■2008年04月20日の「今日のことば」■
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「自分らしさとは何か」を探すのが
私たちの一生かもしれません。 その意味では一生が「わたし探し」ともいえ、 そのときに探した「わたし」は、 ずぅーと一貫したわたしではないかも知れません。 そんな自分の変化を知るためにも、まず必要なのは、 自分の思っていることを口にだしてみることです。 そのためには、 「わたし」を主語に語るようにしてみると、自分がはっきりします。 わたし探しは、「わたし」を主語に語れる自分を探すこと、 となると、そのときどきの「わたし」を積み重ねていくのが 生きるということかもしれません。
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日本語は、主語がなくても話が通じる会話が多い。
というより、あえて主語をはずして会話していることが多い。 「オレ」「自分」「わたし」などの主語をつけると自己主張が強い、 語調が強い、しつこい、などと思われてしまうので、 あえて曖昧にしているということもある。 また、パパ、ママなど、役割を主語にしていることも多い。 それがいいか悪いか別にして、日本では、ある意味、 自分をなんとなく隠し、曖昧ではっきりとさせないことで 成り立っているともいえる。 例えば、「疲れている」ということばにしても、 誰が疲れているのか、本当にはよくわからない。 自分かもしれないし、子どもがかもしれない。 つまり、「「わたし」は、疲れている」というより どっちともとれるような曖昧な言い方をしている。 そして、察してくれることを暗に期待する。 しかし、このことが、 自分の気持ちも考えも曖昧にしていると言えるのではないか。 そして、ふと気づくと「自分がない」「自分は何」などと感じ、 また、気持ちや考えが「伝わらない」とがっくりすることが多い、 原因の1つにもなっているのではないかと思う。 自分を知るためにも、自分を探すためにも、 きちんとわかってもらうためにも、まず、 この主語を取り入れる考え方をしてみるといいと思う。 それは、会話の中で、いつも主語を使うということではなく、 心の中で「「わたし」はこう思う、こう感じる、こうしたい」 と、自分の気持や考えをしっかりと知っておくと言うことだ。 そうしてこそ、大切な時に、きちんと 「オレ」「自分」「わたし」はこう思う、考えていると はっきりと言えるのではないかと、そして、それが、 自分をしっかりと持つということにも通じていくとわたしは思う。 「オレ」「自分」「わたし」は、つけて考えてみよう。 そして、必要なときには、主語をきちんとつけて語ろう。 |
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