■2008年11月13日の「今日のことば」■
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仏教のお経の本に(阿弥陀経(あみだきょう))
こんな言葉がでてきます。 「青色青光(しょうしき・しょうこう)」 黄色黄光(おうしき・おうこう)」 赤色赤光(しゃくしき・しゃっこう)」 白色白光(びゃくしき・びゃっこう)」 どういう意味かといえば、ほとけさまのいる国 (極楽世界)に、はすの花が咲いています。 青・黄・赤・白のはすの花が咲いているのです。 そして、青のはすの花は青く光り、 黄色の花は黄色に光り、 赤いはすの花は赤く光り、 白色のはすは白く光っている… というのです。 みなさんは、青い花が青く光り、赤い花が赤く光って いるのはあたりまえではないか、と思われるでしょう。 どうしてお経は、わざわざそんなあたりまえのことを 言っているのか、ふしぎに思われるかもしれません。 (下に続く)
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しかし、これはこう考えてください。
「青色青光。黄色黄光」の 「青色」というのは、「頭のいい子」 「黄色」は「頭のよくない子」だとします。 そうすると、これは、 「頭のいい子は頭のいい子としてすばらしい、 頭のよくない子も頭がよくないそのままですばらしい」 ということになるのです。 頭のよくない子が努力して、そして頭がよくなった時 すばらしい子になる、というのではありません。 頭がよくない子も、そのままですばらしいのです。(略) わたしたちは、頭のいい子のほうが 頭のよくない子よりもいい子である、怠け者より 努力家のほうがいい子だ、と思っています。 しかし、ほとけさまの国では、そうではありません。 ほとけさまにすれば、頭のいい子も頭のよくない子も、 努力家も怠け者も、泣き虫もおこりんぼうも、 みんなそのままですばらしいのです。 それが、 「青色青光。黄色黄光。赤色赤光。白色白光」です。 (ここまで引用) 私も好きな仏教言葉です。 青い花は青い花でよし、黄色の花は黄色の花でよし… 赤い花は赤い花でよし、白い花は白い花でいい… そして、自分は自分のままでよし、 自分以外の者にならなくていい… 自分の花を咲かせればいい、自分の色で… 少なくても、ほとけさまは、 そんな自分を、ちゃんと見ていてくださる… あたたかく、あたりまえに… |
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