■2010年08月18日の「今日のことば」■
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「今日のことば」
「意見」というのは、極めて曖昧なものです。
そして、私たちのよくある間違いは、自分自身に対する 他人の意見やアドバイスを安易に受け入れてしまうことです。 もし、数学のセンスがあるかどうかについて 本気で考えるなら、数学の専門家に聞くべきです。 サッカーのセンスがあるかどうかを本気で考えるなら、 サッカーの専門家に聞くべきです。 健康や体の調子が悪いときに、それについて考えるなら、 医者に聞くべきであって、周囲の素人に 聞くべきではありません。 ところが実際は、身近にいる何の専門知識もない人が 意見を送ってきます。例えば、あなたが 「会社を辞めて起業しようと思っている」と言うと、周りの人が 「思いとどまった方がいい」「きっとうまくいかない」 という意見やアドバイスを送ってきます。 しかし、その人たちに起業経験がない限り、 あるいは起業して成功した経験がない限り、 その意見がどれだけ適切かは、極めて怪しいでしょう。 (しかも、意見を言っている側は親切で言っていると思って いるから困りものです。実際は親切というよりも、 単に自分の意見を言いたいだけの場合がほとんどです)
まゆの感想
私などは、本当に周りの「意見」に影響されやすい。
昨日も書いた、なんとなくの「ものさし」はあって、 自分の意見も持ってはいるものの、それは確実ではないので、 やっぱり人の意見を聞いたりすると、どうしても影響され、 それによって元気をもらうこともあるけれど、 がっくりきたり、決断や選択が鈍ったり変わったりもする。 そう自分でわかっているので、人の「意見」としては、 耳を傾けて聞き参考にはするけれど、それをそのまま事実とか、 すべてとか、絶対として、受け容れないように気をつけている。 (本を読むときにも、気をつけている) 人の「意見」とは、あくまで人の「意見」であって、 それが正しいのか、間違っているのか、あるいは妥当なのか、 本当にはよくわからないし、中には、ただ無責任に 「あれこれ意見を言うのが好き」なだけの人もいるからだ。 また、強く言う人の意見は、なんとなく本当らしく聞こえたり、 仮に専門家の意見だって、いろいろと見解が違っていたりする。 もちろん「いい意見」もあって、なるほどそうだと思ったら、 それを素直に受け入れる度量も持ってはいたい。 しかし、「意見」にあまり左右されたり絶対視もしたくもない。 このあたりの冷静さを持っていたいといつも思う。 |
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