■2011年01月19日の「今日のことば」■
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「今日のことば」
「ほめ言葉を待つな」
いい大人になっても、他人の言葉を聞かないと 自分の行動やその結果の評価ができないのでは情けない。 しかし、私の知る限りでも、高い地位にある人が 他人の言葉の中に自分へのほめ言葉がないか捜す人もいる。 そして、自分をほめる人間を重視し、ほめない人間を 軽視したり、嫌ったりする。 こうした人は「ほめられ病」にかかっているのである。 お互いに、大人の心の中には、自分の行動や結果を厳しく 評価する判断尺度を持っているものである。 他人に言われないと安心できないという人は、 自己不確実という病気になっている。 他人の言葉を待つようになったら、 自己敗北の道を歩いていると思うことである。 ほめることは他人に、やる気や、勇気を出させる 結果となるからよいことである。 しかしあなたがほめ言葉の山の中に住みたいと思ったら、 やがて不幸がくる、と思っても欲しい。 早く、自分の行動、その結果に自信をもって 自己評価する癖をつけたいものである。
まゆの感想
この本では、こんなことも言っています。
「一般的に、ほめ言葉によって生きがいを感じている人は、 ほめ言葉を得るために全力投球して、自分の 「ひとに見られているよいイメージ」づくりに努力して、 自分の人生を失ってしまうものである」 ほめられて嬉しくない人は、よほどひねくれた人でない限り、 いないと思うけれど、そのほめ言葉を、 「期待する、待つ、強制する、生き甲斐する」ような 人間になるな、自分で、自分の評価基準、行動基準を持て、 とこの本では言っています。 ほめられるのは、相手の好意であるし、相手の評価である。 それを、「期待する、待つ、強制する、生き甲斐する」と、 相手は、正直な素直な評価が出来なくなるし、 いつもほめ言葉を強制されるようでイヤになってくる。 また、ほめ言葉を「期待する、待つ、強制する、生き甲斐する」 として行動し、生きていると、これらが少しでもないと、 やる気をなくしたり、怒りを持ったり、落胆したりして、 「何をやっても評価されない」などと、ひがむようになっていく。 ほめ言葉は、それを評価基準、行動基準とするのではなく、 誰からからいただけたらラッキー、嬉しいもの、ありがたいもの、 と思っているくらいがいいように思う。 |
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