■2008年06月02日の「今日のことば」■
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目先の損得で見ているかぎり、
人を見たらお金と思えということになります。 いくら品性下劣な人でも、お金の面で得だと思うと、 いい人に見えてしまい、お金の仮面の下にある その人の人格やホンネは見えてきません。 お金の面だけではありません。 この人とつきあっておくと偉い人に紹介してもらえる、 人脈ができる、などと損得で人間を見ていると、 その人は単に人に紹介してもらうための道具になってしまい、 その人自身が持っているいいものも 見えなくなってしまうのです。 まず、自分に対する損得勘定をまったく抜きに 相手をみれば、「この人は、こんな人だろうな」と、 その人間本来の、真実に近いものが見えるような気がします。 (略) 欲というフィルターが真実を覆い隠し、 欲によって、理性の声はかき消されるのです。 損得ではなく、好きか嫌いかで素直に選べば、 その判断は、ものすごく間違ったものにはならないはずです。
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この本では、さらにこう言っています。
「あなたも難しく考えず、自分の好き嫌いで シンプルに物事を判断していいのです。 「こっちのほうが得するかも」 「あの人といっしょにいればおこぼれにあずかれるかも」 などという打算を持っているかぎり、その人生は、 本当に自分で選び取った人生とはいえません。 本当に好きなことを選び、泥だらけになりながらも、 自分にしかできない人生を送りたいものです」 人間だから、生きているから、どうしても、 目先の「損得」を頭に思い浮かべずにおれない。 自分が「損」をせず、「得」をする…ことを考える。 その今の「損得」が、後の「損得」に結びつくかどうか、 まったくわからないにもかかわらず… そして、自分の好き嫌いの素直な感情や直感より、 その「損得」を優先させがちだ。 しかし、仕事でも、恋愛でも、家庭生活でも、 なにかにおいて、自分の「損得」を優先させると、 それ以外のモノサシが見えなくなり、 「損得」よりも、大切なものがあることを忘れてしまい、 そして、自分の好き嫌いの素直な感情や直感を 無視することになってしまう。 また、こちらが「損得」で見れば、 相手も、こちらを、ただ「損得」で見るだろう。 私は、ただ「損得」で、 人を見たり、何かをするのは、つまらないと思う。 それに、こちらもただ「損得」だけで判断されたくない。 「損得」よりも、大切なものがある…そう思う。 そして、やっぱりそういうものを大切にしたい。 |
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