2005-08-31
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人は生まれながらにして、
自分のパワーを使うようにできています。
ですから逆にそのパワーを
使わないでいると、
無力感や感情鈍麻、憂うつを体験します。
そのことがあなたにとって、
何かが思うようにいってないという
サインになるのです。
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2005-08-30
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人間をよく理解する方法は、
たった1つしかない。
それは、
彼らを判断するのを決して
急がないことである。
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2005-08-29
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目標になるものが身近に存在するということは、
自分の夢や希望がどんなに大きくても、
それが単なる妄想でないことを教えてくれます。
「あの人だってできたのだから、
自分だってできる」
という決意に、目に見えるモデルが
与えられているのです。
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2005-08-28
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若い人たちを見ていると、どうやって
相手を笑わせるかということを気にしている一方で、
自分が笑われるのをものすごう嫌がっている。
芸としては、笑われるほうが、
笑わせるより本当はずっと高級なのだが。(略)
人に笑われないように頑張るのは大変だ。
笑われたっていいではないか。
うまく笑われたらもっといい。(略)
人間というのはお互いに迷惑を
掛けたり掛けられたり、
笑ったり笑われたりしながら生きていくのが、
自然なのである。
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2005-08-27
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口グセ、言葉グセには、自分では
気がつかなかったり、よいつもりでいても、
逆に嫌われたりする例が多い。
仕事柄、研修会でいろいろな人に出会うが、
先日は、人に何かを言われると間髪を入れず、
「違うんです」と言うのが口グセの
ビジネスマンにめぐりあった。
わたしが口グセを指摘したときも
「違うんです」と言って、
まわりの人達が腹を抱えて笑った。(略)
言葉グセがよい意味での自己PRに
なっている場合はともかく、
知らずにいて、しかも相手を不快に
させているのでは、マイナスにしかならない。
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2005-08-26
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雨が降れば 降っていい
雪が降れば 降っていい
嵐が吹けば 吹いていい
悲しければ 悲しくていい
恨みたければ 恨んでいい
怒りたければ 怒っていい
苦しければ 苦しくていい
誤解されれば 誤解されていい
人の目が気になれば 気になっていい
傷つけば 傷ついていい
だまされたら だまされていい
転べば 転んでいい
また立ち上がって 歩いていく
私は わたしなんだから…
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2005-08-25
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人はよく
「自分のことは自分が一番知っている」といいます。
たしかに自分の思いは、
他人にはうかがいしれない場合が多いのですから、
他人よりも自分のほうがよく知っているはずです。
しかし、自分の考えや行いが果たして独善でなく、
道理にかなっているのかどうか、
社会的に正しいことかどうか、
また、人情の機微に適したものであるかどうかを
評価する段になると、これはまた別だと思うのです。(略)
人間というものは、どうしても
知らず知らずのうちに自分中心に、
あるいは自分本位にものごとを考えがちになって、
他人からみたらずいぶんおかしいことでも、
一生懸命に考え、
それを正しいと信じている場合が多いのでは
ないでしょうか。
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2005-08-24
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聞いてもらいたい、
わかってもらいたいのは、
人間に共通した心理である。
そこで、つい自分のことばかり
喋りたくなるのだが、
その結果どうなるかといえば、
もう説明は不要だろう。
自分がそうだとすれば相手も
同じであると気づいて、
まず相手の気持ちに応えていく。
これができるかどうかなのである。
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2005-08-23
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信頼するとは、
彼にもできると信じてやること。
頼まれる前にあれこれ手や口を出したり
改善しようとしたりしないこと、
たとえ間違っても、
そこから何か学びとるだろうと
信頼してあげること、
彼なりの最善を尽くし、
よかれというつもりでやっているのだと
信じてあげることである。
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2005-08-22
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だいじょうぶなふり、
賢いふり、
偉そうなふり、
あるいは、
馬鹿なふり、
友だちがたくさんいるふり……
自分を大きく見せたり、
ときには小さく見せたり。
そうした自分でいれば、
まわりの人に受け入れられる、
愛されると思い込んでいるのです。
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2005-08-21
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重要でもないことで喧嘩をしない。
こんなことで争って何か意味があるのか、
と思うことはないだろうか?(略)
もし、意味のある返事が期待できないようであれば、
わざわざ怒りを引き出すような質問はしない方が
よいだろう。
怒りの地雷は、いろいろな場所に転がっている。
それが爆発するかどうか、わざわざ踏んでみる
必要はないだろう。
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2005-08-20
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天の下では何事にも決まった時期があり、
すべての営みには時がある。
生まれるに時があり、死ぬに時がある。
植えるに時があり、植えたものを引き抜くに時がある。
殺すに時があり、癒すに時がある。
崩すに時があり、たてるに時がある。
泣くに時があり、微笑むに時がある。
嘆くに時があり、踊るに時がある。
石を投げ捨てるに時があり、石を集めるに時がある。
抱擁するに時があり、抱擁をやめるに時がある。
探すに時があり、失うに時がある。
保つに時があり、投げ捨てるに時がある。
引き裂くに時があり、縫い合わせるに時がある。
愛するに時があり、憎むに時がある。
戦うに時があり、和睦するに時がある。
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2005-08-19
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私たちは生まれながらにして
心の知恵を備えていると思う。
その知恵は私たちの奥深いところにあって、
正しい選択をするようにメッセージを送ってくる。
だからよく耳を澄ませば、常にメッセージを
送っている周波数をキャッチすることができる。
あらゆることについてメッセージは送り出されている。
練習が必要だとか、休憩が必要だとか、
誰かと一緒にいたほうがいいという具合に(略)
同じメッセージが3度繰り返されたら、
心を留めてよく聞くのがいい方法なのだ。
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2005-08-18
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希望というものは、
生きる救いを与えてくれるものだ。
生きる力を与えてくれるものだ。
だから、根拠がなくても、
理屈が通らなくても、
そんなことはどうでもいいから、
「お守り」のようにしっかり
持ち続けておくことが必要なのだ。
真昼の月は、空に出ていても目には見えない。
しかし、見えないけれども、
そこには確かに存在している。
希望も同じではないかと思う。
真っ暗闇の中で、何にも光は見えないけれど、
そこには確かに希望があると信じることこそ、
大切なのだ。
そのことが暗闇を生き抜く力になるのである。
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2005-08-17
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人の弱点に不用意にふれないこと。
これは人と人との関係で心しておきたいことだ。
人は誰でもウィークポイントを持っている。
劣等感もある。
恥ずかしい過去や、ふれられたくない部分もある。
しばらくつきあっているうちに、
どんなことに弱みがあるのか、わかってくるだろう。
ここがわからない人は、
残念ながら人との関係がうまくいかない。
知らずにふれてしまうこともあるが、
わかってきたらなるべくふれないようにするのが思いやりだ。
人の弱みを知ると、わざわざそこをちくちくと責める人を
たまにみかけるが、これほど品位のないこともない。
見ていて気分が悪くなる。
また、人が劣等感を持つ部分を「鍛えてやろう」と
いわんばかりの態度で、わざと人前で取り上げる人もいる。
よほど人を指導する力を持った人ならともかく、
たいていは、体のいい「いじめ」ではないか。(略)
「あぁ、この人はこういうことにイヤな思い出があるのだな」と
気づけば、その人といっしょにいるときには、その話題を避ける。
知らない人がそちらの話題へ持っていきそうになったら、
さりげなく話題を転換する。
そういう思いやりを持ちたい。
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2005-08-16
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花にたとえるなら、ビーイング(存在)は根っこで
ドゥーイング(行為)は茎と花です。
人間は、目で見ることのできる
ドゥーイングの世界にとらわれてしまいがちです。
ビーイング、つまり根っこがなくなったら、
ドゥーイングは切り花になってしまいます。
根っこのある花は枯れてもまた大輪の花を
咲かせることができますが、
切り花はただ枯れてゆくだけです。
人間は本質を忘れ、目に見えるものだけに
翻弄されてしまうと、枯れてしまうのです。
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2005-08-15
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「続けねばならない」という義務感からは、
ひとつのことを継続できない。
しかし、誰にも「続けずにはいられない」こと、
「続けたくなってしまう」ことがあるはずだ。
それこそ、あなたの「継続」につながる。
たったひとつでいい。
ひたすら続けていこう。
それが、人生を大切に生きてゆくことであり、
あなたの心に日々の安心をもたらすのであり、
人から大切にされることにもつながっていくのである。
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2005-08-12
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人生での「勝ち負け」を、
「これは、私にとって重大な意味がある」
などと思い込まず、
むしろゲームとして楽しむようにしたい。
行動的になろうと心に決めて、
ゲームの作戦をたて、
その人に体当たりすることだ。
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2005-08-11
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フライトしている時に、副操縦士が
「これはこうではないですか」
「こうした方がよくないですか」
とアドバイスや意見具申をしてくれる時があります。
かなりの部分が、機長は理由があってやっていて、
副操縦士にはその理由が見えていないことなのですが、
どんな時でも、
例え副操縦士が間違えている時でさえ、
第一声は「ありがとう」であるべきだと思っています。
副操縦士が機長のやっていることに対して、
何か言うのは、やはりそれなりに
言いだしにくいことなのです。(略)
何か言ってくれたら、
それが正しくても間違っていても、
言ってくれた勇気に対して「ありがとう」が
第一声であるべきです。
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2005-08-10
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のどもと過ぎればではないが、
私たちは往々にして
忘れてはならないことを忘れ、
思い出したくもないことを
よく覚えているものだ。
どうでもいいことを
美化してみたりするかと思えば、
肝心なことを忘却の彼方におしやる。
夫との劇的な出会いを忘れ、
どうでもいい男性との成就しなかった恋を
後生大事に心の真ん中にとっておいたり
していないだろうか。
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2005-08-09
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太陽はいつも光り輝いています。
しかし、雲が厚くそれを覆っていると
光りは弱まり、
私たちには明るく感じられません。
けれども、太陽の光が
弱まっているわけではありません。
ただ雲が厚くて見えないだけなのです。
これを心にたとえると、
心は無限の力をもっているのに、
欲望、憎しみ、怒り、雑念などの雲が
この光を覆い隠し、
力を発揮できないようにしている、
そういうことです。(略)
もし本当の心の力を表したいのなら、
できるだけ雑念を排すような生き方をすることです。
すると本当の心が輝いてくるのです。
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2005-08-08
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他人があなたを見る目は、
あなた自身の見方とは異なる。
他人が一貫してあなたについて
ある特定の見方をするなら、
たぶんあなたはそのような人なのだ。
それを受け入れた方がいい。
もし好意的な意見を言ってくれたら、
深く心にとめ、励みにしよう。
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2005-08-07
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エネルギーを使い果たすと「充電」が必要になる。
充電しないと、精神が働かなくなる。
ときどきは、自分のために何かをすることを
第一に持ってきたほうがいい。(略)
栄養不足になった心は、
イライラをつのらせるだけだ。
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2005-08-06
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愛するということは、
自分や相手のすばらしさを
実感することではありません。
いやなところを受け入れることなのです。
いいところを好きになることは
誰にでもできます。
しかし、それは、愛ではなくて、
単なる好き嫌いにすぎません。
醜い部分、いやな部分を許し、
受け入れるのが本当の愛なのです。
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2005-08-05
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乳飲み子からは 肌を離すな
幼児は肌を離して 手を離すな
少年は手を離して 目を離すな
青年は目を離して 心を離すな
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2005-08-04
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毎日生活をしてゆく上で、
「どうして私だけ、こんな損をしていないと
いけないのか」と思うことがある。(略)
物事は反対から考えてみると
納得できることがあるものだ。
何か「損した」と思うようなことを
それではもし自分がしなかったとしたら
何を「得したのか」と
考えてみることである。
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2005-08-03
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自分を自由にさらけ出すことができ、
また、自分についてのいろいろな話題が
顔を出してもまったく平然としていられれば、
あなたは今より数段強い人間になれる。
心の中に小さな立入禁止区域をいくつも持って、
そこにとじこもっているときよりも、
ずっと強くなれる。
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2005-08-02
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不幸は比較から来る。
あなたが無意識的に、
いまの状態を別の状態と比べるとき、
たとえばもっと若かったとき、
もっと健康だったときとくらべるとき、
あるいは昔ある友達がいた頃と
今の孤独をくらべるとき、
なにか社会的な名誉を身につけて
浮き立っていた頃と今の状態とを
比較するとき、
不幸感が訪れるのである。
比較のないところに不幸はない。
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2005-08-01
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方向が定まらないまま鬱々と悩む時間には、
「すべき価値のあるものは何か?」と
自問自答するようになります。
こういった期間は、次の段階に進むために
必要な「無駄な時間」なのです。
サラリーマンの中には、こういった熟考の
時間に耐えられない人が多くいます。
ただの「怠情」な時間ではないかと
イライラし、時間を無駄にしているのはないかと
不安になるのです。
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