■2012年06月01日の「今日のことば」■
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人間は「守り」に入ったら、弱いかもしれません。
しかし「守る」ではなく「護る(まもる)」だったらどうでしょう。 実は私は、この「護る」こそ、万能の言葉だと思っているのです。 「守る」には、社会のルールを守る、世間の常識を守る、 といった保身のイメージがあります。いわば競争社会のなかで 「出る杭」にならないために子どものころから教わってきた 処世術のような感じがあります。 それは教わって押しつけられてきて、自分のためというよりも 誰かのために心ならずもとる生活態度ですから、これが自分の中に たまると、いきなり爆発して「攻め」に転じてヤバイことに なったりするわけです。 「護る」という言葉には、もっと全体感があります。 生命を護る。自分の生き方を護る。家族を護る。 ここには「守る」も「攻める」もありません。 鳥がせっせと巣へエサを運ぶように、母ライオンが仔ライオンの ために躊躇なく自分より大きな動物に襲いかかるように、 ただ本能に従って自分の大切なもののために行動する、 それが「護る」です。 自分の身を「守る」ためだと怖いことでも、 何か大切なものを「護る」ためなら怖くない。 だから「護る」は万能の言葉なのです。
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「護る」と「守る」、同じまもるでも、
こんなに意味合いが違うものなのかと知りました。 すると、イメージも違ってきて、 例えば「守る」だと、頭を抱えて丸くなり何も寄せ付けずに、 じっと自分をだけを「守る」というイメージですが、 「護る」だと、すくっと立ち上がり周りを見渡して 全体を「見護る」、そしてよきものは取り入れ、そこには、 自分だけではなく他のもののいる、そんな感じになりました。 著者のプロ雀師桜井さんは、 「どんなに強い「守り」でも、守りである限り本質的にモロい」 と、言っておられますが、 「護り」だと、自分一人だけではないので強いのでしょうね。 というか、強くならざるを得ない、のでしょうね、 全体を「護る」ために… 同じまもりでも、「守りに入る」のではなく、 「護りに入る」という方がいいなぁ、と 漠然とではありますが…思ったしだいです。 |
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