2007-06-30
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何もかも誰かに任せっぱなしで、人生運がよくなるか、
運勢が開けてくるか、もう答えは分かり切った話しです。
最後のどの案を採用するかを決めるのは自分だ。
その覚悟があってこそ、人生運がよくなろうというもの、
運勢が開けようというものです。(略)
覚悟さえあれば、占いに悪い結果がでても、
現実がそうならないようにいくらでも変えていけます。
結果が悪い占いを気にする暇があったら、
どうすれば良くなるように変えていけるかを考え、
行動していけばいいだけの話しなのです。
それが占いの本当の活用法です。
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2007-06-29
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あなたはものごとがはっきりしている方がいいと
思っているかもしれない。
もしそうなら、白か黒か、2つに塗り分けるのが
好きなタイプだろう。
残念ながら、世の中の人生のあらゆる条件を、
このようにはっきりと色分けするのはとうてい無理だ。
複雑な性質を持つできごとを、2つの分類にきっちりと
はめ込むことなどできはしない。
確かさを望むことは、確かに健全なことではある。
しかし、不確かであることこそ人間らしいのだと受け入れ、
そのことで悩まない方が、心の健康にはいい。
だから、確かなものを求めるのはやめて、
不確かさを受け入れよう。
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2007-06-28
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何をしたらいいかはっきりしない時には、
何もしないことをお勧めする。
次にすることがわからないのなら、有意義な行動の前に、
見出すべきもの、あるいは学ぶべきことが
あるのかもしれないからだ。
そうした状況では、一歩下がって(本の一瞬でも)
内面を向き、内なる大いなる力に導きを求めるのだ。(略)
もし何かをしないでいられないのなら、
心を安らかにさせることだ。
それは何につけても大切な基盤に立つことになるから、
正しい行動はついてくるだろう。
怖れやパニックで行動する者は、単に闇を深くするだけだ。
しかし、安らいだ心で行動する者は、内なる知という
静けさからくる言葉や行動で、光を増すのだ。
安らぎから発する行動と、思考に責め立てられた行動には
芳しい違いがある。
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2007-06-27
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わたしたちは、何にでもレッテルを貼ります。
人にも出来事にも。
レッテルを貼ることが、世界を知ることだと、
誤解してしまっています。
レッテルの中身については、触れないままで。
だから、内気な人、冷たい人、優しい人、頭のいい人、
それ以外のその人に触れる機会を失ってしまうのです。
そればかりか、もっと困ったことに、レッテルを貼ることで、
その人を理解したような気になってしまうのです。
実際には、あなたは、あなたの頭の中につくりあげた、
その人のイメージを見ているだけだというのに。
レッテルは便利なものですが、
レッテルはその人ではないことを、忘れてはいけないのです。
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2007-06-26
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成功という名の病原菌におかされた「もっと病」は、
もっと大きく、もっと多く、もっと高く、
と人をむやみに駆り立てる。
「周囲の期待」という呪縛もまた、
必死でそれにこたえようとする人を、
本意とはちがう道へひた走らせる場合が多い。
しかし、忘れてはならない。
自分がほんとうに求めるもの、大切にすべきものを
見失ってしまったならば、
真に実のある人生は築けないのである。
あなたにとって、人生の「成功」を測るモノサシ、尺度、
とは、いったい何だろうか?
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2007-06-25
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口論や悪感情を消滅させ、相手に善意をもたせて、
あなたの言うことを、おとなしく聞かせる
魔法の文句を披露しよう…
「あなたがそう思うのは、もっともです。
もし私があなただったら、やはり、そう思うでしょう」
こう言って話をはじめるのだ。
どんな意地悪な人間でも、こういうふうに答えられると、
おとなしくなるものだ。
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2007-06-24
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スピリチュアルな成長は、自分に何かを加えていく
必要があるわけではなく、自分のさまたげとなるものを、
すべて手放していくように誘います。
世の中は、成功するということは得ることであり、
所有することであると教えてきましたが、
ものを集めれば集めるほど、私たちは自分自身を知らず、
安らぎからどんどんかけ離れていくことに気づきます。(略)
所有物や地位や学位で自分を証明したり、
守ろうとするのをやめたとき、
私たちはあるがままの姿に、美と価値を見出し始めます。
そうすると、軽くなることに大きな喜びを見いだします。
なぜなら、軽くなるればなるほど、
高く飛翔することができるからです。
幸福をさまたげる所有物や活動や人間関係を手放すと、
自由を得ることができ、人生の中のシンプルなことに
感謝を感じるようになります。
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2007-06-23
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川島先生がおっしゃるには、たしかに
「しかる」という行為は、本能に訴えることで効果が大きい。
けれども、しかり続けると
防御作用によって耐性ができてしまう。
だから、何回もしかられていると、
聞く耳を持たなくなってしまうそうです。
「しかる」のはたまにすると効果的ですが、
しかり続けると、かえって教育効果が
なくなってしまうんですね。
その逆の「ほめる」という行為は、本能でなく
脳の前頭前野に働きかける高度な行為なので、
1回では足りないそうです。
繰り返し行わないとダメらしい。
ほめ続けることによって効果がでてくるんです、
というお話を川島先生はされていました。
そこで私たちは、
「ほめること9割、しかること1割」
にすることをめざしているんです。
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2007-06-22
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私たちの頭は、
今までの経験(つまり、今までに蓄積した全て事柄)に
マッチしている考え方を「正しい」と思う傾向がある。
たとえば、本書を読んでいて、
今まで自分が思っていたことと同じ考え方が出てくれば、
「そのとおり!この人の言うとおりだ」と思い、
「素晴らしい本だ!」ということになる。
だが逆に、今までの経験に合わない考え方には
反発を感じ、たとえば「これは違う!」
「そんなふうに考えることはできない」
「そんなに簡単なはずがない」と思うようになる。
だが、「こんな考えはダメだ」と思ったときこそ、
とくに注意深くなる必要がある。
なぜなら、そのときこそあなたが今まで
見聞きしたことのない考え方と直面しているからである。
それは、あなたが今まで知らなかった思考法なのだ。
あるいは、知ってはいても、
そういう生き方をしてこなかったのだ。
だから、これから新しい生き方をしようと思っているなら、
そうした考え方にぶつかるたびに、
関心をもつことが大事なのである。
その考え方のなかに、あなたの将来の成功のカギが
隠されているかもしれない。
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2007-06-21
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対立するのは、どちらかが正しくて、
どちらかが間違っているからではなく、
双方が自分の価値観に従って生きているからです。
いわば、どちらも「理想を追い求める人」なのです。(略)
意見の違いだけに目を向けていては、対立は解消できませんが、
意見の違いの根底にある夢や目標、願望に目を向けることで、
理解の糸口が見つかります。そうした夢や目標は
「隠された意図」と言い換えてもいいでしょう。
意見がぶつかったとき、相手の主張を
頭から否定するのではなく相手の立場で考えてみる。
相手の「隠された意図」をさぐってみるのです。
対立そのものを解決しようとするのではなく、
それぞれの主張の背後にある
価値観や目標を理解し合うことです。
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2007-06-20
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過大な期待は不幸のもとです。
どんなことでも、期待しすぎるとがっかりするものです。
期待の大きすぎる人は、毎日失望しながら
生きていかなくてはなりません。
わたしと夫はよく試写を観にいきますが、
そのときは批評など何も読まずに白紙の状態で
見るほうが楽しめるような気がします。
逆に「最高だ!」という批評を読んでから観にいくと、
「それほどでもなかった」と思うことが多いのです。
休暇旅行、パーティ、レストランの食事もみな同じです。
人生についても、やはり同じです。
期待や要求を何も持たずに、あるがままの今をエンジョイする…
それがもっとも幸福な生き方かもしれません。
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2007-06-19
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ある方法で物事が進むよう計画していたのに
うまくいかない場合には、後悔や不安に溺れるより、
すぐに前向きな期待をもって気分を盛り上げよう。
「もっといいプランがあるに違いない」と。
その時点ではほかのプランの内容はわからないかもしれないが、
自分にとってもっといいものが用意されていると
信じることはできる。(略)
きっとわたしという船の艦長である神様は、
別の方向に船を向けようとしているのだ。
それがどこかわからなくても、こころをオープンにして、
積極的に認めようとするなら、
いつかわかるようになるとかたく信じている。
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2007-06-18
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怖がって、自分の1番したいことを
してこなかった人はたくさんいる。
そういう人だって背筋を伸ばして
「やってみよう」と言えばいいのだ。
そうすれば今までプラス・ファクターをさえぎっていたものが、
取り除かれ、体中に力がみなぎってくるのがわかるはずだ。
この力は、最初の一歩を踏み出した瞬間、あるいは、
最初に前向きの思考をはじめた瞬間にみなぎりはじめる。
どんなに一生懸命夢を描いても、
どんなにはっきりした目標をかかげても、
実際に自分の足で実現への一歩を踏み出さないかぎり、
力がわいてくることはない。
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2007-06-17
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自分で自分の足を引っ張っていることを認めるのは
たやすいことではありません。
ましてやそういう習慣と縁を切ることはもっと大変です。
自分の問題を周りの人たちや環境のせいにしたところで
事態はいっこうに改善しないことくらい、
あなたもすでに気づいているはずです。
あなたの人生を変える力をもっているのは、
あなたしかいません。
うまくいかない行動パターンから抜け出すには、
そういった自己責任の意識に目覚める必要があります。
自分の人生を改善することを目標にしてください。
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2007-06-16
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人は誰でも、自分なりに最善を尽くして生きている、
そう悟ることが重要です。
生きているうちにはたくさんの間違いを犯すし、
誤った情報に基づいて行動したり、
ばかなことをすることだってあるでしょう。
それでも、自分なりにいちばんいいと思うやり方で、
生きていることに変わりはないのです。
「いよいよ人生を棒に振るチャンスだ」などと、
思う人はいないのですから。(略)
他人を責めても何の解決にもならないことを
あらためて知りましょう。
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2007-06-15
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「これだけは忘れてはならない」と自分に言い聞かせたのに、
やっぱり忘れてしまった、という経験はありませんか?
心は「忘れる」という行為から遠ざかることはできません。
「覚えておく」という行為に近づくことはできるけれど、
そのためには「これを覚えておきたい」と
考える必要があるのです。(略)
心は考えたことの逆を実現させようとは決してしません。
したくでもできないからです。
だから、サッカーの選手に向かって「ミスするな」と
叫ぶのは、ミスを誘っているようなものだし、子どもに
「おばあちゃまの骨董品の壺を割らないで、一万ドルもするのよ」
と言えば、みすみす災いを招くことになるでしょう。
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2007-06-14
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私が学んだ1番重要なことは、
「どんな状況においても、いろいろな選択肢が考えられる」
ということだった。(略)
人生に行き詰まったら、
「今、どんな選択肢を考えることができるだろうか」
と自分に問うてみることである。
そうすることによって、新しいステップが目の前に、
出現することがよくあるし、
自分の本当の気持ちもよくわかる。
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2007-06-13
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「言っていること」と「行っていること」が
矛盾している人がいます。
そのときは、その人の言葉を聞くのをやめて、
その人の行動だけを見ていると、
その人の本当の目的がわかります。
言葉が、その人の本当の気持ちを表しているとは限りません。
自分への非難や攻撃を避け、あるいは相手を
自分の思うように動かすために使われることがあります。
また、こうありたい、あるいはこうなりたいという
決意や願望を表すのにも使われることもあるのです。
他方、行動は、短期的には、あるいは少数の人の前では、
意識的にとりつくろうことはできますが、
長期的に、また多数の人に対して
ごまかすことはむずかしいのです。
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2007-06-12
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お互いに助け合えるネットワークを作る。
誰を知っているかではなく、
誰に知られているかが重要です。
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2007-06-11
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はじめから自分につまらぬレッテルを貼るな!
「できっこない、やれっこない」を
捨ててはじめて先が見えてくる。
できない理由より、
「できる理由」を考える人は、
かならず伸びる。
(小タイトル一部抜粋)
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2007-06-10
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不満だらけの人を癒したり、直接、
何かを与えたりすることができなくても、それでいいのです。
私たちが笑顔で暮らし、自分のことを好きでいられて、
思いやりの気持ちが自然と先立つように生きることができれば、
世の中はどんどんよくなるはずだからです。
不幸な人や、満足でない境遇の人など
放っておきましょう、と言っているわけではないのですよ。
プラスの力が大きくなればなるほど、
マイナスワールドもプラスのほうへ
繰り上がってきやすくなるのです。(略)
その目に見えない波動が、穏やかでない人の心を
ひとつ安らかにするこができるならば、
それは充分な愛や奉仕なのです。
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2007-06-09
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私は、考え方や感じ方は「使うもの」だと思っている。
どういうことかと言うと、例えば先に私は
「多くの不安は無駄である」と書いた。この本を読んで、
なるほどそういうことか、と思ってくれたら、
適宜その考え方を使ってもらいたいと思う。(略)
「ああ、これはいい考えだな、ステキな考えだな」
と思ったのなら、その考え方を1回でもいいから
実際に使ってみて欲しいと思う。(略)
それはもちろん、本に限らない。
友人が言ったことでもいいし、映画やテレビドラマで
役者さんが言っていた台詞でもいい。
自分の琴線に触れた言葉を覚えておいて、
随時使ってみるだけでも、
人生はいいほうへいいほうへと向かっていくと思うのだ。
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2007-06-08
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エネルギーがなくなると、前に進めなくなってしまう。
バッテリーが空で走れるだろうか?(略)
とにかく、「自分をよみがえらせてくれるもの」に
敏感になることだ。
毎日の生活の最低でも1つ、自分にエネルギーを
与えてくれるものを組み入れよう。
自分自身をチェックして、エネルギー切れの信号が
でていないか注意しよう。
疲れやストレス、頭痛や意欲の低下が危険サインだ。(略)
充電の時間がないと言いわけをしている自分に気づいたら、
自分のためを考えるのは自分しかいないのだ、
ということを思い出すこと。
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2007-06-07
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私は知りあいの家庭で、こんなすばらしい言葉を耳にした。
5人家族の中で育った、14歳になる娘さんの一言である。
話題がふと「利他主義」におよんだとき、その意味を
のみこめない小学生の妹に彼女はこう説明した。
「それはね、
自分よりも相手の得を先に考えてあげることなの。
そうすることで、自分もうんと得をするのよ。」
真意をつかめないでいる妹に、彼女はこう言葉を加えた。
「私たちがね、みんな自分の得ばかり考えていたら、
自分の得を考えているのは自分1人でしょ?
でもね、たとえばうちの場合、
5人家族がみんな相手の得を考えたとしたら、
自分の得を考えてくれる人が、
4人もいることになるのよ!」
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2007-06-06
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批判的な人と付き合うと、自分も批判的になります。
幸せな人たちと付き合うと、幸せについて学ぶでしょう。
だらしない人たちと付き合うと、
自分の生活もだらしくなくなるのです。
熱意あふれる人たちと付き合うと、自分も熱意あふれてくる。
冒険好きな人たちといると、ついつい冒険好きになるし、
裕福な人たちといると、刺激を受けて
自分も裕福になろうとする、これが人間です。
つまり、私たちは人生に求めるものを自分で決め、
それに応じて仲間を選ぶ必要があるということです。
あなたはこんな風に言うかも知れません。
「それはひと苦労だ。気まずい思いをするかもしれない。
今の仲間のうち何人かは、気を悪くするだろう」
その通りです。
でも、あなたの人生がかかっているのですから。
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2007-06-05
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私もこれまで「嫉妬」と気づかずに人を
批判していたことがありました。
それ以来、人に対して批判的な気持ちが起こったとき、
それは「嫉妬」なのか、正当な意見なのかを
チェックするようになりました。
特に感情的になっているときは要注意です。
心の中に「嫉妬」があってはの発言は、
他人への説得力がないし、後味も悪いものです。
他人を「うらやましい」とか「ねたましい」と思ったときは、
悪口を言ったりして他人の足をひっぱるのではなく、
自分のやりたいことにチャレンジするというような、
前向きのエネルギーに代えていくとよいですね。
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2007-06-04
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「相手の関心を引きつけるよりも、
相手に関心を持つことが大事」
私の30年の研究からも、
これ以上のアドバイスはないと、断言できます。
デール・カーネギーは、
「他人の関心を引こうと2年間努力するよりも、
他人に感心をもとうと2ヶ月間努力する方が、
たくさん友だちができる」
と書いてますが、まったくその通りです。(略)
誰でも、尊重され、大切にされたいからです。
心から関心を示せば、相手は大切にされていると感じます。
※デール・カーネギーは、名著「人を動かす」の著者
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2007-06-03
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ひとりの人間はどの面からみるかによって
同じ人でもずいぶんイメージが違ってくるものです。
私はいつからか心の中に、
「短所→長所変換辞典」を持つようになりました。
例えば、
「おしゃべり↓
話術がすぐれている・表現力がある・開放的・社交的」
「がんこ→信念がある・意思が強い」
「臆病→慎重・計画性がある」
「暗い、陰気→おとなしい・もの静か」
「行動がのろい→落ち着いている」
「優柔不断→柔軟性がある」
「だらしがない→おおらか」
「甘えん坊→人に近づき名人」
自分の性格を悪いとか嫌いだとか思って
悩んでいる人がいますが、
悩んでも変わるわけではありません。
それより、悩むエネルギーをよい面を磨くことに使えば、
自然とバランスのよい性格に変わっていくと思います。
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2007-06-02
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いくらよいことを考えていたって、
実行しなければ何の役にも立たない。
人間を価値づけるものは、
実行とその実績なのである。
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2007-06-01
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善意からの親切やサービスは、
それを相手が望んでいるときに、
それに応じられるというのが理想的だろう。
大切なことは「さりげなさ」なのだ。
このさりげなさができるのは、じつは本当に相手の
立場を思いやっているからこそ可能なことなのだ。
また、その人自身が謙虚という美質を有していて
初めてありうることなのだと思う。
つまりは、相手に心の負担をかけぬよう心づかいしつつ、
その人のために何か手助けになることをしようとする、
レベルの高い善意の行為。
こういうことができる人は、人間社会における、
人と人との距離感の読める人である。
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