■2002年08月25日の「今日のことば」■
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「今日のことば」
何かで冷たくされたり、侮辱されたり、
がっかりさせられたりした場合、 私達はそうした感情を意識しないかもしれないが、 からだはいつも意識している。 (略) 病気にならないためのあらゆるプロセスの中で きわめて重要な点は、心が傷ついたときに そのことに気づいてそれを意識することだ。
まゆの感想
母が手術した。
心臓を患いながらの持病の膝手術は、麻酔の問題などあり、 かなり検査をし、治療上の試しをした後の決断だった。 手術はいろいろ考慮をしてもらい、うまくいったが、母は 「心臓が今までより苦しい、本当に手術はうまくいったのか」と 疑っていて、手術をしてもらったことに感謝の気持ちは 持てないようだ。 母は自分で自分を追い込む典型のような人だ。 いわゆる一般的な世間の常識や、こうあるべき論に とらわれていて、いつもきちんと正しくせねばと思っている。 (例えば役割、お返し、お礼等々) たとえ病気でも、膝が痛くてもやるべき事はやるのが 当然のことだと母は思っている。 それは、当然他人もそうするべきという考えにつながっていて そういう考えを押しつける。 楽しんだり、好きなことをすることなど、許すことが出来ないようだ。 その前にするべき事があると言う。 ちゃんとやるべき事をやってから、やるならいいと母は言う。 およそ、楽をするということを知らない、認められない人なのだ。 楽をしてると、たぶんだが、罪悪感を持つんだと思う。 そんな母を見ていると、いつも複雑な気持ちになる。 私はやるべきことをちゃんとやってきた母を尊敬しているが、 それを振りかざし、人に押しつけることをする母は、 どうしても好きになれないからだ。 おそらく母の時代は、自分の感情を抑え込むだけで、 感じることなどなかったろうと思う、 自分の感情を大事にするなど、思いもしなかったろう。 その今までの知らずに、積もり積もった感情が 身体を通じて、性格となり、 病気となっていったように感じる。 そう言うには短絡的かもしれないが… |
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