはありません。 まず形からでもいいのです。 「ごめん、悪かった」と言ってみましょう。 今からでも遅くはないのです。 素顔の自分で接すれば、相手も素直で接してくれるのです」 「我慢(意地やプライド)」は、 それがあるために自分を高めたり、守ってくれることもありますが、 それがあるために、誰かやなにかをなくすことも多々あります。 また、よい意味で「我慢(意地やプライド)」を持ち、 誇り高く、自分を成長させていければいいけれど、 だいたいは、くだらないところやどうでもいいところで、 主張し押し通しがちで、逆にひんしゅくをかったりします。 なんでそうなるんでしょうね… やっぱり昨日話した我利我利なんでしょうか… くだらない「我慢(意地やプライド)」を持たないようにしよう、 どうでもいいところで主張するのはよそう、そして、 悪かったと思ったら、素直に謝ろうと思いました。 (できるといいな…(笑)) |
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