■2013年11月25日の「今日のことば」■
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人は、どんなささやかな希望でもよい、
希望さえあれば、たいていの試練には耐えられる。 今はつらくても、「将来必ずこの苦労が報われる」 と思えば、かなりの苦労にも耐えられるものだ。 だが、現在のように希望が見えないときには、 さすがにタフな人の心も後ろ向きに引きずられてしまう。 「このつらさが本当に報われるだろうか?」 この問いかけが何度も繰り返されたとき、 人の心は耐え切れなくなる瞬間を迎える。 何があろうと傷つかない無神経、鈍感な「究極の自己中心」 人間を除き、生身の人の心は傷つきやすく壊れやすいものだ。 だからこそ、安らぎもくつろぎも必要になる。 そして何よりも「ほっとする」瞬間が欠かせない。 もちろん厳しい環境は簡単には変えられない。 苦しさを感じさせる環境も避けて通れないかもしれない。 しかしそこから先「そんなつらさや苦しさをどう受け止めるか」 は変えられる。 しかも、自分自身の力で変えられるのだ。 良いほうに考えるのも、悪いほうに考えるもの、自分である。
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自分が一生懸命努力し、頑張っているのに、
光が全く見えない、成果がでない、思うようにいかない、 いいことのひとつもない、などが続くと、 「このつらさは本当に報われるだろうか?」 「こんなことをやっていて何か甲斐があるのだろうか?」 「自分がやっていることはムダではないのか」 などと思えてきます。 こう疑問がわいてくると、頭の中がその疑問でいっぱいになり、 悶々として、やる気がなくなってしまうことがあります。 こんなとき、 「どうせ、報われないからやめる」 「報われそうかどうか、様子を見つつやる」 「報われそうなら、やってみる」 「報われるかどうかはわからないけれど、もう少しやってみる」 「報われるかどうかなんて気にせず、自分がやってみたいからやる」 「せっかくだから、やってみよう」 などなど、自分の中で葛藤しているのだと思います。 そして、やるかやらないか、続けるか続けないかを判断しつつ、 自分なりの道を選んで進んでいくのだと思います。 生きているのだから、いろいろあるし、 報われることもあれば、報われないこともあります。 報われることばかり考えていると、かえってつらくなりますから、 報われなくてもやりたいことをやっていきたいと私は思っています。 |
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