2010-10-29
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あるアメリカ人の著者の本に、面白いことが書かれていました。
語彙(ごい)が豊富であればあるほど、ストレスを感じることが
少なくなる、ということです。(略)
ここで、非常に簡単な例を出して説明しましょう。例えば、
「だいだい色」という言葉を知らない人がいたとします。
その人にだいだい色のものを見せて、何色かと尋ねてみたら、
どうでしょうか。
「黄色でもないし、赤でもないし、なんで言えばいいかな。
赤みがかかった黄色とでも言えばいいか…」
「だいだい色」という言葉を知っていれば、すぐに、
「だいだい色」と答えられるものを、ああでもない、
こうでもないといろいろ考えていると、
それだけストレスを感じます。
これは、簡単な例として出しましたが、
語彙が貧弱であればあるほど、何かを表現するのが困難に
なるほどと容易にお分かりいただけたでしょう。
また、自分自身が何かを表現するときに、
ストレスを感じるだけでなく、だれかに何かを伝えるときにも、
語彙が貧弱であればあるほど、誤解が生じやすく、
それによってトラブルの原因になりやすいといえます。
ストレスの少ない人生を歩みたいと思うのなら、
語彙を豊富にするするというのも一つの方法だといえます。
また、それは他人とのコミュニケーションを
円滑にする方法でもあるのです。
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2010-10-28
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私は今ではすでに40冊くらいの本を出していますが、
駆け出しのころは、いろいろな編集者から、
屈辱に近い批判をあびたものです。
「あなたのような、なんでもない人が、
本なんか書いてだれが買うのですか」
「あなたのような、なんでもない人の相手をしていたら、
日が暮れてしまいますよ。企画書があるんなら、
ファックスで送ってください。見てあげるから」
「ウチはあなたのような、なんでもない人の場合は、
下訳からやってもらうんですよ。つまり、
本の表紙にはあなたの名前は載りません。
それでもよかったら、検討しましょうか」
私はこういうことを言われるたびに、
「何でもない人」扱いされて、
悔しくて悔しくて仕方ありませんでした。
その悔しさをバネに、書いて書いて書きまくって、
さらに書いて書いて書きまくって、
40冊という本になったのです。
今では、そのときの悔しさが
「栄養素」だったことがわかります。
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2010-10-27
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知人の編集者が、ある作家の先生のところに
うかがったときのことです。
先生は、執筆のかたわらお店も経営しています。
その編集者は思わず、
「いいですねえ、本を書いて売れて、お店も順調で。
うまくいく人って、本当に何でもうまくいくんですね」
と言ってしまったとのことです。
すると、先生はカチンときたようで、
「ええ、普通の人の3倍がんばっているからね」
と即座に答えたとのことです。
知人の編集者は自分の浅はかに恥じ入ったとか。
「好きなこと=ラクに稼げること」ではないといういい例です。
いくら好きなことでも、大変なことやつらいことを
回避することはできません。
何をするにも、苦労はつきものなのです。
しかし、好きなことなら、
多少の困難や苦難は乗り越えることができます。
つまり、「好きなこと=苦労しても大丈夫なこと」なのです。
苦労しても、挫折することなく継続していくことができる。
だからこそ、好きなことをやり続けると、
成功する確率が高まるといえるのでしょう。
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2010-10-26
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苦しみ悩むのが人間なのではない。
苦しみ悩むからこそ人間なのだ。
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2010-10-25
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気づいたことをはっきりと伝えることもできますが、
伝えて変わるような相手でないからよけいに、執着してしまう。
つまり、相手が自分自身と向き合う精神力がなければ、
こちらのアドバイスを受け容れようとしないのです。
受け容れようとしないものを「変えよう」としても、
相手は抵抗してくるものです。
「私はこの人を変えるためにいるのではない」
そう考え、
「そんなこの人との付き合いを楽しもう」
と考えをチェンジしましょう。
「それじゃ困る」ならば付き合いをやめればよい。
「でも好き」ならば、その部分を受け容れ見守ることが、
「私に必要な合いのレッスンなのだ」と観念して、
相手のあるがままや自由を尊重することにしましょう。
私たちの心の執着がなくなったとき、
不思議に相手は変化するものなのです。
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2010-10-22
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自分は喜ばれるように生きているのに、周りの人は、
呼応した生き方をせず、自分勝手に生きている。
その人間に対し、
「どうしてあなたはしないのか」と言ってしまった結果、
周りの人が遠ざかり、寄りつかなくなります。
良い言葉を発しても、誰も耳をかさなくなります。(略)
「あの人がそう思うのが許せない」という、正義の
「敵意」「憎しみ」の小さな芽は、誰の心にも宿っています。
他人や世の中をどうするかより、自分の中の
敵意と憎しみをなくし、太陽のように明るく生きていくこと…
よい仲間と明るく楽しくいたいのならば、目の前の人に対して、
「自分と同じように振る舞え」「同じ価値観になれ」
と強制するのはやめる。
人間はろくなものでもなくて、大したものでもないと
思うことで、心地よい方向にいけるのかもしれません。
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2010-10-21
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あたり一面草だらけでした。
草を刈っても刈り取ってもいっこうに終りませんでした。
疲れた百姓は、
「もうやめた、こんなに刈ってもこのありさま。
いっになったら刈り取ることができるのか。
疲れてしまうだけ損だからやめる」
すると、神様が、
「目がいやだいやだと言っているのです。
周りを見ないで、手だけ動かしなさい。
いつの間にか草はなくなります」
お百姓はその言葉を信じて、草を黙々と刈り取りました。
驚いたことに、気付いてみるとあの草だらけの地面が、
いつの間にか、きれいに刈り取られていました。
これをそのまま人生に置き換えてみてください。
私たちがあきらめるのは、この「目」ではありませんか?
状況や形あるものにどうしても目がいってしまいますし、
考えに走ってしまいます。
そして、判断してしまいます。
後悔や、先走りなどで何度となく、
悔しい思いをしてしまうのは、このためです。
刹那的な生き方をしてしまうのも、
この目先の状況で行動してしまうためです。
生きている限り状況は、
刻一刻と変化をしていることを忘れずに、
どんなに今の状況が悪く思えても、あきらめずに黙々と、
「目的」に向って歩いてみましょう。
道は必ず開きます。
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2010-10-20
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「ありがとう」の言葉がさりげなく言えるときは、
心が満ち足りているときです。
「ありがとう」と言わなくてはいけないとわかっていても
どうしても言えないとき、心が枯渇しています。
心が枯渇しているときは、
まったく相手の行為が見えなくなります。
自分の心がすさんでいるとき、
相手の行為のすべてが悪意に見えてしまいます。
そして、自分は「孤独」と「無気力」と「ひがみ」の
世界に落ちていきます。(略)
感謝は喜びを作ります。
喜びは生きる強さを前向きに押し進めてくれます。
短い人生です。
「感謝」の心を与えられる自分、
与えてもらえる自分になれるように、
毎日心がけてみましょう。
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2010-10-19
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ねずみはおあずけができない。
猫もそうだ。
それに比べて、犬は20秒。
サルは1分。
チンパンジーは5分。
それぞれ、簡単におあづけができるそうだ。
高等動物ほど、待てるらしい。
いわんや、リーダーは…(略)
リーダーも、部下がわかってくれないと、
あきらめたくなることがある。
しかし、言い続け、訴え続け、信じ続け、そして、
「待てば」多くの場合、メンバーは
こちらの期待に応えてくれるのではないか。
リーダーはメンバーに「任せる」以上、
「待つ」心が大切なのである。
「任す」ことは「待つ」こと。
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2010-10-18
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ボーリングのレーンの真ん中にカーテンをする。
向こう側のピンは見えない。
部長が部下に向って命令する。
「こちらから、向こう側にボールを投げろ」
「部長、向こう側に何があるんですか?」
「お前には関係ない、真ん中からまっすぐ投げたらいい」
ガチャーン。
「部長、カーテンの向こうで何が起きたのですか?」
「お前には関係ないッ」
こんなことで、人は一生懸命ボーリングをするはずはない。
職場でも同じことだ。
これをしても何に役立つか分からない。
命令どおりにやることはやった、でも、
その結果がどうなったかも知らされない。
こんな状況で、メンバーが真面目に生き生きと働くはずもない。
繰り返すが、だれも何も知らせてくれなければ、
人は絶対に動かないのである。
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2010-10-15
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ふと映画評論家の淀川長治氏のことを思い出した。
亡くなる直前のテレビ番組で、氏はこんなことを言った。
「私の座右の銘はウェルカム・トラブルです。
トラブル歓迎、いらっしゃい。
そう思っていると、実際にトラブルが起こっても、
元気が出てくるんですよ」
すぐにメモしたのを憶えている。
自然の気持ちとしては、なかなかウェルカム・トラブルとは
いえないものだが、そう念じておくだけでも
腹のすわり方が違うだろう。
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2010-10-14
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何か行動を起こすと、
うまくいくことといかないことが出てきます。
人は、うまくいったことも、うまくいかなかったことも、
すべてをインプットして、「情報」として蓄えます。
この情報は、次の行動につなげるための重要なカギになります。
行動しなければ、情報は得られないし、
新しいことは学べません。
いままでと違うことに気付くこともありません。
例えば、興味ある仕事をやってみたけど、実際やってみたら
あまりおもしろくなかった、と思うことがありますね。
でも、やってみる、という行動がなかったら、
「おもしろくない」という情報は手に入りません。
逆に、あまり興味はなかったけど、やってみたら意外に
おもしろかった、ということもあるでしょう。
このように、
行動に出てみないとわからないことはたくさんあります。
やってみないと、情報は得られないのです。
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2010-10-13
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よく「ものは考えよう」といいますが、
起きたことをマイナスに受け取ったり、悲観的に考えたり
するのではなく、プラスに受け止め、楽観的に考えていく
ポジティブ・シンキングが、いまの時代には不可欠です。(略)
もちろん、ポジティブ・シンキングさえすれば、
すぐにすべてがうまくいくというわけではありません。
でも、悲観的に考えても、事態は何も変わらないのです。
実のところ、みじめな気持ちで居続けることと、
幸せになるために前向きに考えることは、
同じだけのエネルギーや労力を要するものです。
同じことなら、自分に都合よく考え、自分の気持ちや心を
明るくポジティブに保つ方がヘルシーでしょう。
そのほうが、精神衛生上はるかによいのです。
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2010-10-12
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私たちは世の中で成功した人を見ると、
あの人は天才だったんだとか、
特別な運に恵まれていたんだ、などと言う。
裏を返せば、自分は才能がないから仕方がない、
運に恵まれていないから成功しそうもない、
というあきらめの気持ちがある。
しかし、ほんとうにそうなのだろうか。
才能がないと言い切れるほど、
本気で努力したことがあるのか、
運に恵まれていないと言い切れるほど必死で
運を追いかけたことがあるのか。
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2010-10-08
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私たちは「辛いことには耐えなさい」と教えられます。
しかし、
「よいことを大事にする、
よいことを噛みしめる力を養いなさい」
とは、なかなか教わりません。
ですから、平穏な日々にしみじみと幸せを感じることは少なく、
それを当たり前に思い、退屈に感じてしまうものです。
そして、「もっと幸せになりたいのに」と、
不満を募らせていきます。(略)
辛い日々を送ってきた人にとって、何事も起こらない
平穏な一日は、限りなくありがたいものです。
平穏な日々は、当たり前ではなく「恵み」です。
それを感じ取る力を育てることが、
人間を成長させ、幸福にするのではないでしょうか。
健康のありがたさを本当に実感するのは、健康な人ではなく、
病んでいる人、病んでいた人です。
辛さ、苦しさ、嫌な出来事、心を悩ますそうしたことこそが、
私たちの目を開いてくれる力、大きな恵みなのです。
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2010-10-07
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「ハッピーエンド・コンプレックス」という言葉があります。
家族はいつも皆幸せで明るい顔をしていなくてはならないと
思い込み、そうではない現実に直面してイライラしたり
不安定な心理状態になってしまうのです。
なおみさんは自分もそうだったと言います。
夫が黙り込んだり、子どもたちが悩みを抱えて不機嫌だったり
すると、ハラハラして落ち着かず、いつもなんとかせねばと
焦っていました。
あるとき、そんな思いをアメリカ人牧師さんに打ち明けました。
クリスチャンであり教会に勤めていたなおみさんにとっては
上司でもある方でした。
「そんなに何でも自分の悩みしなくてもいいですねえ。
あなたは、彼らから悩む自由を取り上げるのですか?」
まったく意外な答えが返ってきました。
「彼らにも悩む自由、失敗する権利があるでしょう。
あなたはそれを許さないんですか。
彼らの問題は彼らのものです。
自分で考えて自分を道を探す力があるのですから、
何でもあなたが悩まなくてもいいですね」
そして、牧師さんは、具体的にどうすればいいかを
アドバイスしてくれました。
(下に続く)
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2010-10-06
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自分を変えるということは、今の自分をゴミ箱に捨て、
新しい自分をゲットすることではありません。
スミレはスミレだからこそ、可憐ですてきなのです。
タンポポは黄色の花で綿毛のような種が見事です。
タンポポが「雑草は嫌、花屋で高く売れるバラがいい」と
いって、真っ赤なお化粧を始めたら、美しいでしょうか。
スミレが、高い値段のランの花を真似して突っ張って
生きたらどうでしょうか。
花たちは比べないし、うらやまない、淡々とユリはユリ、
サクラはサクラのまま生きています。
天命を生きているからです。
今のままの自分です。
根っこ、つまり生き方を変えるということです。
すると見事なバラやスミレ、サクラが咲き、種が実るのです。
そのことが、あなたがあなたらしく幸せになる道です。
どんな花もすてきです。
あなたは、スミレ、ナズナ、カサブランカですか?
その自分の個性を「ありがとう」で生かし天命を生きましょう。
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2010-10-05
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「最高にハッピーでいる」ことは、マイナスの出来事が
一切ないということでもなければ、マイナスな気分に
一切ならない、ということでもありません。
とくに気分に関しては、自然なものとして認めることをせず、
「前向き」だとか、「切り替え」だとかやろうとしても、
うまくいかないことが多いものです。(略)
プラス思考の前向き人間でいることを追い求めると
「がっかりしている」「イライラしている」「焦っている」
などの自然な感情の芽生えを、かき消そうとばかり
してしまいます。
が、それが実は逆効果。
かえって心は反発してしまうものなのです。
共感してあげてこそ、心は「気が済む」のですね。
ですから、不快な気分になってしまったときは、
「ああ、不愉快だこと!とっても不愉快よね!」と、
共感してあげた方がいいのです。
「こんなことで腹を立てる私がイヤ」などと考えず、
「ほんと腹立つわね!」と、自分自身の自然な感情に
共感する言葉がけを、どんどんしてください。
マイナスの感情を認めれば、その分早く切り替えられます。
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2010-10-04
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もっと強く願いましょう。
ちょっと願った人と、より強く願った人では、
「した行動」は同じでも、
「得た成果」には、
大きな差が出るのです。
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2010-10-01
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不幸な人は、長年、マイナスの言葉を使って
マイナスをつかんできました。
自分がつかんでいることさえ忘れているくらいです。
そのため、そうやすやすと簡単に手を放すことができないのです。
そして、究極のマイナスは、将来を悪い方悪い方に考えて、
あれこれ思い悩み、そのたびにマイナスの言葉を使って
しまうことです。これでは、悪い将来を、一生懸命に
手に入れようと、心から願っているのと同じです。
でも安心してください。
マイナスの手を切り、マイナスを手放させてくれるのが、
「ありがとう」です。「ありがとう」を唱えていると、
次第にマイナスから手が放れていくのです。
1つマイナスを考え、言葉に出してしまったら、
「ありがとう」を10回唱えましょう。
問題のある人ほど、マイナスを抱えている人ほど、
回数を多く唱えてください。
悩み始めたら、「ありがとう」をくり返し唱えます。
悩む時間を自分に与えないことが大切です。
「ありがとう」はマイナスと手を切る魔法のナイフなのです。
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