2016-04-28
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友だちは「つかれ離れず」でつきあいたい。
基本的に「友だちは去っていくもの」ですが、
死なないための人間関係は、できればずっとキープしていたい。
生きていくために
「しがらみ」はいらないけれど、
「つながり」は切らずにいたい。
それには2つのコツがあります。
まずは「縛りあわない」
日本人はとくに他人とのつきあい方がベタッとしがちで、
ちょっと仲よくなるとお互いに縛りあう傾向があります。
たまたま集まりに行かないと
「なぜ来なかったの?」「私のこと嫌いになったの?」
という具合に縛りあげられ、ひさしぶりに行くと無視される…
そんな経験ありませんか?思春期の精神的に
不安定な中学、高校生ならそれも仕方ないでしょう。
けれど、30、40代の友人同士が縛りあうのは、
人間として未熟すぎます。
つかれ離れず、でいることがコツです。
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2016-04-27
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アウトプットを前提にしたインプットでないと意味がない。
いろいろな人から教えてもらったり、本を読んだりして
知識を身につけることは大切ですが、
それを自分の人生にいかしたり、実際の場で
役立つように使わなければ意味がないと思います。
知識を知識にとどめてはいけない。
実際にしなければ無意味だということです。
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2016-04-25
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あるベテランの脚本家の話。
「ドラマの主人公には共通する2つの条件があります。
1つは、ドラマはもめ事から成り立っているので、
トラブルを解決する能力のない者は主人公になれない」
実社会でも同じだと思います。
人間関係や仕事でも、うまくいっている間は能力は人間性は
あまり関係ありませんが、トラブルや失敗したときに
どう対応し、解決していくかで、その人の本性が試されます。
逃げずに、問題に真正面から取り組むことです。
もう1つの条件は、
「ドラマの主人公は、個性を生かしているからこそ
魅力的に見える。だから独自の人生観を持っていないと、
ドラマの主人公にはなれない」
これからは、差別化の時代ですから、自分しかできない能力、
自分が生まれてきた役割は何かを見極め、
それを磨いていかなければなりません。
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2016-04-22
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タンポポ魂
踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする
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2016-04-21
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一粒の花の種があります。
それを、机の上に置いて眺めているだけでは、
いつまで待っても花は咲きません。
適当な時期に、適当な土の深さに埋めてやる。
さらに、適当な雨露や陽光に恵まれて、
はじめて花が咲きます。
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2016-04-20
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優しい言葉をかければ、
信頼が生まれる。
相手の身になって
考えれば
結びつきが生まれる。
(老師/哲学者)
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2016-04-19
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慈悲深き
友をもつは
人生の宝なり
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2016-04-18
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パソコンでも受験でも、競馬や麻雀でも、僕は一度その対象に
ハマりこんでしまうと、異常なほどに没入してしまう。
周りのことが何も見えなくなる。
なぜそこまでハマるのか、昔は不思議でたまらなかった。
でも、おそらくこれは、僕なりの生存戦略だったのだ。
なにかに没入することで、死を遠ざける。
死について考える時間を、可能な限り減らしていく。
僕は死を忘れるために働き、死を忘れるために全力疾走し、
死を打ち消すために充実させていたのだ。
自分が死ぬことについて、発作に襲われるほどの恐怖を
抱えている人は少ないと思う。
明らかに僕は極端だ。
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2016-04-14
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人の心はみな違い、それぞれ深いもの。
教えたり、言いつけたりすることは好みませんので、
それはしません。
人は話しているうちに自分で解決していくものですし、
それが真の答えになると思うのです。
ちょっと会って話を聞いただけで、
判断することは慎みたいものです。
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2016-04-13
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「いまと昔。どちらが良かった?」
すると、回答が真っ二つ。
A「昔は楽しかったな。ぼくも若かったし、景気もよかった。
日本にも元気があった」
B「そりゃ、いまだよ。なんてたって、いま、夢中にやってることが
あるんだよ。金を積まれても若い頃には戻りたくないね」
統計をとると、昔派が8割。いま派が2割というところだろうか。
あなたは昔派?それともいま派?
さて、この質問の意味がわかるだろうか?
そう「昔は良かったよ」という人はいま、不幸なのである。
逆に「いまのほうがずっといいね」という人はいま、幸福なのである。
簡単な質問だが、いま、その人がどういう状況にあるか、
その人のツキはどうか、レントゲンのようにすべてを透けて見通せる。
怖いほど違いがよくわかるのだ。
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2016-04-12
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不思議なことです。
一日のほとんどを暗い気持ちで過ごしていても、
明るい気分で過ごしたたった1%の時間のほうを、
僕らは「本来の自分」だと感じる。
それはもしかすると、僕らは、
「明るい心の自分」こそが本来の姿であることを、
心のどこかで直観しているからかもしれません。
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2016-04-11
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敵をつくらないためには、日頃の振る舞いも大事です。
議論をしていても、徹底的に相手の息を根を止めないようにする。
必ず逃げ道を用意しておいて、相手が敗北感を持ったり、
相手から恨みを買わないようにする。
要は、相手に人前で恥をかかせないことです。
たとえば、会議の席で上司が漢字の読み方を間違ったとき、
みんなの面前で、
「凡例はボンレイじゃなくて、正しくはハンレイと読むんですよ」
とか、
「代替はダイガエじゃなくてダイタイです」
などと指摘したら、上司は赤っ恥をかかされてしまいます。(略)
くだらないと思うかもしれませんが、こんな小さなことで、
いざというとき(それほど回数が多くないから「いざ」なのですが)
に足を引っ張られるのは、もっとつまらないことです。
いざというときは、提案や企画を通そうとするときなどを
ねらって、敵は足をすくいにきます。
肝心なときに泣かないためにも、
敵をつくらないようにくれぐれも注意してください。
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2016-04-08
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私たちは必要なことや大切なことに、時間や労力をかけないように
なってしまっているように私には感じられます。
旅行に行っても写真は撮りっぱなし、お世話になった人への
お礼状やお返しもしないまま、などということがあるのが
その一例ではないでしょうか。
そのようなやり残し感は、非意識での心の不快として蓄積され、
ストレスや罪悪感となってしまいます。(略)
旅行の写真を整理したとき、旅という時間が締めくくられます。
お礼状やお返しを済ませたとき、ご恩を受けた時間が
締めくくられます。そのようなことをするのは、
清く正しいことであると、私たちの心は知っています。
ですから、そのような行動をすると、自分自身に満足します。
そのような時間を作った自分、その行動をすることのできた自分を
認めることができ、そんな自分のことが好きであると思えるものです。
それは、パーティが後片付けも含めてパーティの時間ということと
同じです。
「真の時間の締めくくり」に費やす時間は、
おそらく長くても半日。
数時間ですむことが多いことと思います。
するべき、したほうがいい、と思えることは、善は急げ。
行動に移しましょう。
やり残した感なく過ごすことは、豊かで幸せな人生を送る人の、
心のたしなみと言えるかもしれません。
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2016-04-06
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親しい友達といっても、夫婦といっても、
全く同じ経験を共有することはできませんから、
どうしても分からない部分があります。
浅いつきあいでは、気にならなくても、
深くつきあっていけばいくほど、
理解できない相手の部分が知らされます。
これは、努力不足というよりも、人間である以上
どうしようもないことなのです。
「どうせ、人間は分かり合えないのだ」と絶望し、
自分のカラの中に閉じこもって、周りをシャットアウトして
しまいたくなることもあるでしょう。
そんな私たちに対して、お釈迦さまは、
「独りぽっちは、あなただけではないのだよ。
みんな独りぽっちで苦しんでいるのだよ」
と言われています。
孤独で苦しんでいるのは、あなただけではないのです。
自分が分かってもらえないと苦しんでいる時、
相手もまた分かってもらえないと苦しんでいるのです。
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2016-04-05
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人はだれでも、これまでの自分の行動を顧りみます。
あの時はこうしておけばよかったと後悔することもあります。
しかし100%ベストな選択なんてめったにないものです。
後になって悔いることを少なくするために、
その時点で最良だと思う選択をするしかないように思います。
仮に思い通りにならなくても、
そのときにベストだと思う選択をしていれば、
それほど後悔することはありません。
仕方なかったと諦めがつきます。
諦めがつかないのは、
ベストだと思う選択をせずに進んでしまった場合です。
100%ベストな状態とは「完璧」な状態のことです。
でもそれはあり得ないですから、完璧にやろうなどと思わずに、
まず動くことが大切です。(略)
動かなければ何も見えてきません。
まずは動くこと。
そこからいろいろなものが見えてくるのです。
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2016-04-04
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70歳過ぎて、長年続けた東京、明治座の公演をやめた時に、
これからの困難は認知症だと思ってさ、どんどん忘れていく、
そこへどんどん足していくのはどうだろうって。
認知症対策って、マイナスを心配せずに、プラスを考える。
それが大学受験のきっかけだった。(略)
昨年(73歳)「現役」で合格。
仏教大学は奥が深い。
授業はほぼ皆勤。
こんな面白いことを4年間で終えちゃてはつまらない。
仏教の勉強は8年間やりたい。(略)
夢はいろいろあります。
もっと勉強して、大学院出て、
ダメな生徒を教える教官になりたいね。
迷える子羊を集めて、教えることが1番勉強になります。
4月からの新学期が待ち遠しいなぁ。
コメディアン 萩本欽一さんのことば
(東京新聞2016年4月2日 考える広場「はじめの一歩」より)
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2016-04-01
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焦土となった敗戦の祖国へ引きあげてきたときも、
希望は何ひとつなかった。
それでもシドロモドロにぼくは生きのびてきた。
「今日いちにち生きられたから、明日もなんとか生きてみよう」
と思った。
漫画家としてやっとフリーになったが、まわりは
天才、鬼才、異才がひしめいていて、とてもかなわない。
おまけにぼくは多病で、病気ばかりしていたので前途は真っ暗。
それでもあきらめはしなかった。
今までなんとかなったのだから、
辛酸なめているうちになんとかなると信じていた。
心の奥底の部分が妙に楽観的でノンキなのである。
困ったものだが、なんとなくピンチを脱出して、
何とか生きのびることができた。
売り出したい、流行児なりたい、
異性にももてたいと思ったが、まるでダメだった。
「なんのために自分は生きているのか?」
と考えるのだが、よくわからない。
C級の漫画家として、わかのわからない人生が
終わるのだと思うと情けなかった。
ところが、大変遅まきながら
60歳を過ぎたあたりから、あまり欲がなくなった。
「漫画は芸術である」なんて
えらそうなことを言わなくなった。
人生の最大なよろこびは何か?
それはつまるところ、人をよろこばせることだと思った。
「人生はよろこばせっこ」だと気づいたとき、
とても気が楽になった。
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